延喜八年、ある村の人びとを記した一巻

延喜八年(908年)、周防国の役人が玖珂郡玖珂郷に住む人びとの戸を記録した。周防国は現在の山口県東部にあたる。それから千百年あまりを経て、その記録の一部が一巻の巻子として今に残る。残された場所は山口ではなく、琵琶湖の南、滋賀県大津の真言宗寺院・石山寺である。

この文書の正式な名称は「周防国玖珂郡玖珂郷延喜八年戸籍残巻」という。種別は古文書、そして昭和28年(1953年)に国宝へ指定された。

戸籍に名を連ねる人びとは、律令制のもとで暮らしていた。律令制は中国にならって整えられた古代日本の法と統治の仕組みで、国家は田を割り当て租税や労役を課すために人民を数えた。この巻はその統治の道具であり、縦の罫に沿って端正な筆跡で、戸ごとに名と年齢が書き連ねられている。

なぜ国宝なのか

本巻が国宝に指定されたのは昭和28年3月31日のことである。その価値は美しさよりも、何より現存例の少なさにある。

律令の定めでは、戸籍は六年ごとに作成され、三十年の保管を経て廃棄されることになっていた。しかし当時、紙は高価で容易には捨てられない。用済みになった戸籍は破棄されるよりも、他の役所や寺院へ回され、文字のない裏面が再び書写に使われた。こうして裏面を再利用された文書を「紙背文書」と呼ぶ。古代日本の歴史の少なからぬ部分は、この紙背文書を通してのみ現代に届いている。

本巻が残ったのも、まさしくこの仕組みによる。裏面には、真言密教の儀軌「金剛界入曼荼羅受三昧耶戒行儀」が後に書写された。金剛界曼荼羅に入って三昧耶戒を受ける際の作法を記した経典である。紙が大切に保管されたのはこの密教経典のためであり、表面の戸籍はそれに付随して残った、いわば後世への思いがけない贈り物だった。奈良・正倉院に伝わる著名な古文書群も、同じ倹約の習慣に救われている。

平安時代の戸籍は現存例がきわめて乏しい。阿波(現在の徳島県)や讃岐(現在の香川県)の断片と並び、この周防の一巻は、律令国家の末期を当時の筆跡そのもので読み取れる数少ない史料の一つである。十世紀初頭、その国家は崩れつつあった。人民の登録はすでに実態から離れ、戸籍は半ば虚構と化していた。労役を避けるために男子を少なく届け、口分田を手放さぬために死者を帳簿に残し、女子ばかりが並ぶ戸籍さえ現れた。そうした背景に照らすとき、周防の戸籍は、中央集権的な徴税国家がいかにして解体へ向かったのかという、古代史の難問に直結する一次史料となる。

一枚の紙に同居する二つの世界

この巻が静かな興味を引くのは、まったく無関係な二つの世界が一枚の紙の表と裏に同居している点にある。一方の面には、地方の人口調査という乾いた行政の文がある。遠い都の役所の事務記録である。もう一方の面には、密教の濃密な儀礼の言葉が並ぶ。古い戸籍を単なる反故とみなした人物が書き写したものだ。

この巻はまた、本来であれば歴史に埋もれたはずの人びとに名を取り戻す。記録された戸主のなかには、和爾部・土師・三宅といった氏を名のる者がいる。十世紀初めの周防の村に暮らした、ごく普通の住人である。彼らの名は役人によって一度だけ書き留められ、そして長い偶然の末に消されることなく残った。いま、その名を読むことは、千年を越えて具体的な個人と出会うことにほかならない。

訪問の前に一つ留意したい点がある。この格の脆弱な紙の文書は常時公開されているわけではない。特別展や博物館への出陳といった、限られた機会にのみ姿を見せる。石山寺を訪ねる楽しみは、寺そのものにあり、また、その所蔵の一つに、消え去った共同体の声が今なお保たれていると知ることにある。

石山寺を訪ねる

石山寺は、琵琶湖の水が瀬田川へと流れ出す大津市にある。天平19年(747年)、聖武天皇の発願により僧・良弁が開いたと伝わり、今も真言宗東寺派の大本山である。西国三十三所観音霊場の第十三番札所でもある。

寺名は、堂宇が建つ白い珪灰石の巨大な岩盤に由来する。この岩そのものが天然記念物に指定されている。本堂と多宝塔はいずれも国宝で、多宝塔は建久5年(1194年)に源頼朝が寄進したと伝えられ、現存する同形式の塔のなかでも最も古い部類に数えられる。古典文学を愛する人にとって石山寺は、紫式部が『源氏物語』の構想を得たとされる参籠の地として知られる。

寺宝は、境内の高所に建つ豊浄殿で公開される。春と秋には特別展が開かれるのが通例で、『源氏物語』にゆかりの文書・聖教・宝物などが並ぶ。特定の品を目当てにする場合は、出陳の入れ替えがあり多くの収蔵品は普段は収蔵庫に納められているため、出向く前に展示日程を確認しておきたい。

境内の拝観は毎日8時から16時30分まで。最も簡単な経路は、京阪石山坂本線の石山寺駅から山門まで徒歩約10分である。JR石山駅からは、山門近くの「石山寺山門前」バス停まで路線バスが通じている。石山寺は花と紅葉でも知られ、春と秋の特別展の時期は、境内を歩くのにも最も美しい季節にあたる。

Q&A

Q石山寺で実物を見られますか。
A原則として見られません。脆弱な国宝の紙文書であり常時公開はされていません。特別展や博物館への出陳など限られた機会にのみ姿を見せるため、事前に展示日程をご確認ください。寺と他の寺宝だけでも訪ねる価値は十分にあります。
Q山口の文書が、なぜ滋賀に残っているのですか。
A戸籍は周防国(現在の山口県)で作られました。役目を終えた後、その紙が再利用され、裏面に密教の経典が書写されました。その再利用された紙が石山寺に伝わり、今日まで保管されてきたのです。戸籍が残ったのは、この密教経典の書写があったからにほかなりません。
Q裏面には何が書かれているのですか。
A真言密教の儀軌で、金剛界曼荼羅に入って三昧耶戒を受ける際の作法を記したものです。真言宗の儀礼の系譜に属する文書であり、そのために地方行政の記録が真言宗の寺院に納められることになりました。
Qこうした戸籍から何が分かるのですか。
A十世紀初めに実在した人びとの名・年齢・戸の構成が記録されています。現存する他の戸籍と読み合わせることで、人口や家族のあり方、租税、そして古代日本を統べた中央集権的な律令制が緩やかに崩れていく過程を、研究者は読み解くことができます。
Q石山寺へはどう行けばよいですか。
A京阪石山坂本線の石山寺駅で下車し、山門まで徒歩約10分です。JR石山駅からは「石山寺山門前」バス停まで路線バスも利用できます。境内の拝観時間は毎日8時から16時30分までです。

基本データ

名称周防国玖珂郡玖珂郷延喜八年戸籍残巻(すおうのくにくがぐんぐがごうえんぎはちねんこせきざんかん)
指定区分国宝(古文書)
指定年月日昭和28年(1953年)3月31日
年代延喜八年(908年)・平安時代
員数1巻
紙背金剛界入曼荼羅受三昧耶戒行儀(真言密教の儀軌)
所有者・所在石山寺(滋賀県大津市)
公開状況常時公開なし。特別展等の限られた機会に展示

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/794
文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/126187
大本山 石山寺 公式ホームページ
https://www.ishiyamadera.or.jp/
古代日本の戸籍制度(ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/古代日本の戸籍制度

最終更新日: 2026.06.09