松樹館庭園|近江商人の本宅に残る、作庭家・勝元鈍穴の名園を訪ねて
滋賀県東近江市の重要伝統的建造物群保存地区「五個荘金堂」。白壁と舟板塀が連なる町並みの一角に、長らく非公開だった近江商人の本宅が静かに佇んでいます。築200年を超える邸宅の奥に広がるのが「松樹館庭園」――幕末から明治前期に活躍した近江の作庭家・勝元鈍穴(かつもとどんけつ)の作と伝わる回遊式枯山水庭園です。2021年に国の登録記念物(名勝地関係)に登録され、2023年からは「教林坊別院 マーチャントミュージアム」として春と秋に限定公開されています。
近江商人・松居家の歴史が息づく邸宅
松樹館はもともと、五個荘を代表する近江商人・松居久右衛門家の本宅でした。江戸時代初期に農家から商家へと転身した松居久次郎を初代として、屋号「松久」のもとで代々呉服商などの商いを広げ、近江から全国へと商圏を伸ばした家系です。現在見られるお屋敷は、文化11年(1814年)に建てられた主屋を中心に、明治時代初期の新建(書院)、大正時代の廊下座敷、昭和時代前期の新寮・長屋などが順に加えられ、合わせて13棟が国の登録有形文化財に登録されています。
2021年(令和3年)10月、これら13棟の建造物と庭園が、いずれも国の文化財として正式に位置づけられました。長らく非公開だった松樹館は、紅葉の名所として知られる『教林坊』の別院「マーチャントミュージアム」として、2023年春に初めて一般公開されました。
なぜ国の登録記念物に選ばれたのか
松樹館庭園が文化財に登録された大きな理由のひとつが、その作庭が「鈍穴流」の祖・勝元宗益(かつもとそうえき)――号して鈍穴――の作と伝わる、貴重な現存例だからです。鈍穴は文化7年(1810年)に近江坂田郡勝村(現・長浜市勝町)に生まれ、明治22年(1889年)に没するまでに、生涯で約500の庭園を手掛けたと伝えられています。しかし、本人自身の作として確実に伝わる庭園は決して多くなく、この松樹館庭園はその作風と理念を今に伝える代表的な作例とされています。
鈍穴の師は、茶道遠州流中興の立役者として知られる辻宗範(つじそうはん)。鈍穴は遠州流の茶の湯のみならず、南画、和歌、俳句、華道、礼法、医術、そして築庭に至るまで諸芸に通じた、まさに「文化的万能人」でした。彼が確立した鈍穴流の作庭手法は、五個荘で五代続く造園会社「花文(はなぶん)」によって現代まで受け継がれ、五個荘・湖東地域、さらに京都の名刹にもその系譜の庭園が残されています。
庭園と邸宅の見どころ
表庭:石の対話を歩く回遊式枯山水
上段の間を備える新建(書院)から眺める「表庭」は、回遊式の枯山水庭園として整えられています。手前に据えられたひときわ大ぶりの伽藍石(がらんせき)は、鈍穴流の特徴を端的に示す要素のひとつ。飛石は緩やかな高まりを回り込むように奥へと続き、低めの築山の上には堂々たる石灯籠と景石が配されています。この石灯籠は、名石工として知られる初代西村嘉兵衛の最初期の作と伝わる貴重なもので、庭園全体の見どころのひとつとなっています。
もうひとつ注目したいのが、石の出自の多彩さです。地元滋賀の守山石、京都の銘石として知られる貴船石や鞍馬石に加え、近畿地方の庭園では珍しい佐渡の赤玉石まで取り入れられており、各地の銘石が一堂に会する贅沢な空間となっています。
奥庭と「猪目書院窓」――ハート型の祈り
表庭の奥には、枯流(かれながれ)を主題とした「奥庭」が広がります。新寮や廊下座敷から眺める庭の表情はやや異なり、太湖石様の奇石や溶岩石など個性豊かな庭石が用いられているのが見どころです。そしてこの一角に、いま松樹館を象徴する撮影スポットとなっている「猪目書院窓(いのめしょいんまど)」があります。古来より魔除け・招福の象徴として寺社建築に用いられてきた「猪目文様」――ハート型のような曲線――を窓にあしらった意匠で、新茶寮の浴月楼一階・煎茶茶室「槐庵(かいあん)」とともに、来館者の人気を集めています。
邸宅内に残る豪商の暮らしの痕跡
邸宅の内部には、近江商人の格式と暮らしを物語る品々が随所に残されています。大正時代に久邇宮家が訪問された際にしつらえられた上段の間と御座所、当時設置されたという国産最古とも伝わる水洗便器、そして一万両を収納できたとされる地下金庫「万両庫(まんりょうこ)」。さらに、米蔵・文庫蔵・北蔵・南蔵・新蔵の5棟の土蔵、茶人の心を伝える煎茶茶室「槐庵」など、商家の暮らしと文化の蓄積を間近に感じることができます。
訪問情報
松樹館庭園は、季節限定の公開となっています。例年、春は4月中旬から6月下旬までの土・日・祝日、3月には「商家に伝わるひな人形めぐり」期間中の土・日・祝日に開かれ、秋は10月の土・日・祝日に加え、11月1日から12月初旬までは毎日公開されます。開館時間は10時から16時30分まで(受付は16時まで)。入館料は大人500円、小中学生200円です。年により公開日程が変わるため、訪問前に教林坊へ確認することをおすすめします。
駐車場は10台分用意されていますが、満車時は徒歩5~6分の近江商人博物館の駐車場が案内されます。公共交通機関では、JR琵琶湖線「能登川駅」東口から近江バス八日市駅行きに乗車し「金堂竜田口」バス停下車、徒歩約12~13分。または近江鉄道湖東近江路線「五箇荘駅」から徒歩約15~17分のアクセスです。
周辺の見どころ
松樹館庭園が建つ五個荘金堂地区は、平成10年(1998年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、平成27年(2015年)には日本遺産「琵琶湖とその水辺景観-祈りと暮らしの水遺産」の構成文化財にもなった、近江商人発祥の地です。白壁と舟板塀の続く町並み、錦鯉が泳ぐ水路、そして集落の中心に建つ国指定重要文化財・弘誓寺の本堂など、徒歩圏内に見どころが集まります。同じく鈍穴流「花文」の作庭が残る『外村繁邸』『中江準五郎邸』『金堂まちなみ保存交流館』を巡れば、近江商人の本宅と日本庭園を一日かけて味わうことができます。少し足を伸ばせば、教林坊本院(石の寺)の名勝庭園や紅葉の参道も合わせて楽しみたいスポットです。
Q&A
- 松樹館庭園はいつ訪れることができますか?
- 例年、春(4月中旬~6月下旬の土・日・祝日)、秋(10月の土・日・祝日、11月1日~12月初旬は毎日)に公開されます。3月の「ひな人形めぐり」期間中も土・日・祝日に開館します。年により公開日程が変わるため、事前に教林坊へご確認ください。
- 庭園を手掛けた作庭家はどのような人物ですか?
- 作庭家・勝元宗益(号・鈍穴、1810~1889)は、近江国出身。茶道遠州流中興の祖・辻宗範に師事し、生涯で約500の庭園を手掛けたと伝わる幕末から明治前期の作庭家です。彼が確立した「鈍穴流」は、現在も五個荘の造園会社「花文」によって五代にわたり継承されています。
- ハート型の窓は何のためにありますか?
- 「猪目書院窓」と呼ばれる窓で、古来より魔除け・招福の意匠として寺社建築に用いられてきた「猪目文様」がモチーフです。一般公開にあわせて新茶寮に設けられ、現在では当館を象徴する写真スポットとして親しまれています。
- 車を使わずに訪問できますか?
- はい、可能です。JR琵琶湖線「能登川駅」東口から近江バス八日市駅行きに乗車し「金堂竜田口」下車、徒歩約12~13分。または近江鉄道「五箇荘駅」から徒歩約15~17分です。
- 見学にはどのくらいの時間が必要ですか?
- 邸宅と庭園をじっくりご覧いただく場合、1時間程度を目安にお考えください。周辺の伝統的建造物群保存地区の散策や、他の近江商人屋敷の見学を合わせれば、半日ほどの行程が快適です。
基本情報
| 名称 | 松樹館庭園(しょうじゅかんていえん) |
|---|---|
| 指定区分 | 国登録記念物(名勝地関係)、登録年月日 2021年(令和3年)10月11日 |
| 時代 | 明治時代(主屋は文化11年/1814年建築。明治~昭和初期にかけて増築) |
| 作庭 | 勝元宗益(鈍穴)/1810~1889 鈍穴流の祖 |
| 庭園形式 | 回遊式枯山水庭園 |
| 運営 | 教林坊別院 マーチャントミュージアム |
| 所在地 | 〒529-1421 滋賀県東近江市五個荘竜田町396-1 |
| 電話 | 0748-46-5400(教林坊) |
| 入館料 | 大人500円、小中学生200円 |
| 公開期間 | 季節限定。春(4月中旬~6月の土・日・祝日)、秋(10月の土・日・祝日、11月1日~12月初旬は毎日)。年により変動するため事前確認推奨 |
| アクセス | JR能登川駅から近江バス「金堂竜田口」下車徒歩約12~13分/近江鉄道「五箇荘駅」から徒歩約15~17分 |
参考文献
- 松樹館庭園|文化遺産オンライン(文化庁)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/520614
- マーチャントミュージアム教林坊別院|東近江市観光協会
- https://www.higashiomi.net/media/miru/a525
- マーチャントミュージアム 教林坊別院|滋賀県博物館協議会
- https://kyourinbo.jimdofree.com/
- 勝元鈍穴|Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/勝元鈍穴
- 東近江市五個荘金堂|文化遺産オンライン(文化庁)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/158895
- マーチャントミュージアム 教林坊別院/松樹館庭園|庭園情報メディア「おにわさん」
- https://oniwa.garden/kyorinbo-merchant-museum-shiga/
最終更新日: 2026.05.13