仁治二年の銘をもつ石造の塔

滋賀県湖南市、菩提寺山の東麓に広がる竹林のなかに、花崗岩でできた二層の塔が立っている。高さはおよそ4.48メートル。塔身のまわりには二十字の銘文が刻まれ、仁治二年(1241年)七月の造立であること、願主の僧良全と施主である日置氏の女性の名が読みとれる。

石でつくられた多宝塔そのものが日本では数少ない。造立の年が石面から直接読める例となると、さらにまれである。

この塔は単独で立っているわけではない。すでに失われた一つの寺の境内に属している。塔と石仏の一群を含むこの一帯は、「廃少菩提寺石多宝塔および石仏」の名で国の史跡に指定されている。

かつてこの斜面を覆っていた寺

少菩提寺の創建は、東大寺にも名を残す僧良弁によるものと伝わり、天平三年(731年)のこととされる。寺の名には対比が組み込まれている。野洲川をはさんだ対岸には金勝寺があり、大菩提寺と呼ばれた。こちらの寺はそれに対する少菩提寺であった。規模の大小というよりも、二つの寺の関係を示す呼び名である。

明応元年(1492年)に写されたとされる絵図が近隣の寺に残り、廃絶以前の少菩提寺の姿を今に示している。図には塔、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊、食堂が描かれ、そのまわりに三十七の坊が配されている。山の斜面に展開した、ひとつの大伽藍であった。

終わりは元亀元年(1570年)に訪れた。織田信長と六角氏の戦いのなかで、敗れた六角方の兵が山に火を放ち、堂塔は焼け落ちた。信長の軍勢による焼き討ちとして語られることもあるが、火を放ったのは退いた六角方の兵であったとみるのが正確である。少菩提寺が再建されることはなかった。火をくぐって残ったのは、石でできたものだった。

大正十五年からの史跡

この境内は大正十五年(1926年)十月二十日に国の史跡に指定され、昭和三年(1928年)二月二十一日に指定地域が追加された。指定の基準は、社寺の跡や旧境内など信仰に関わる遺跡を対象とするものである。石造の多宝塔は、史跡とは別に、重要文化財にも指定されている。

この場所の価値は、大きく二つに分けられる。ひとつは塔の銘文である。多宝塔の多くは木造の建築で、年代の判定は様式に頼ることが多い。造立年が石に刻まれた例は、年代の不明な作品をはかるための基準点となる。

もうひとつは、ほとんど何も残さなかった寺について、この場所が保ち続けているものである。刻まれた石は、いわば寺がのこした記録にあたる。

石の多宝塔を間近に見る

多宝塔は日本の仏教建築に固有の形式で、方形の初重と円形の上重をもつ二層の塔である。真言・天台の密教と結びつき、法華経の見宝塔品で宝塔のなかに現れる多宝如来にちなむ。その多くは木造の建築であり、花崗岩で、しかも四メートル半近い高さに刻まれた姿は、木よりも長くもちこたえる材料に置きかえられた多宝塔ということになる。

塔までの登りは短い。道からわずかに高い位置に、竹に囲まれて立つ。彫りは、ゆっくり眺めるだけの値打ちがある。二十字の銘文は探してみたい。造立に関わった人々の名を記し、この塔を鎌倉時代という時代のなかに据えている。近江のこの地域で、石彫の技術が高い水準に達しつつあった頃のものである。

三体の地蔵と閻魔の石

山道の入口には、旅する者と死者を見守る菩薩である地蔵の石像が三体並んでいる。いずれもほぼ等身で、中央の像は高さおよそ158センチである。近づいて見ると、三体は同じ時のものではない。中央の像が最も古く、鎌倉時代後期の作で、顔のつくりや衣文の流れが両脇のものと異なる。両脇の二体は室町時代初期に加えられ、中央の像にしたがう脇侍のように整えられている。

少し離れたところに、より変わった一作がある。将棋の駒のような形をした花崗岩の石面に、五体の像が浅い浮彫で刻まれている。中央の彫りくぼめた区画に座すのは、死者を裁く王、閻魔である。そのまわりに阿弥陀如来、二体の地蔵、僧形の像が配される。

石は片側で割れ、つなぎ合わされており、その補修は江戸時代後期のものである。この組み合わせには、はっきりとした願いがこめられている。閻魔の裁きを受ける魂が、地蔵の慈悲によって地獄をまぬがれ、極楽へと導かれることを願うものである。

史跡を訪ねる

史跡は湖南市の菩提寺地区にあり、JR草津線石部駅の北およそ1.2キロに位置する。車であれば石部駅から十分ほど、甲西駅から十五分ほどで、地域のコミュニティバスも近くを通っている。石造物は屋外にあり、拝観料もなく、決まった開門時間もない。塔と石仏をきちんと見るには二十分ほどみておくとよい。足もとが平らでない場所もあるため、歩きやすい靴がよい。

旧境内の一角には、少菩提寺が失われたのちの享保八年(1723年)に開かれた黄檗宗の禅寺、菩提禅寺がある。その本尊である藤原時代の阿弥陀如来立像は重要文化財で、古い寺から伝わった仏像と考えられている。

歩く支度があれば、菩提寺山への道は広い眺めにつながる。近江富士と呼ばれる三上山の円錐形の峰が正面に近く、その先に琵琶湖を見わたせる。

Q&A

Qここで指定されているのは何ですか。
A国の史跡は、廃少菩提寺の境内と、そこに残る石造の多宝塔および石仏を対象としています。石造の多宝塔は、史跡とは別に重要文化財にも指定されています。
Q石造の多宝塔はどのくらい古いものですか。
A銘文によって仁治二年(1241年)七月の造立とわかります。鎌倉時代のものです。年代が様式からの推定ではなく石に直接刻まれているため、確かさの高い例とされています。
Q自由に見学できますか。
Aできます。多宝塔と石仏は屋外にあり、拝観料もなく、いつでも見ることができます。決まった開門時間はありません。
Q閻魔の石はなぜ割れているのですか。
A花崗岩の石面は長い歴史のどこかで割れ、つなぎ合わされています。片側の補修は江戸時代後期に行われました。割れた跡は今も見え、この石がたどってきた歴史の一部です。
Q見学にはどのくらい時間がかかりますか。
A多宝塔と石仏をゆっくり見るには二十分ほどで足ります。眺めのために菩提寺山に登る場合は、別に時間をみておくとよいでしょう。

基本情報

名称廃少菩提寺石多宝塔および石仏(はいしょうぼだいじせきたほうとうおよびせきぶつ)
所在地滋賀県湖南市菩提寺
指定区分国指定史跡(石造多宝塔は重要文化財にも指定)
指定年月日大正15年(1926年)10月20日/昭和3年(1928年)2月21日 指定地域追加
指定基準三.社寺の跡又は旧境内その他祭祀信仰に関する遺跡
時代石造多宝塔は仁治2年(1241年)の鎌倉時代/石仏は鎌倉時代後期〜室町時代
石造多宝塔花崗岩、高さ約4.48メートル
管理団体湖南市
アクセスJR草津線・石部駅から車で約10分
公開屋外、見学自由(開門時間の定めなし)

参考文献

廃少菩提寺石多宝塔および石仏 — 国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/1561
廃少菩提寺石多宝塔および石仏 — 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/138807
廃少菩提寺 — 滋賀県観光情報(びわこビジターズビューロー)
https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/3937/
廃少菩提寺 — 湖南市観光ガイド ぶらりこなん
https://www.burari-konan.jp/kanko/meisho/haishobodaiji/
廃少菩提寺 — Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/廃少菩提寺

最終更新日: 2026.05.23