三井寺に残る異形の老翁像

滋賀県大津市の園城寺、通称三井寺の北院から少し離れた木立のなかに、小さな社殿が建つ。その厨子に納められているのが、国宝・木造新羅明神坐像である。像は正装した老人の姿をとり、頭には先のとがった山型の冠をいただく。目尻は深く垂れ、額には幾筋もの皺が刻まれ、口はわずかに開く。何かを言いかけたままの表情にも見える。指は不自然なほど細く長い。一度見た者の記憶に残る、強い個性をもった像である。

新羅明神は仏ではなく、寺を守る神である。しかも、その彫像や画像がまとまって残るのは三井寺をおいてほかにほとんどない。日本の神像のなかでも例の少ない一軀といってよい。像高は80センチに満たず、ヒノキの一木から彫り出されている。表面にはかつて彩色がほどこされ、細く截った金箔を文様状に貼る截金の技法も用いられていた。

海上にあらわれた神

寺の縁起によれば、この神の由来は一度の航海にさかのぼる。9世紀なかば、後に智証大師と呼ばれる僧・円珍が、唐から経典や法具を携えて帰国の途についた。その船中に一人の老人があらわれ、みずから新羅明神と名のって、円珍がもたらす教えを守護すると約したという。円珍は帰国後、この神を園城寺北院の鎮守としてまつった。以来、新羅明神は寺門の系統そのものを守る神として尊ばれてきた。神と仏を対応させる本地垂迹の考え方では、新羅明神の本地仏は智慧をつかさどる文殊菩薩とされた。

この神を敬ったのは僧だけではない。河内源氏の武将・源頼義の三男である義光は、新羅明神の社前で元服し、新羅三郎義光と名のったと伝わる。その血脈の尊崇は後の世まで続いた。現在の社殿を寄進したのも、同じ流れをくむ室町幕府初代将軍・足利尊氏であった。

国宝に指定された理由

本像は明治33年(1900年)に旧制度のもとで保護を受け、昭和31年(1956年)に国宝へと格上げされた。その評価は、希少性と造形の両面にある。平安時代の神像でこれほど強い個性を保って現存する例は多くない。彫り手は神格化された理想の顔ではなく、年老いた一人の人間が言葉を発しかけた瞬間のような、具体的で肖像に近い表情を与えている。様式から平安時代中期ごろの作と見る専門家が多いが、確たる紀年の記録は残されていない。

像を収める新羅善神堂も、それ自体が国宝である。貞和3年(1347年)に足利尊氏の寄進で再建されたもので、三間社流造の社殿建築にあたる。檜皮葺の屋根が前方へ長く緩やかな曲線を描く。正面の欄間に細やかな透彫を入れるほかは目立った装飾をもたず、その簡素さこそが高く評価されてきた。琵琶湖の周辺に数多く残る三間社流造のなかでも、もっとも形のととのったものの一つに数えられる。

社殿を訪ね、まれに像に会う

訪問にあたっては、一つ知っておきたい事実がある。本像は秘仏であり、公開はきわめてまれである。これまでに像が人前に出されたのは数えるほどで、寺での特別公開のこともあれば、博物館の展覧会のこともあった。その間隔は数十年に及ぶことも珍しくない。像そのものを目当てに旅程を組むことはすすめにくい。歩いて報われるのは、社殿とその立地のほうである。

新羅善神堂は本堂のある中心の境内から北へ約500メートル離れ、弘文天皇陵のかたわらの斜面に建つ。道は静かで案内も少なく、訪れる人もまばらで、社殿は木々のあいだに不意にあらわれる。この孤立が、堂が生き延びた理由でもある。文禄4年(1595年)に豊臣秀吉が三井寺の寺領を没収し、多くの堂宇が破却されたとき、離れたこの堂は難を免れた。前に立てば、欄間の透彫や軒の整った線がよく見える。14世紀の武将が、海上で出会った神を祀るのにこの静かな形式を選んだ理由が、おのずと納得される。

三井寺の周辺

中心の境内は、時間をかけて歩く価値がある。本堂にあたる金堂は国宝で、寺には平安・鎌倉期の彫刻が数多く所蔵されている。南の高みに建つ観音堂は西国三十三所観音霊場の札所で、琵琶湖を見晴らす。境内は春の桜でも知られる。新羅善神堂から西へ少し坂を上がると法明院があり、明治期に日本美術の再評価をうながしたアメリカの研究者アーネスト・フェノロサの墓もここにある。

Q&A

Q訪問すれば新羅明神坐像を見られますか。
Aほぼ見られないと考えてください。秘仏のため公開はまれで、数十年の間隔をおいて寺の特別公開や博物館の展覧会で出される程度です。像を目当てにする場合は、事前に三井寺へ直接お問い合わせください。
Q新羅善神堂はどこにありますか。
A三井寺の中心境内から北へ約500メートル離れた飛び地で、弘文天皇陵のそばの斜面に建ちます。住宅地と木立を抜ける道を徒歩でたどります。
Q新羅明神とはどのような神ですか。
A三井寺の守護神です。寺の縁起では、唐から帰国する僧・円珍の船にあらわれ、仏法の守護を約したとされます。本地垂迹の考え方では、本地仏を文殊菩薩としました。
Qなぜ「新羅」という名なのですか。
A新羅は朝鮮半島にあった古代の王国の名です。この神がもつ大陸的・渡来的な性格を示すと考えられますが、命名の正確な理由は古くから議論があります。
Q三井寺の拝観時間と拝観料を教えてください。
A中心の境内は年中無休で午前9時から午後4時30分まで開き、受付は午後4時で終了します。入山料は大人800円、中高生500円、小学生300円です。新羅善神堂は有料拝観区域の外にあります。

基本情報

名称木造新羅明神坐像(新羅善神堂安置)
指定区分国宝(彫刻)
時代平安時代(専門家は中期ごろと見る)
材質・技法ヒノキ一木造、彩色・截金
員数・像高1躯、像高約80センチ弱
指定年重要文化財 1900年(明治33)/国宝 1956年(昭和31)
所有者園城寺(三井寺)
所在地滋賀県大津市
安置新羅善神堂(国宝、1347年に足利尊氏が再建)
公開秘仏。公開はきわめてまれ

References

文化庁 国指定文化財等データベース(木造新羅明神坐像)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/262
三井寺文化遺産ミュージアム 新羅善神堂
https://miidera-museum.jp/cultural-property/contents/19/
三井寺(園城寺)公式 参拝案内
https://miidera1200.jp/information/
滋賀県観光情報公式サイト 三井寺(園城寺)
https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/92/
ウィキペディア 園城寺
https://ja.wikipedia.org/wiki/園城寺

最終更新日: 2026.06.10