年に一度だけ開かれる肖像

毎年10月29日、園城寺の奥深くにある厨子の扉が開き、漆と彩色をまとった一軀の坐像が短いあいだ姿を見せる。木造智証大師坐像、通称「中尊大師」である。平安時代、10世紀の作で、国宝に指定されている。それ以外の日は、滋賀県大津市、琵琶湖を見おろす境内のもっとも奥まった一郭にある唐院大師堂の中で、固く閉ざされたまま過ごす。

像が表すのは円珍(814〜891)。のちに智証大師の諡号を贈られた僧で、9世紀後半に園城寺を天台別院として中興し、天台寺門宗が依りどころとする祖となった。文化庁の国指定文化財等データベースは「御廟安置」という名称で登録するが、寺や参拝者の多くは、仏壇の中央に据えられる位置から「中尊大師」と呼んでいる。同じ一軀を指す、二つの呼び名である。

比叡山から園城寺へ

寺に残る記録では、円珍の入滅後まもなく、弟子たちの手で二軀の肖像が作られたという。中尊大師は、そのうちの一軀にあたる。当初は比叡山にあった円珍の旧院、千手院にまつられていた。比叡山は天台宗の本山である。

やがて天台の門徒は二つに割れた。比叡山延暦寺を拠点とする一派は山門、円珍の法系を継ぐ一派は寺門と呼ばれた。正暦4年(993)、寺門の僧たちは比叡山を下り、この師の肖像をたずさえて園城寺に移る。像が園城寺に入ったいきさつは、いまも寺を率いる寺門の歩み出しと分かちがたく結びついている。

大師堂で隣に並ぶもう一軀は御骨大師という。円珍を荼毘に付した遺骨を納めることからその名があり、制作はこの中尊大師よりやや古く、没後ほどない頃と考えられている。二軀を並べて見ると、寺門という流れの始まりが像のかたちであらわれている。

像を読み解く

像高は84.3センチ。ヒノキを用い、表面は彩色で仕上げる。頭部と身体の根幹部はヒノキの一材から木取りし、両肩から肘までの側面にはそれぞれ別の一材を矧いでふくらみを持たせた。膝の部分にも横一材を矧ぐ。簡素な構造から、量感のある自然な身体を立ち上げる手法である。

彩色の役割が大きい。漆地の上に肉身を肌色で塗り、眉は黒い毛描きで、眼は墨線で引いて瞳を黒く塗り、朱線でくくる。唇は朱。髭のそりあとまで描き込まれている。衲衣や袈裟には遠山文様がほどこされ、その彩色が良好に残るのは、長く厨子の中で人目に触れずにきたためでもある。

正体を一目で告げるのが頭のかたちである。頭頂がとがった卵形をなすのは、確かな円珍像に共通する特徴である。寺の解説によれば、本像は実際の風貌に忠実というより、より理想化した大師像を追い求めた像容だという。

こうした早い時期の肖像彫刻は数が少ない。鎌倉時代より前にさかのぼる智証大師の彫像はわずかで、園城寺の二軀はその基準作として扱われている。本像は明治33年(1900)に重要文化財、昭和27年(1952)に国宝へと指定された。

大師堂をとりまく寺

園城寺は、三井寺の名で広く知られる。琵琶湖南岸の高台に建ち、境内には国宝・重要文化財が数多く残る。三井寺という通称は、天智・天武・持統の三帝が産湯に用いたと伝わる霊泉に由来する。金堂や、国宝の黄不動など、目を引く寺宝には事欠かない。

中尊大師がまつられる大師堂は、塀でかこまれた唐院の内にある。一般の参拝者は立ち入れない一郭である。唐院の名は、円珍が唐での修行から持ち帰り、ここに収めた経典類にちなむ。秘仏そのものを目にする機会は限られるが、三重塔や潅頂堂を横に見ながら門前まで歩くと、なぜここが寺の最も神聖な場所とされてきたのかが感じ取れる。

半日を過ごす見どころは多い。西国三十三所観音霊場の第十四番札所である観音堂からは、眼下に琵琶湖が広がる。鐘楼の鐘は近江八景の「三井の晩鐘」として知られ、日本三名鐘の一つに数えられる。春には千本を超える桜が境内を彩り、秋には参道の紅葉が色づく。門の近くには、二百年余り続く店が抹茶きな粉をまぶした三井寺力餅を供している。

最寄りは京阪石山坂本線の三井寺駅で、徒歩7〜10分ほど。JR大津駅・大津京駅からは京阪バスの便もある。境内は日中の拝観で入山料がいる。中尊大師の前に立ちたいなら、10月29日の一日に合わせて計画したい。なお、像の写真撮影は許されていない。

Q&A

Q三井寺を訪ねれば、この像を見られますか。
A拝観できるのは年に一日だけです。中尊大師は秘仏で、円珍の命日にあたる10月29日の「智証大師御祥忌法要」に際して開扉されます。それ以外の日は厨子が閉じられたままですが、境内自体は通常どおり参拝できます。
Qなぜ智証大師像が二軀あるのですか。
A入滅後まもなく弟子たちが二軀の肖像を作ったと伝わります。一軀は遺骨を納める御骨大師で、二軀のうちやや古いとされます。もう一軀がここで取り上げた中尊大師で、仏壇の中央に安置されます。いずれも国宝で、大師堂に並んでまつられています。
Q公式の名称と寺で使われる名前が違うのはなぜですか。
A国の指定名称は「御廟安置」、寺では仏壇中央の像という意味で通称「中尊大師」と呼びます。指すのは同じ一軀で、二つの呼び名はそれぞれ像の別の側面を表しているだけです。
Q像はいつ頃のもので、円珍とはどんな人物ですか。
A制作は10世紀です。円珍(814〜891)は唐で学んだ天台僧で、園城寺を中興し、天台寺門宗の祖と位置づけられます。智証大師は、その諡号です。
Q拝観できたとき、どこに注目すればよいですか。
A頭頂のとがった卵形が、円珍像であることを最もよく示します。顔や衣に残る彩色も見どころで、髭のそりあとの描写や、衣の遠山文様がよく残っています。

基本情報

名称木造智証大師坐像(御廟安置)/通称 中尊大師
所在地滋賀県大津市 園城寺(三井寺)
所有者園城寺
指定区分国宝(彫刻)。明治33年(1900)4月7日に重要文化財、昭和27年(1952)11月22日に国宝指定
時代平安時代・10世紀
員数・寸法1軀/像高84.3センチ
品質木造(ヒノキ)・彩色
公開秘仏。毎年10月29日の智証大師御祥忌に開扉。像の写真撮影は不可
アクセス京阪石山坂本線「三井寺」駅から徒歩7〜10分。JR大津駅・大津京駅から京阪バス

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース(木造智証大師坐像(御廟安置))
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/207
総本山三井寺 智証大師生誕1200年記念 公式サイト
https://miidera1200.jp/
びわ湖汽船 びわ湖周辺観光 三井寺(長等山園城寺)
https://www.biwakokisen.co.jp/tourist_info/6015/
びわ湖大津トラベルガイド 園城寺(三井寺)
https://otsu.or.jp/thingstodo/spot75

最終更新日: 2026.06.10