遺骨を納めた円珍の御影像

寛平3年(891年)に円珍が78歳で入滅すると、その遺体は荼毘に付された。園城寺に残る木造の坐像は、この遺骨を内に納めたと言われ、「御骨大師(おんこつだいし)」の名で寺内に尊崇されてきた。智証大師円珍をかたどった肖像彫刻であり、滋賀県大津市、琵琶湖の南西岸に広がる三井寺(園城寺)に伝わる。

円珍(814年~891年)は、延長5年(927年)に醍醐天皇から智証大師の諡号を贈られた天台宗の高僧である。第5代天台座主をつとめ、のちに天台寺門宗の宗祖と仰がれた。三井寺は今もその寺門派の総本山にあたる。

御骨大師は唐院の大師堂内、中尊大師像の向かって左の厨子に安置されている。同じく国宝に指定される二体の智証大師坐像のうち、御骨大師は古い方とされ、9世紀末、円珍の没後まもない頃の作と考えられている。中央に座す中尊大師像は、これよりやや下る時期に位置づけられることが多い。

国宝に指定された理由

本像は明治33年(1900年)に重要文化財(旧国宝)に指定され、昭和27年(1952年)11月22日に国宝となった。特定の人物をかたどる肖像彫刻は日本では古来そう多くなく、9世紀にさかのぼる作例はとりわけ少ない。被写体の生前に近い時期につくられ、しかも一宗派の祖師に結びつく像であることが、同時代の彫刻のなかでも本像の位置を際立たせている。

遺骨との関わりも、本像を特別なものにしている。円珍の遺骨を納めるとされるため、寺はこれを格別に手厚く守り、長く一般の拝観から遠ざけてきた。写真の掲載も制限されており、像容についての詳しい記述が乏しいのはそのためである。

像のかたちには明確な系譜がある。各地に残る円珍の肖像は、卵形に高く張った頭頂と細く半ば閉じた眼を共通の特徴とし、後世の人々はこれを祖師の真の面影と受け止めた。中尊大師像にはこの特徴がはっきりと認められ、御骨大師もまた同じ型を受け継いでいる。生身の師の記憶がまだ新しいうちにかたちづくられた像である。

その記憶が重んじられた背景には、天台宗の分裂がある。円珍の没後、その門流と先師円仁の門流との対立が激しさを増し、円珍方は比叡山を下りて園城寺に拠った。延暦寺を本拠とする山門派に対する寺門派の成立であり、祖師の遺骨を納めた像は、その拠りどころとなった。

三井寺でたどる円珍の足跡

はじめに記しておきたいのは、御骨大師が秘仏であり、決まった日程ではなく特別な行事の際にのみ開扉されるという点である。同じ大師堂の中尊大師像は毎年10月29日、円珍の命日に開帳されるが、御骨大師はこの年中行事の対象ではない。したがって、像そのものを目当てにするよりも、祖師円珍の生涯をたどるつもりで訪ねるのがよい。

その生涯は、史料の面でも恵まれている。令和5年(2023年)5月、円珍が遺した文書群「智証大師円珍関係文書典籍」がユネスコの「世界の記憶」に登録された。三井寺と東京国立博物館が所蔵する国宝56件からなり、9世紀に唐の役所が円珍に交付した通行許可証「過所」など、現存例の少ない貴重な文書を含む。これらの一部は寺の文化財収蔵庫で公開されており、秘された御骨大師がかたどる人物に直に触れる手がかりとなる。

唐院の一帯は、ゆっくり歩く価値がある。円珍が唐から持ち帰った経典類を納めた場であり、四脚門から灌頂堂、唐門を経て大師堂へと一直線に続く堂宇の並びは、密教を中心とする寺門の歴史的な中核をなしている。

園城寺の周辺

三井寺は琵琶湖を見おろす長等山の中腹に広がり、その規模は初めて訪れる人を驚かせる。源平の争乱や南北朝の動乱のなかで焼き討ちと再建を繰り返してきたことから、「不死鳥の寺」とも呼ばれてきた。

本堂にあたる金堂には秘仏の弥勒菩薩がまつられ、建物自体も国宝に指定されている。寺にはまた、日本三不動の一つに数えられる絵画「黄不動」が伝わる。これは円珍が山中での修行のさなかに感得したと言われる不動明王の姿に由来する。近江八景の一つ「三井の晩鐘」は、その音色によって国内有数の梵鐘に挙げられている。

歩を進めて観音堂に至れば、西国三十三所観音霊場の第十四番札所として知られ、琵琶湖と大津の街を一望できる。京都からは電車で短時間の距離にあり、湖岸の散策や比叡山とあわせて一日の行程に組み込みやすい。

交通の便もよい。京阪石山坂本線の三井寺駅からは徒歩約10分、JR琵琶湖線の大津駅やJR湖西線の大津京駅からは京阪バスで「三井寺」下車すぐである。

Q&A

Q参拝すれば御骨大師を見られますか。
A通常は見られません。閉じた厨子に納められた秘仏で、特別な行事の際にのみ開扉されます。唐院の一帯や寺の諸堂、文化財収蔵庫の公開資料をめぐるつもりで訪ねるのがよいでしょう。
Qもう一体の智証大師像とはどう違うのですか。
Aどちらも国宝の円珍肖像です。御骨大師は古い方の像で遺骨を納めるとされ、中尊大師は大師堂の中央に座し、毎年10月29日に開帳されます。
Q円珍とはどのような人物ですか。
A円珍(814年~891年)、後の智証大師は、唐に渡って学んだ天台宗の僧で、第5代天台座主となり、三井寺を本拠とする寺門派の祖となりました。
Qこの像に関わるもので拝観できるものはありますか。
A寺の文化財収蔵庫では、2023年に登録された世界の記憶「智証大師円珍関係文書典籍」の資料が公開され、像がかたどる円珍に直につながる内容となっています。
Q三井寺へはどう行けばよいですか。
A京阪石山坂本線の三井寺駅から徒歩約10分です。JRの大津駅または大津京駅からは、京阪バスで「三井寺」下車すぐです。

基本情報

名称木造智証大師坐像(御骨大師)
指定区分国宝(彫刻)。明治33年(1900年)重要文化財指定、昭和27年(1952年)11月22日国宝指定
時代平安時代。9世紀末の作とされる
員数・品質木造坐像 1躯
所在地園城寺(三井寺)/滋賀県大津市園城寺町
所有者園城寺
公開状況秘仏。通常は非公開
拝観時間9:00~16:30(受付終了16:00)、年中無休
入山料大人800円、中高生500円、小学生300円

References

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/208
三井寺(園城寺)参拝案内
https://miidera1200.jp/information/
智証大師円珍 関係文書典籍(ユネスコ「世界の記憶」)
https://miidera-museum.jp/unesco/
智証大師円珍(びわ湖大津歴史百科)
https://rekishihyakka.jp/culturalheritages/m-h002/
円珍関係文書(e国宝・国立文化財機構)
https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100166&content_pict_id=0

最終更新日: 2026.06.10