秋野鹿蒔絵手箱とは

縦22.7センチ、横29.7センチ、高さ16.1センチ。掌中に収まるほどの小さな箱の蓋に、流れに沿う土坡と咲き乱れる萩、そして草間に憩う鹿の姿が、金粉と螺鈿によって描き出されています。秋野鹿蒔絵手箱(あきのしかまきえてばこ)は、鎌倉時代に制作された蒔絵手箱の優品であり、島根県の出雲大社に伝来した宝物です。昭和27年(1952)3月29日に国宝に指定されました。それに先立つ明治35年(1902)7月31日には、近代の文化財保護制度の早い段階で重要文化財(旧国宝)の指定を受けています。

手箱とは、化粧道具や筆記具など身近な調度を納めるための箱で、平安時代以降、貴族の生活調度として蒔絵や螺鈿の装飾が施されるようになりました。本品がいつ、誰によって出雲大社に納められたのかを記す史料は残っていませんが、神宝として奉納されたものと考えられています。

器形は、蓋と身が段差なく合わさる合口造り。口縁には錫の置口がめぐらされ、側面には萩の花房を透彫りした金銅製の鐶座が打たれています。内部には二重の懸子(かけご)を備えており、調度としての実用性と装飾性を兼ねた構成です。

国宝指定の理由と価値

文化庁の解説は、本品の性格を二つの時代の交点として位置づけています。すなわち、全体としては平安時代の作風を受け継いだ優雅で繊麗な趣に満ちる一方、蓋の甲盛りが高く、胴が張った量感のある器形、緻密になった図様、そして各種の粉蒔きを駆使した変化に富む技法に、鎌倉時代の蒔絵の特色が表れているという評価です。

地は梨地。細かい金の平目粉を蒔いて梨の果皮のような肌合いを出した上に、精巧な研出蒔絵で文様を表し、螺鈿を交えています。注目すべきは粉蒔きの使い分けで、岩石、草木の葉や幹、鹿の背などに梨地を用いることで、ひとつの図様の中に色彩的な変化を生み出しています。研出蒔絵は、文様を漆で塗り込めたのちに研ぎ出して平滑に仕上げる技法であり、磨き上げられた面と粒立つ梨地との対比が、輪郭線に頼らずに景物を描き分ける効果を上げています。

蓋裏と懸子にも装飾は及び、研出蒔絵によって土坡に女郎花、笹竜胆、柳などが描かれています。蓋表の華やぎに対し、内側には静かな秋草の景が広がる構成です。

意匠と技法の見どころ

蓋甲の意匠は、流れに沿う土坡の上に萩が乱れ咲く秋野の景で、箱の周囲もほぼ同様の図様で統一されています。鹿と萩の取り合わせは、秋の野に妻を恋う鹿の声を詠んだ和歌の伝統に根ざす画題で、工芸意匠としても長く愛好されてきました。本品では、その類型的な画題が、流れ、土坡、草花、鹿を一続きの風景としてまとめる写実的な構成によって表現されている点が見どころです。

令和2年(2020)には東京国立博物館の特別展「出雲と大和」に出品され、出雲大社に奉納された美術工芸の代表作として広く紹介されました。令和6年(2024)春には出雲大社宝物殿での特別公開も行われています。

原品の公開は機会が限られており、通常、出雲大社の宝物殿(神祜殿)では精巧な複製が展示されています。実物との出会いは稀であるからこそ、特別公開や展覧会の情報を見逃さないようにしたいところです。

公開状況と周辺情報

神祜殿(しんこでん)は出雲大社境内に建つ宝物殿で、昭和56年(1981)に建築家・菊竹清訓の設計により竣工しました。「平成の大遷宮」を記念した改修を経て展示が一新され、平成12年(2000)に境内から出土した古代本殿の心御柱など、考古遺物と社宝をあわせて見ることができます。拝観は有料で、原品の特別公開などの情報は出雲大社の公式サイトで告知されます。

出雲大社は大国主大神を祀る古社で、御本殿は建造物として国宝に指定されています。松並木の参道から拝殿、八足門へと進む参拝路をゆっくり歩いたあと、神祜殿へ立ち寄る順路が自然です。

境内の東隣には島根県立古代出雲歴史博物館があり、荒神谷遺跡出土の銅剣をはじめとする国宝の青銅器群を間近に見られます。交通は、一畑電車の出雲大社前駅から徒歩約10分、JR出雲市駅からはバスで約25分。西へ徒歩15分ほどの稲佐の浜は、神在月に全国の神々を迎える浜として知られ、参拝とあわせて訪ねる人の多い場所です。

Q&A

Q秋野鹿蒔絵手箱の実物はいつ見られますか。
A原品の公開は特別な機会に限られます。通常は神祜殿(宝物殿)で複製が展示されており、令和6年(2024)春の宝物殿特別公開のような機会は出雲大社の公式サイトで告知されます。
Q制作者や奉納の経緯は分かっていますか。
A作者名や奉納の記録は残っておらず、神宝として納められたものと考えられています。様式から鎌倉時代の制作と判断されています。
Q研出蒔絵とはどのような技法ですか。
A金粉などで文様を描いたのち、全体を漆で塗り込め、表面を研いで文様を再び現す技法です。文様が地と同一面に仕上がり、滑らかで深みのある光沢が得られます。
Qなぜ鹿と萩が描かれているのですか。
A秋の野で鳴く鹿と萩の花は、万葉集以来の和歌に詠み継がれた秋の景物の組み合わせで、絵画や工芸の意匠としても定着しました。本品はこの伝統的画題を風景的な構成で表しています。
Q神祜殿の見学にはどのくらい時間がかかりますか。
A宝物殿のみであれば30〜40分が目安です。境内参拝と古代出雲歴史博物館をあわせると半日程度を見込むとゆとりがあります。

基本情報

名称秋野鹿蒔絵手箱(あきのしかまきえてばこ)
指定区分国宝(工芸品) 昭和27年(1952)3月29日指定/明治35年(1902)7月31日重要文化財指定
員数1合
時代鎌倉時代
寸法縦22.7cm 横29.7cm 高16.1cm
技法梨地に研出蒔絵、螺鈿併用。錫置口、金銅鐶座、二重懸子付
所有者出雲大社(島根県出雲市大社町杵築東)
公開状況神祜殿(宝物殿)にて複製を展示。原品は特別公開・展覧会出品時のみ
アクセス一畑電車「出雲大社前」駅から徒歩約10分/JR出雲市駅からバス約25分

参考文献

国指定文化財等データベース 秋野鹿蒔絵手箱(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/346
文化遺産オンライン 秋野鹿蒔絵手箱
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/177972
出雲大社 神祜殿
https://izumooyashiro.or.jp/precinct/keidai-index/shinkoden
出雲大社 国宝「秋野鹿蒔絵手箱」などの公開について
https://izumooyashiro.or.jp/archives/news/10877
WANDER 国宝 秋野鹿蒔絵手箱
https://wanderkokuho.com/201-00346/

最終更新日: 2026.06.11