曲がった梁を抱えた蔵

稲積家住宅下の蔵は、島根県邑智郡邑南町井原にある江戸末期の土蔵で、平成19年(2007年)12月5日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。主屋の東方に南北棟で建ち、同じ敷地のもう一棟の蔵とは棟の向きが直交する。なお「稲積」の読みは「いなづみ」ではなく「ほづみ」であり、文化庁データベースと文化遺産オンラインはいずれも後者を記録している。

「下」は位置を指す言葉で、主屋の背後に建つ背戸の蔵と区別するための家内の呼び名である。一軒の屋敷に蔵が二棟あれば呼び分けが要る。農家がそこに凝った名を付けることはあまりなかった。

建物は土蔵造2階建。桁行5間半、梁間3間、建築面積60平方メートル、屋根は切妻造の石州瓦葺。戸口は主屋に向く西面に2箇所開く。1階の内部は2室に分かれる。

内転びの柱と、湾曲した枕梁

文化庁の解説文には、注目に値する点が二つある。いずれも外から眺めた姿ではなく、軸組の組み方に関わることである。

ひとつは柱。1階も2階も3尺間隔、およそ91センチで立ち、しかも内転びに立てられている。頂部をわずかに内へ傾ける立て方である。大工がこの転びを蔵に用いたのは実用のためだった。上へ向かってすぼまる軸組は、内に積まれた俵や道具が壁を外へ押す力に抗し、沈下の癖も読みやすく、外面の土壁も付きがよい。目にも働く。垂直に立てた面より、傾けた面のほうが安定して見える。同じ理屈は塔や城の石垣にも通う。

もうひとつは、たった一本の材である。頭上では登梁が斜めに上がって地棟に取り付き、その地棟を枕梁が受ける。ここでの枕梁は、湾曲材である。真っ直ぐな材が反ったのではなく、そう育った木を選び、その曲がりに仕事をさせている。

この選択には立ち止まる価値がある。江戸末期であれば製材した直材も手に入った。手本どおりに組む大工なら直材を使ったはずである。曲がった木を構造材に選ぶということは、一本ごとに木目の走りを読み、荷がどこへ落ちるかを見定め、二度と繰り返さない形に合わせて仕口を刻むということだ。そうして建った建物は、ほかのどの建物ともわずかに違う。短い解説文がこの一点にわざわざ触れているのは、そのためだろう。

見どころと行き方

戸口の並ぶ西側に立ち、壁を正面から見るのではなく、壁沿いに視線を走らせてみたい。軸組の内転びは、漆喰の面が軒に向かってかすかにすぼまる線として現れる。目立つものではない。曇った午後には気づかないまま終わることもあり、光が動いた拍子に線が浮かぶ。

屋根は石州瓦。石見の海沿いの窯で焼かれた鉄釉の瓦が、この地域一帯の赤褐色をつくっている。蔵の屋根は面積が小さいぶん、主屋の大屋根と違って一個の物としてまとまって見える。

内部に入れる場合は、1階の2室と、頭上の枕梁を探したい。この屋敷の蔵は展示施設として整えられてはいない。そこが面白いところで、軸組は解説する立場ではなく、いまも仕事をする立場に置かれている。

敷地には登録文化財が四棟あり、いずれも平成19年12月の同じ日に登録された。江戸末期の主屋(明治43年に瓦葺へ改修)、軒まで塗り込めた壁で知られる背戸の蔵、この下の蔵、そして昭和5年(1930年)の門で、門の間口は2.1メートル。稲積家は井原村の庄屋を務めた家で、屋敷は四つの項目というより一つの生活の単位として読める。

見学は事前連絡が前提となる。邑南町観光協会は「公開(要連絡)」とし、問い合わせは井原公民館(0855-95-0301)。町の行事に使われる日もある。駐車場はあり、料金の掲載はない。邑南町に旅客鉄道はなく、浜田自動車道の瑞穂ICから車で約30分。瑞穂ICへは広島駅から高速バスが通じている。撮影の可否は連絡時に確認しておきたい。

Q&A

Q稲積家住宅下の蔵の構造は、どこが特徴的なのですか。
A二点あります。柱は1階2階とも3尺間隔で立ち、頂部をわずかに内へ傾ける「内転び」に立てられています。蔵の内に積まれた荷が壁を押す力に抗する立て方です。もう一点は、地棟を受ける枕梁に湾曲材を用いていること。文化庁の解説文が短いなかでこの一点に触れています。
Q稲積家住宅下の蔵という名前の由来は。背戸の蔵とはどう違いますか。
A「下」は位置を示す呼び名で、主屋の裏手に建つ背戸の蔵と区別するためのものです。向きと細部も異なります。下の蔵は主屋の東方に南北棟で建ち戸口は西面、背戸の蔵は主屋の北背面に東西棟で建ち、壁を軒まで塗り込めた置屋根で知られます。
Q稲積家住宅下の蔵の規模と建築年代を教えてください。
A土蔵造2階建で桁行5間半・梁間3間、建築面積60平方メートル、屋根は切妻造の石州瓦葺です。文化庁は年代を江戸末期、西暦1830年から1867年の間としています。同じ敷地の背戸の蔵が56平方メートルですから、こちらがやや大きい計算になります。
Q稲積家住宅下の蔵は見学できますか。料金はかかりますか。
A稲積家住宅は「公開(要連絡)」と案内されており、問い合わせ先は井原公民館(0855-95-0301)です。料金の掲載はありません。蔵は展示施設ではないため、内部に立ち入れるかどうかは事前にご確認ください。駐車場はあります。浜田自動車道 瑞穂ICから車で約30分です。
Q稲積家住宅下の蔵は重要文化財ですか。
Aいいえ。登録有形文化財(建造物)で、登録番号は32-0059、登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」です。登録制度は平成8年(1996年)に始まった届出制中心の緩やかな保護措置で、許可制の指定制度によって守られる重要文化財や国宝とは枠組みが異なります。

基本情報

名称稲積家住宅下の蔵(ほづみけじゅうたくしたのくら)
所在地島根県邑智郡邑南町井原1189(〒696-0101)
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号32-0059 登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
指定年登録年月日 平成19年(2007年)12月5日/登録告示 同年12月19日
員数1棟
寸法土蔵造2階建、瓦葺、建築面積60平方メートル。桁行5間半・梁間3間、切妻造石州瓦葺、柱は3尺間隔に内転び、枕梁に湾曲材
所有者個人。文化庁データベースに所有者名の記載なし
公開状況公開(要連絡)。問い合わせは井原公民館 0855-95-0301。駐車場あり。浜田自動車道 瑞穂ICから車で約30分

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)稲積家住宅下の蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00006399
文化遺産オンライン 稲積家住宅下の蔵
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/171702
島根県 登録有形文化財(建造物)一覧
https://www.pref.shimane.lg.jp/life/bunka/bunkazai/shimane/tourokubunkazai2.html
邑南町観光協会 稲積家住宅
https://ohnan-kanko.com/ohnanpost/836
邑南町観光協会 邑南町へのアクセス
https://ohnan-kanko.com/ohnanaccess

最終更新日: 2026.08.21