箱根八里に残る石畳と杉並木——東海道随一の難所

延宝8年(1680)、徳川幕府は1,406両もの金を費やして、箱根峠に大型の安山岩を敷きつめた。それまで雨が降れば旅人のすねまで没するほどの泥道で、滑り止めに敷かれていた箱根竹も大雨には歯が立たなかった。完成した二間幅(約3.6メートル)の石畳道が、今日「箱根旧街道」と呼ばれる近世東海道の核となる。

箱根旧街道は、小田原宿から芦ノ湖畔の箱根宿を経て三島宿に至る八里(約32キロメートル)の山越え区間で、標高約25メートルの三島宿から846メートルの箱根峠まで上り、再び海抜10メートルほどの小田原宿へ下る大きな高低差を持つ。「箱根の山は天下の険」と歌われた東海道第一の難所であり、参勤交代の大名行列も、京へ上る商人も、伊勢参りの庶民も、皆この険路を歩いて越えなければならなかった。

現在、神奈川県箱根町と静岡県三島市・函南町の三市町に石畳・並木道・一里塚の遺構が断続的に残り、これらをまとめて国指定史跡「箱根旧街道」としている。江戸の交通史を地面そのもので味わえる、稀有な文化財である。

箱根八里が拓かれるまで

慶長9年(1604)、徳川幕府は東海道の整備にあたり、それまでの足柄道に代えて箱根越えのルートを新たに開いた。三島宿から笹原・山中を経て箱根峠を越え、芦ノ湖南岸の箱根宿に至るまでが四里。箱根宿から元箱根、二子山の南をめぐって須雲川の渓谷沿いに畑宿・湯本・三枚橋まで下り、そこから小田原宿に達するまでがさらに四里。合わせて八里、大人の足でほぼ丸一日の行程である。

三島から箱根峠までを「西坂」、箱根峠から小田原までを「東坂」と呼び分ける。西坂は比較的緩やかながら長く、東坂は短いが急で曲折が多い。橿木坂・猿滑坂・追込坂など難所の名は江戸時代の道中記にしばしば登場する。

整備当初の路面は箱根竹を束ねて敷き並べたものだったが、雨後はぬかるみが膝下に及ぶことも珍しくなく、抜本的な対策が求められた。延宝8年(1680)、幕府は金1,406両余を投じて二間幅の石畳道を完成させた。文久2年(1862)には14代将軍徳川家茂の上洛に備えて再整備が行われ、街道の体裁が一段と整えられた。明治期の歌人・滝廉太郎の唱歌『箱根八里』が「昼なお暗き杉の並木」と謳い、歌川広重が天保期の浮世絵に険しい連山と大名行列を描いたのも、この箱根越えの強烈な印象ゆえである。

史跡指定の経緯と意義

箱根旧街道が国の史跡に指定されたのは昭和35年(1960)9月22日。当初は神奈川県箱根町に残る石畳と並木を伴う街道部分のみが対象であった。平成16年(2004)10月18日には大規模な追加指定が行われ、畑宿の石畳と一里塚2基、函南町の接待茶屋付近の石畳と一里塚、三島市内の4か所の街道部分と一里塚など、計5.05キロメートルが新たに加わった。

同時に、大正11年(1922)3月8日に独立した国史跡として指定されていた「錦田一里塚」(三島市、日本橋から28里目)も本史跡に統合された。錦田一里塚は街道の両側に塚を一対残し、塚上には榎の大木が今も生きている。一里塚としては全国でも屈指の保存状態である。

史跡指定の根拠となる基準は第六「交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡」。寺院や城跡ではなく、江戸の人と物の移動を支えた「働く道」そのものを国民共有の遺産として残したという点に、本史跡の特色がある。

見どころ——三つの遺構を歩いて見比べる

箱根旧街道の見どころは大きく三つに分けられる。石畳、一里塚、そして杉並木である。一日歩けば、その三つを順に観察できる。

石畳——延宝の土木技術

三島市が平成6年から9年にかけて行った復元整備に先立つ発掘調査により、石畳の構造が詳細に判明している。一辺30〜70センチメートル・厚さ20〜30センチメートル程度の大型の安山岩を道の両側に直線的に並べ、その内側にやや小型の石材を隙間なく敷き詰めた、幅二間(約3.6メートル)を基本とする構造である。石材はローム層の上に直に据えられており、特別な基礎構造は持たない。大型で重量のある石を組み合わせることで自重による安定を得る合理的な設計だが、傾斜の強い箇所や不安定な石材の下には粘土と小石を混ぜた基礎材が敷かれることもあった。

石材は街道周辺の沢筋——三島側では来光川など——から運ばれた板状に割れる安山岩である。注目したいのは排水の工夫で、街道を斜めに横切るかたちで上流側に小さい石、下流側に大きい石を斜めに敷いて段差を作り、雨水を路面外へ逃がす「斜めの排水路」が随所に設けられている。東坂の白水坂では江戸時代の石材がそのまま残り、この排水構造を実際の路面で観察できる。

三島市の復元事業では、笹原・上長坂・浅間平・腰巻・願合寺の5地区計約2キロメートルの整備に、原材と組成のよく似た小田原市根府川産の安山岩が用いられた。

一里塚——距離と賃金の目印

一里塚は江戸日本橋を起点に一里(約4キロメートル)ごとに街道の両側へ築かれた直径約10メートルの円形の塚で、塚上には榎や松など風雪に強い樹木を植えた。距離の目安としてだけでなく、馬子や駕籠かきの賃金交渉の基準にも用いられた、極めて実用的な施設である。

箱根旧街道では、東坂の畑宿一里塚(日本橋から23里)、西坂の山中・笹原・錦田の三か所、函南町の接待茶屋付近(同26里)の一里塚が史跡指定範囲に含まれている。畑宿一里塚は平成10年(1998)に完全復元され、街道の両側に対をなして当時に近い姿で立つ。中でも錦田一里塚は明治後期の道路改修でも撤去を免れ、両側の塚を完全な形で残す全国的にも希少な例として、はやくも大正期に史跡指定を受けている。

杉並木——元和期の植林と昭和の発見

元箱根から県立恩賜箱根公園まで、芦ノ湖畔の旧道沿いに約500メートル続くのが箱根旧街道杉並木である。元和4年(1618)、箱根宿の設置にあたり、川越城主・松平正綱が幕命を受けて植林したと伝わる。樹齢350〜400年の杉が400本余り残り、幹回り4メートルに達する大木も含まれる。箱根町教育委員会が伐採木の年輪を測定した結果、現存する木の多くは万治3年(1660)頃に植えられたものと推定されている。

東海道の並木の多くは松だが、芦ノ湖畔だけが杉である。冷涼な気候が松よりも杉に適していたこと、そして街道が箱根権現(現・箱根神社)の参道を兼ねており、神域の樹種として杉が選ばれたことが理由とされる。

明治37年(1904)、湯本から芦ノ湖畔に至る箱根新道の工事費を捻出するため、松と杉あわせて千本余りが伐採売却された過去がある。現在残る並木はその後の生き残りであり、近年は根接ぎ治療など保護措置が続けられている。

歩いて訪ねる

最も人気の高いコースは箱根湯本駅から芦ノ湖畔の元箱根まで。距離約11.5キロメートル、高低差約680メートル、所要時間4〜5時間が目安となる。日本橋から22里目にあたる湯本茶屋一里塚跡を過ぎ、畑宿一里塚の手前で山道に入ると、いよいよ江戸時代の石畳が断続的に現れる。畑宿の集落を抜けると七曲りと呼ばれる急な九十九折が始まり、東坂最大の難所・橿木坂、続く猿滑坂を越える。

峠を越えた先で甘酒茶屋に至る。江戸初期の創業以来12代続く茶屋で、米と米麹のみで仕込んだ無加糖の甘酒が看板品である。隣接する箱根旧街道資料館には旅道具や石畳の発掘資料が展示されている。茶屋から先は白水坂・於玉坂・権現坂を経て杉並木へ。元箱根の街並みが見えてくれば、4〜5時間ほどの行程の終盤である。

西坂は東坂より長く、樹林もまばらだが、その分歩く人が少ない。箱根峠から接待茶屋・山中城跡・笹原一里塚・三島塚原を経て三嶋大社・三島駅に至る20キロメートル弱の行程で、健脚向きの一日コースとなる。山中城跡から笹原一里塚までの区間に復元石畳が集中するため、半日歩きであればこの区間が最も充実する。

石畳は雨や朝露で濡れると非常に滑りやすい。下りでは特に注意が必要で、トレッキングシューズなど靴底の硬い履物を推奨する。令和元年(2019)の東日本台風で函南町側の甲石坂区間が流出し通行止めとなっており、復旧工事が継続中のため、出発前に各自治体の最新情報を確認したい。

周辺の見どころ

東坂の途中にある畑宿は、江戸後期から続く木工芸「箱根寄木細工」の発祥地として知られる。集落のなかに数軒の工房があり、完成品の販売だけでなく寄木の体験コースも提供している。緻密な幾何学文様は箱根の多様な広葉樹を活かしたもので、文化財の道を歩いたあとに立ち寄るのにふさわしい。

元箱根の芦ノ湖畔には、復元された箱根関所が立つ。元和5年(1619)から明治2年(1869)まで、いわゆる「入鉄砲出女」を取り締まった東海道屈指の関所で、現在の建物は平成19年(2007)に古文書をもとに復元された全国的にも精密な復元事例である。隣接する箱根関所資料館には、関所手形や旅道具など江戸の交通管理の実態を示す資料が並ぶ。

西坂の終点・三島宿の中心に鎮座するのが三嶋大社。伊豆国一宮であり、箱根峠を控えた旅人の道中安全祈願の社として古くから篤い信仰を集めた。境内には樹齢1,200年とされる金木犀の大木が立ち、これも国の天然記念物に指定されている。東坂の終点・小田原宿には小田原城跡や小田原宿なりわい交流館があり、東海道随一の城下町の構成を今に残す。

Q&A

Q史跡指定されているのはどの範囲ですか。
A昭和35年指定の箱根町分に加え、平成16年の追加指定で新たに5.05キロメートルが加わりました。畑宿の石畳と一里塚、函南町接待茶屋付近の石畳と一里塚、三島市内4か所の街道部分などです。同時に大正11年指定の錦田一里塚も統合されています。箱根八里全体(約32キロメートル)のうち、石畳や並木・一里塚として残存する部分が指定対象となります。
Qいま見える石畳は江戸時代のものですか、それとも復元ですか。
A両方混在しています。東坂の白水坂や大澤坂には延宝期の石材が現存し、現地に「これより江戸時代の石畳」という案内板が立てられています。一方、三島市側の5地区約2キロメートルなどは平成6〜9年度に復元整備されたもので、原材と組成の近い小田原市根府川産の安山岩が使われました。
Q全区間を一日で歩けますか。
A健脚なら小田原から三島までの32キロメートルを一日で歩く方もいますが、初めての訪問では二日に分けるのが現実的です。東坂(箱根湯本→元箱根、約11.5キロメートル)と西坂(箱根峠→三島、約20キロメートル)でそれぞれ半日〜一日かかります。バス路線が併走しているので、途中で切り上げて路線バスで戻ることもできます。
Q訪問に適した季節はいつですか。
A10月下旬から12月初旬の紅葉期、4月中旬から5月下旬の新緑期が最も歩きやすい時期です。6月から7月初旬の梅雨期は石畳が滑りやすく、転倒事故が少なくないため避けたほうが無難です。冬季も歩行は可能ですが、標高500メートル以上では積雪することがあります。
Q入場料はかかりますか。
A街道そのものは公道で、自由に歩けます。沿道の箱根関所、箱根関所資料館、箱根旧街道資料館などはそれぞれ別途入館料がかかります。

基本情報

名称箱根旧街道(はこねきゅうかいどう)
所在地神奈川県足柄下郡箱根町、静岡県三島市・田方郡函南町
種別国指定史跡
時代近世(江戸時代) 慶長9年(1604)開設、延宝8年(1680)石畳化、文久2年(1862)再整備
指定年月日昭和35年(1960)9月22日 追加指定 平成16年(2004)10月18日 錦田一里塚は大正11年(1922)3月8日に独立指定後、本史跡に統合
指定基準第六 交通・通信施設、治山・治水施設、生産施設その他経済・生産活動に関する遺跡
追加指定延長(平成16年)5.05キロメートル
アクセス東坂は箱根登山鉄道「箱根湯本駅」が起点。西坂はJR東海道新幹線「三島駅」から東海バス元箱根港行きを利用。
入場料街道部分は無料。沿道の各施設は別途料金。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)「箱根旧街道」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/798
文化遺産オンライン「箱根旧街道」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/216199
三島市公式ホームページ(文化財課)「箱根旧街道(国指定文化財「史跡」)」
https://www.city.mishima.shizuoka.jp/page/2120.html
箱根町観光協会公式サイト「旧街道石畳」
https://www.hakone.or.jp/6316
箱根町観光協会公式サイト「元箱根旧街道杉並木」
https://www.hakone.or.jp/520
箱根ナビ(箱根町役場)「畑宿エリアガイド」
https://www.hakonenavi.jp/area/hatajyuku/

最終更新日: 2026.05.18