三十人の結縁者が遺した平安の祈り

永治元年(1141)前後、院政期の宮廷で一つの写経事業が動き出した。法華経二十八品に開経『無量義経』と結経『観普賢経』を加えた全三十巻を、一人が一巻ずつ受け持って書写する。各巻の巻末には担当者の名が記され、そこには鳥羽法皇、皇后の待賢門院藤原璋子、美福門院、そして近臣や女房たちの名が連なる。

このうち十九巻が、静岡市清水区の鉄舟寺に伝来した。通称「久能寺経」。昭和27年(1952)11月22日に国宝(書跡・典籍)へ指定され、厳島神社の平家納経と並び称される平安装飾経の代表作である。現在は保存のため東京国立博物館に寄託されており、文化庁の国指定文化財等データベースで所在都道府県が「東京都」とされているのはこのためだ。

結縁一品経という形式

一巻を一人が分担して写す形式は「結縁一品経」と呼ばれる。書写や装飾に財を投じることで仏との縁を結び、作善の功徳を積む。末法到来への不安が貴族社会を覆っていた12世紀、こうした写経は信仰と美意識の両方を注ぎ込む場となった。久能寺経は、この形式でまとまって現存するものとしては最古の遺品である。

料紙はさまざまな色に染め分けられ、金銀の切箔、砂子、野毛が一面に撒かれる。経文を真っ直ぐ書くための界線は墨ではなく金泥や銀泥で引かれ、巻頭の見返しにはやまと絵風の絵画を持つ巻もある。絵の中に文字を隠し込む「葦手」の趣向を織り込んだ例も知られ、東京国立博物館所蔵の安楽行品(重要文化財)では、天地に金銀泥の蓮華や唐草文様が散らされている。

三十人がそれぞれ一巻を仕立てたため、料紙の色も装飾の密度も筆致も巻ごとに異なる。この一巻ごとの個性こそ、後の平家納経のような統一的な豪華さとは別種の見どころといえる。

国宝としての価値

第一に年代である。各巻の奥書や記録から、書写は永治元年(1141)の待賢門院出家に関わるとする見方が有力で、鳥羽上皇の出家に際してとする資料もある。いずれにせよ、長寛2年(1164)発願・仁安2年(1167)奉納の平家納経より二十年以上さかのぼる。装飾経の展開を考えるうえで、久能寺経は起点に位置する作品群なのである。

第二に、結縁者の名が巻末に残ることだ。誰がどの巻に関わったかが具体的に分かる写経は多くない。保元・平治の乱を目前にした院政期宮廷の人間関係を映す史料としても貴重である。

第三に伝存状況である。当初の三十巻のうち現存が確認できるのは26巻。鉄舟寺の19巻が国宝、兵庫県の個人蔵4巻も国宝、東京国立博物館の3巻(無量義経・法師品・安楽行品)と五島美術館の2巻が重要文化財で、4巻は所在不明とされる。なお鉄舟寺本19巻のうち2巻は後世の補配本とみる指摘もある。一寺院のもとに19巻がまとまって守られてきたこと自体が、伝来史の奇跡に近い。

都から駿河へ、久能寺から鉄舟寺へ

経巻は当初、鳥羽法皇ゆかりの安楽寿院に納められ、のちに駿河国の久能寺へ移ったと伝わる。なぜ都を遠く離れた駿河の山寺に渡ったのかは記録がなく、戦乱を避けた移送や、院の信仰圏と久能寺との関係を想定する説などが挙げられるにとどまる。

久能寺は、寺伝では推古天皇の時代に久能忠仁が久能山上に堂を建てたことに始まり、奈良時代に行基が伽藍を整えたとされる古刹である。中世には多数の僧坊を擁して栄えたが、16世紀後半、駿河へ侵攻した武田信玄が久能山の要害に城を築くため、寺は山麓の現在地(清水区村松)へ移された。移転の年は永禄11年(1568)から天正3年(1575)まで資料により幅がある。山上はのちに徳川家康を最初に祀る久能山東照宮の地となった。

江戸時代には朱印地を得て寺勢を保ったものの、明治維新後は無住となり荒廃する。これを再興したのが、江戸無血開城の交渉で知られる幕末の剣客・山岡鉄舟だった。明治16年(1883)に再建を発願し、鉄舟没後は清水の魚商芝野栄七らが遺志を継いで明治43年(1910)に完成。寺号も久能寺から鉄舟寺へ改められた。山上からの移転、廃寺寸前の荒廃、そして再興。その全てをくぐり抜けて、19巻の経巻は寺とともにあり続けた。

鑑賞の手引き

久能寺経の実物は鉄舟寺では拝観できない。19巻は東京国立博物館に寄託され、本館2室(国宝室)などで不定期に展示される。近年では2025年2月から3月、同年10月から11月にかけて国宝室で公開された実績があり、他館の特別展に出陳されることもある。常設展示ではないため、訪問前に同館の展示スケジュールの確認が欠かせない。展示時は撮影不可となる場合が多い点にも留意したい。国立文化財機構の「e国宝」では、関連する久能寺経の高精細画像をいつでも閲覧できる。

一方、鉄舟寺そのものは歴史の現場として訪ねる価値がある。有度山麓の高台に立ち、清水港や三保方面を望む。境内は拝観できるが、2025年1月時点で本堂・宝物殿への立ち入りは不可となっている。JR清水駅西口からバス(港南線または市立病院線)で約15分、「鉄舟寺」下車。

周辺情報

鉄舟寺を起点に、久能寺経ゆかりの地を半日でめぐることができる。東へ車で10分ほどの三保松原は、羽衣伝説の舞台であり富士山世界文化遺産の構成資産。久能寺の旧地に建つ久能山東照宮へは、日本平からロープウェイで渡るか、海岸側から1159段の石段を登る。日本平の山頂からは駿河湾越しの富士山が一望できる。清水港周辺には海鮮市場や次郎長ゆかりの史跡も点在し、歴史と港町の風景を組み合わせた行程が組みやすい。

Q&A

Q鉄舟寺へ行けば久能寺経を見られますか。
A見られません。19巻は東京国立博物館に寄託されており、同館の国宝室などでの展示期間中のみ実物を鑑賞できます。鉄舟寺は境内のみ拝観可能で、本堂・宝物殿は立ち入りできません(2025年1月時点)。
Q平家納経との違いは何ですか。
Aどちらも法華経を核とする豪華な装飾経ですが、久能寺経は1141年頃に鳥羽法皇周辺の宮廷人が書写したもので、平家一門が1167年に奉納した平家納経より古く、まとまって残る結縁一品経としては現存最古です。
Qなぜ19巻しか鉄舟寺にないのですか。
A当初の30巻のうち一部が長い伝来の間に寺外へ流出したためです。現在は鉄舟寺19巻と個人蔵4巻が国宝、東京国立博物館3巻と五島美術館2巻が重要文化財で、4巻は所在不明とされています。
Q「久能寺経」という名前の由来は何ですか。
A長く伝来した駿河国の久能寺にちなみます。久能寺は武田信玄の築城に伴い久能山から現在地へ移り、明治期に山岡鉄舟が再興した際、寺号が鉄舟寺と改められました。
Q展示情報はどこで確認できますか。
A東京国立博物館の公式サイトの展示スケジュールで確認できます。また「e国宝」(国立文化財機構)では関連巻の高精細画像を常時閲覧できます。

基本データ

名称法華経〈(久能寺経)〉
指定区分国宝(書跡・典籍) 昭和27年(1952)11月22日指定
員数19巻
時代平安時代(永治元年〈1141〉頃とされる)
所有者鉄舟寺(静岡県静岡市清水区村松2188)
保管東京国立博物館に寄託(展示は不定期)
鉄舟寺へのアクセスJR清水駅からバス約15分「鉄舟寺」下車。境内拝観可、本堂・宝物殿は立入不可(2025年1月時点)

参考文献

国指定文化財等データベース 法華経〈(久能寺経)〉
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/662
e国宝 法華経(久能寺経)
https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100369&content_part_id=000&content_pict_id=0
しずおか文化財ナビ 法華経<(久能寺経)>(静岡県)
https://www.pref.shizuoka.jp/kankosports/bunkageijutsu/bunkazai/1002825/1041003/1041886/1004975/1021036.html
静岡市観光ナビ 鉄舟寺
https://www.visit-shizuoka.com/spot/detail_391.html

最終更新日: 2026.06.10