火明かりのなかで演じられる、楽器を持たない田遊び
二月の第二土曜日、冬の日が山の端に沈むころ、静岡県牧之原市蛭ヶ谷の蛭児神社の境内で、高さ二メートルほどに組み上げた薪に火が入る。この炎が合図となる。それから四時間から五時間、夜が更けるまで、地区の男たちが稲作の一年を順に演じていく。笛も太鼓もなく、録音された音も流れない。十七の演目は、かけ声と唱え事、そして演じ手の所作だけで進む。
これが蛭ヶ谷の田遊びである。田遊びとは、年の初めに稲作の工程を模擬的に演じ、その年の豊作を願う予祝の民俗芸能で、かつては各地で行われていた。実際の農作業が始まる前に収穫までを先に演じておくことで、本当の豊作を引き寄せようとする行事である。蛭ヶ谷では「御田打祭」「ほた引祭」とも呼ばれてきた。番外二番を含めて十七の演目が伝えられ、二〇一二年三月、国の重要無形民俗文化財に指定された。
西山寺から譲られた祭りの権利
田遊びという芸能は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけて形づくられたと考えられている。蛭ヶ谷が属する東遠江の地域では、十四世紀前半までにはこの行事が行われていたことが文書から判明している。元弘三年(一三三三年)の笠原荘一宮文書には「田遊」の語が記されており、蛭ヶ谷の田遊びもこの頃の成立とみられている。およそ七百年の歴史をもつ計算になる。
この谷に田遊びが伝わった経緯は、文献と言い伝えの両方に残る。天保七年(一八三六年)に没した山中豊平が編んだ地誌『遠淡海地志』には、正月十三日に田植祭が行われていたとの記述がある。さらに地元には、蛭ヶ谷の人々が近隣の真言宗西山寺に石段を寄進した礼として田遊びの権利を譲られた、という伝承がある。西山寺には享保七年(一七二二年)寄進の刻銘をもつ石柱が見つかっており、この話を裏づける手がかりとなっている。
田遊びの舞台となる蛭児神社は、蛭ヶ谷集落の南端近く、蛭ヶ谷川の左岸に西を向いて建つ。かつては西之宮大神宮とも呼ばれ、兵庫の西宮神社を勧請して祀ったとされる。田遊びは長くこの神社の祭礼として、明治五年までは旧暦一月十三日に、翌六年からは二月十一日に行われてきた。近年は人々の暮らしに合わせ、二月の第二土曜日に営まれている。
東海地方の田遊びの形を残す
国の指定は、芸能の変遷の過程を示すこと、地域的特色を示すこと、この二つの基準に基づいている。東海地方の田遊びは、場を浄めて神々を招く儀式的な演目と、稲作の一年を模擬する演目という、性格の異なる二つの部分からなることが多い。蛭ヶ谷の田遊びはこの二部構成をはっきりと保っており、この芸能の全体像を知るうえで手がかりとなる。
ほかの田遊びと比べたときの特色もいくつかある。杉の葉を束ねて作る人形が稲魂の象徴として登場し、一晩を通じて赤ん坊のように扱われること。祭りのために多様な餅が用意され、演目のなかで使われること。そして、楽器をいっさい用いないこと。笛や太鼓に支えられて進む田遊びが少なくないなかで、蛭ヶ谷では声と所作だけが演目を運ぶ。唱え事と唱え事のあいだの静けさそのものが、この行事の見どころのひとつになっている。
見どころ
まず境内の様子に目がいく。神社は木立に囲まれ、明かりは「オカガリ」と呼ぶかがり火だけである。照明も音響装置もない。火明かりのなかに演じ手が現れては消え、長いあいだ、薪のはぜる音がいちばん大きく聞こえる。
前半の演目は儀式的なものだ。三番から七番までは「四方切り」と総称される。太刀、木刀、長本刀、木長刀、杵といった得物を持った演じ手が、肩にかついだそれを振り下ろし、体を反らせる所作を、東・南・西・北のそれぞれに向かって行う。稲作の演目に入る前に、田遊びの場を浄め、結界を施す意味をもつ。火に下から照らされた決めの姿には、静かな緊張感がある。
九番からは稲作の次第に移る。田を打ち、牛をほめ、苗代の世話をし、麦を搗き洗い、田を植え、稲を刈る。一年の農作業がひとつずつ短い演目になっている。「田打ち」では「サンバイ、サンバイ」と唱えながら、飯を高く盛った田打ち飯を食べる所作をする。一晩の多くで身につけられる装束にも注目したい。赤茶色の衣に縞の袴、素足に藁草履、そして頭には、無数の白い紙垂を垂らした「アヤガサ(綾笠)」。演じ手が動くたびに紙垂が火明かりに揺れる。
一晩を貫く糸となるのが、「ほた小僧」あるいは「ネンネー」と呼ばれる人形である。杉の葉を束ねて作られ、稲魂を表し、赤ん坊として扱われる。「おっかあ」と呼ばれる女装の役がこれを背負う。子授けを願う夫婦が下着をこの人形に納めるという言い伝えがあり、役は新婚の男が務めることになっている。一番「ほた引き」では、ほた小僧を長い藁縄の中央に結び、青年たちが輪にして勢いよく引き回す。そして田遊びの最後、ほた小僧は社殿脇の桜の幹に結びつけられ、翌年の田遊びまでそのままにされる。稲魂が桜に宿り、春の花の咲き具合でその年の作柄を占うとされている。
蛭ヶ谷を訪ねる
蛭ヶ谷は、牧之原台地の南の裾に連なる低い丘陵に囲まれた、細い谷あいの小さな農村である。川沿いの平地は古くから水田にあてられ、丘の斜面には茶が植えられてきた。牧之原は日本有数の茶の産地で、緑の茶畑は訪れる道すがら見る価値がある。ただし田遊びそのものは日が暮れてから始まる。
神社へはJR金谷駅から萩間線のバスに乗り、「JA萩間支店」で下車して徒歩約三分。車の場合は東名高速の相良牧之原インターチェンジから国道四七三号バイパスを経由し、西萩間で下りておよそ十分である。神社には参拝者用の駐車場がないため、その点は前もって考えておきたい。
いくつか実際的なことを書き添えておく。行事は二月の夜、屋外で数時間にわたって続くので、相応の寒さ対策が要る。見学は自由で料金もかからないが、田遊びは観客のために構成された催しではなく、祭礼そのものである。人々は夜のあいだに来ては帰り、最初から最後まで通して見るとはかぎらない。開催日や開始時刻は年によって多少前後するため、出かける前に牧之原市の観光担当窓口に確認しておくとよい。
Q&A
- いつ行われますか。
- 現在は二月の第二土曜日に、夕刻から夜更けにかけて行われています。かつては旧暦に従い、のちに二月十一日に固定されていた時期もあるため、資料によって日付が異なることがあります。訪問前に牧之原市の観光担当窓口で最新の日程を確認してください。
- 見学はできますか。料金はかかりますか。
- 見学は自由で、料金はかかりません。ただし、これは舞台公演ではなく祭礼の行事です。静かに、敬意をもって見学してください。神社には参拝者用の駐車場がありません。
- どのくらいの長さですか。最後まで見る必要がありますか。
- かがり火の点火から桜の木での最後の次第まで、全体でおよそ四時間から五時間続きます。最後まで見る必要はありません。途中で帰る人も多く、夜の遅い時間から見に来てもかまいません。
- なぜ楽器を使わないのですか。
- 楽器を用いないことは蛭ヶ谷の田遊びを特徴づける点であり、国の指定の理由のひとつでもあります。笛や太鼓を使う田遊びが多いなかで、ここでは唱え事とかけ声、所作だけで演目が進みます。その静けさが行事の性格そのものと考えられています。
- 最後に桜の木に結ばれる人形は何ですか。
- 杉の葉を束ねて作られた「ほた小僧」という人形で、稲の魂を表します。一晩を通じて赤ん坊のように扱われ、女装した役が背負います。田遊びの終わりに社殿脇の桜の幹に結びつけられ、翌年まで置かれます。春の花の咲き方が、その年の稲の出来を占う目安とされています。
基本情報
| 名称 | 蛭ヶ谷の田遊び(ひるがやのたあそび) |
|---|---|
| 所在地 | 静岡県牧之原市蛭ヶ谷1 蛭児神社 |
| 指定区分 | 重要無形民俗文化財(平成24年〈2012年〉3月8日指定) |
| 種別 | 民俗芸能/田楽 |
| 開催 | 2月第2土曜日、夕刻から夜更けにかけて |
| 保護団体 | 蛭ヶ谷田遊び保存会 |
| 見学 | 自由・無料 |
| アクセス | JR金谷駅から萩間線バス「JA萩間支店」下車、徒歩約3分/東名高速・相良牧之原ICから車で約10分。神社に参拝者用駐車場なし。 |
References
- 国指定文化財等データベース(文化庁)蛭ヶ谷の田遊び
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/00000901
- 国指定重要無形民俗文化財 蛭ケ谷の田遊び(牧之原市)
- https://www.city.makinohara.shizuoka.jp/site/kanko/43078.html
- しずおか文化財ナビ 蛭ヶ谷の田遊び(静岡県)
- https://www.pref.shizuoka.jp/kankosports/bunkageijutsu/bunkazai/1002825/1041003/1041890/1004989/1021630.html
- 蛭ヶ谷の田遊び 牧之原市観光ガイド『駿河湾★百景』
- https://www.surugawan.net/guide/1335.html
- 文化遺産データベース 蛭ヶ谷の田遊び(国立文化財機構)
- https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/262612
最終更新日: 2026.05.25