八月十五日の夜、南アルプス山中で
静岡県榛原郡川根本町徳山。南アルプス南麓の谷あいに開かれたこの集落で、毎年八月十五日の夜、浅間神社境内の二間四方の舞堂に灯がともる。頭屋で清めのひと踊りを終えた一同が行列を組んで神社に向かい、舞堂の上と周囲で、性格のまったく異なる三つの芸能が次々に披露される。
長い角を立てた鹿頭をつけた少年たちが、紅白の綾棒を回しながら飛び跳ねる。麻の葉文様の浴衣に京の舞妓のだらりの帯を締めた少女たちが、唄の終わりに「ヒーヤイ」と決まって響く小歌に乗って静かに舞う。その合間に、現存する最古の台本が宝暦九年(1759年)卯月の日付を持つ狂言を、大人の男たちが演じる。
これが「徳山の盆踊」である。昭和六十二年(1987年)十二月二十八日に国の重要無形民俗文化財に指定され、令和四年(2022年)十一月三十日には「風流踊」の一つとしてユネスコ無形文化遺産に登録された、山あいの古い芸能である。
三つの芸能、ひと晩の構成
夜の進行は、舞堂を中心とする三種の演目の組み合わせで成り立っている。
鹿ん舞(しかんまい)。長い角をもつ牡鹿が先頭に立ち、二頭の牝鹿が続き、その後にひょっとこ面をつけた者が従う。お囃子の軽快なリズムにあわせ、両手の紅白の綾棒をくるくると回しながら前後に跳ぶように踊る。もとは農作物を荒らす獣を追い払う豊作祈願の所作であったが、後に舞台の中心で演じられる小歌踊や狂言の周囲を警固するように位置づけが変わった。かつては二十歳になった青年が務めたが、現在は中学生の役どころとなっている。
ヒーヤイ。麻の葉文様の浴衣に繻子織のだらりの帯を締めた少女たちが、扇または鹿ん舞と同じ綾棒を持って、古風な小歌に合わせて舞う。「ヒーヤイ」の名は、唄の最後に必ず付く囃子言葉に由来する。演目には「神すずしめ」「桜花」「牡丹」「かぼちゃ」などがある。かつては青年が女装して舞ったが、これも現在は小中学生の女子が舞手となっている。
狂言。慶応四年(1868年)筆写の台本には「むかしより、猿楽とやら、口うつしおぼえしだき書きおくぞや」とあり、伝承の古さがうかがえる。最古の台本は宝暦九年卯月の奥書を持つ。古い台本には十四演目が記されるが、現在も実際に演じられているのは「頼光」と「新曽我」の二演目。担い手は徳山古典芸能保存会の成人男性である。
進行順そのものに意味がある。舞台上ではヒーヤイと狂言が交互に演じられ、その合間に鹿ん舞が舞堂の周囲をめぐる。三つの別個の出し物ではなく、ひと晩を貫く一連の流れとして仕組まれている点が、この芸能の核心にあたる。
指定の根拠と価値
国の重要無形民俗文化財に指定された理由は、構成そのものにある。小歌踊と狂言を交互に演じるという形態は、近世初期の古歌舞伎踊──出雲阿国らの登場した十七世紀初頭の踊りの仕組みに通じる。歌舞伎が屋内の専門芸能へと発展していくなかでこの形態は中央ではほぼ失われ、地方の祭礼の中にわずかに痕跡をとどめるのみとなった。徳山はその数少ない伝承地のひとつであり、しかも動物仮装の風流(鹿ん舞)を加えるという地方独自の特色を備えている。
文化庁による解説では、芸能全体の構成が近世初期の古歌舞伎踊のおもかげを伝え、動物仮装の風流が添えられている点に地方的特色を見出している。この「歴史的な重要性」と「地域の独自性」の重なりが、昭和六十二年の指定の根拠となった。
その三十五年後、令和四年十一月三十日、ユネスコは「徳山の盆踊」を含む二十四都府県四十一件の民俗芸能を「風流踊」として無形文化遺産代表一覧表に記載した。静岡県内からの登録は徳山の盆踊一件のみである。
浅間神社と徳山の里
徳山の浅間神社は、木花之佐久夜毘売・大己貴神・誉田別尊の三柱を祀る。本殿は文政十一年(1828年)の建立、拝殿は昭和十二年(1937年)の改築。社殿の正面には鳥居杉(夫婦杉)と呼ばれる二本の巨杉が並び立つ。樹齢約六百年と伝わり、病気平癒の願が叶った礼として植えられたという。
境内に設えられる二間四方の小ぶりな舞堂が、夜の主舞台である。一段高い拝殿前の石垣からは、観客が舞堂を見下ろす形で芸能を眺めることになる。八月の山あいの夜気、提灯の灯り、鹿ん舞の囃子の打音──都市部の盆踊とは性格を異にする時間が、ここに流れる。
徳山の集落は、規模に比して文化財の集積が多い土地でもある。徳山の盆踊と並ぶ重要な民俗芸能がこの土地にもう一つ伝えられていることもよく知られている。早めに到着すれば、本番前に鹿の頭をかぶって記念写真に納まることもできるという。
訪問にあたって
奉納は毎年八月十五日の夜。年によって細部は変わるが、十六演目前後の構成で、鹿ん舞は一・五・十・十四番目など要所に組み込まれる。全体で数時間に及ぶ。
徳山は大井川の上流域にある。最寄り駅は大井川鐵道大井川本線の駿河徳山駅で、浅間神社までは徒歩約十分。ただし、令和四年(2022年)の台風による被災で大井川鐵道は川根温泉笹間渡駅から千頭駅までの区間が運休しており、川根本町は代替の町営バスを運行している。訪問前に最新の鉄道・バス運行状況の確認が必要である。自動車では国道三六二号から県道七十七号を経て約六十分。
観覧は基本的に自由だが、神社の例祭としての奉納が本義であり、観光催事ではない。境内での節度ある振る舞いと、舞台に立つ子どもたちへの敬意は最低限の心得として共有しておきたい。
Q&A
- 徳山の盆踊はいつ、どこで奉納されますか。
- 毎年八月十五日の夜、川根本町徳山の浅間神社例祭において奉納されます。詳しい当年の進行は徳山古典芸能保存会から公表されます。
- なぜ古い芸能を子どもたちが担っているのですか。
- 鹿ん舞はかつて二十歳になった青年が、ヒーヤイは青年男子が女装して舞っていました。二十世紀の間に、それぞれ中学生の男子と小中学生の女子へと担い手が移行しました。次の世代に芸能の継承を直接託すための、土地ぐるみの選択と理解されています。
- 歌舞伎との関係について教えてください。
- 小歌踊(ヒーヤイ)と狂言を交互に演じ、その周囲で動物仮装の鹿ん舞を行うという全体構成が、十七世紀初頭の古歌舞伎踊の仕組みに通じます。後に歌舞伎が専門化・劇場化していく中で中央では失われた形態であり、その痕跡を地方の祭礼の中に留めている点が芸能史的に重要視されています。
- 「ヒーヤイ」とは何を意味する言葉ですか。
- 「ヒーヤイ」は囃子言葉、すなわち特定の意味を持たない掛け声の一種で、各曲の終わりに必ず付くことから、その小歌踊全体の呼称となりました。「神すずしめ」「桜花」「牡丹」「かぼちゃ」など複数の演目があります。
- ユネスコ無形文化遺産には徳山の盆踊単独で登録されたのですか。
- いいえ。令和四年十一月のユネスコ登録は、二十四都府県四十一件の民俗芸能を「風流踊」として一括して記載したものです。徳山の盆踊はその四十一件のうちの一件で、静岡県からはこれ一件のみが含まれます。
基本情報
| 名称 | 徳山の盆踊(とくやまのぼんおどり) |
|---|---|
| 所在地 | 静岡県榛原郡川根本町徳山2894(浅間神社) |
| 指定区分 | 国指定重要無形民俗文化財(民俗芸能/風流) |
| 指定年月日 | 昭和62年(1987年)12月28日 |
| ユネスコ | 令和4年(2022年)11月30日、「風流踊」の一つとして無形文化遺産代表一覧表に記載 |
| 保護団体 | 徳山古典芸能保存会 |
| 奉納日 | 毎年8月15日夜、徳山浅間神社例祭にて |
| 構成 | 鹿ん舞・ヒーヤイ・狂言の三部構成 |
| 最寄り駅 | 大井川鐵道大井川本線 駿河徳山駅 徒歩約10分(※川根温泉笹間渡駅以北は2022年の台風被害で運休中。最新の運行状況を要確認) |
| 問い合わせ | 徳山区事務所(月~金、9:00~16:00)電話・ファクス 0547-57-2843 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース「徳山の盆踊」(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/82
- 文化遺産オンライン「徳山の盆踊」
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/136617
- 川根本町公式ホームページ「徳山の盆踊」
- https://www.town.kawanehon.shizuoka.jp/soshiki/degital/7/3045.html
- 徳山古典芸能保存会
- https://sites.google.com/view/tkymsgjj/
- しずおか文化財ナビ「徳山の盆踊」(静岡県)
- https://www.pref.shizuoka.jp/kankosports/bunkageijutsu/bunkazai/1002825/1041003/1041885/1004976/1021191.html
最終更新日: 2026.05.27