運慶作・国宝五仏とは 文治二年、伊豆に生まれた鎌倉彫刻
静岡県伊豆の国市の願成就院大御堂には、仏師運慶が文治2年(1186年)に造立した五体の仏像が安置されています。中央に阿弥陀如来坐像、向かって左に不動明王と矜羯羅童子・制吒迦童子の三尊、右に毘沙門天立像という構成で、平成25年(2013年)6月19日、五体一括で国宝に指定されました。大正8年(1919年)以来の重要文化財からの格上げです。
造像の経緯を伝える物証が、不動明王・毘沙門天・二童子の像内から見つかった五輪塔形の木札4枚です。各札には梵字の宝篋印陀羅尼が記され、文治2年5月3日に造り始めたこと、檀越(施主)は平時政すなわち北条時政、巧師は勾当運慶、銘文の執筆者は南無観音という僧であることが記されています。大札2枚には舎利を納めた小円孔も穿たれていました。制作年・作者・施主がここまで明確に判明している中世彫刻は多くありません。
発願者の北条時政は源頼朝の岳父であり、のちの鎌倉幕府初代執権です。『吾妻鏡』文治5年(1189年)6月6日条によれば、時政は頼朝の奥州藤原氏征討の戦勝を祈願して伊豆国北条の地に伽藍を建立し、願成就院と号しました。五仏の造立はその3年前に始まっており、寺の完成に先立って仏像が用意されていたことになります。
指定理由と価値 鎌倉新様式の確立を示す基準作
文化庁の解説は、写実を踏まえた力強い作風が鎌倉彫刻様式の完成を告げるものであり、卓抜な彫技に運慶の技量が存分にうかがえると評価しています。12世紀の京都では、平安後期の大仏師定朝の流れを汲む穏やかで浅い彫りの様式が主流でした。願成就院の阿弥陀如来は、その伝統から明確に踏み出しています。張りのある広い胸、量感のある体軀、深く彫り込まれた衣文。光の当たり方ひとつで陰影が大きく動く造形は、前代の阿弥陀像には見られなかったものです。
当時の運慶は30代半ば。奈良を本拠とする慶派の若き棟梁が、東国武士の求めに応じて手がけた、紀年銘をもつ最初の東国での造像がこの五仏です。武士という新しい支配層の感性に応えた力強い写実表現は、以後の鎌倉彫刻の方向を決定づけました。日本彫刻史の転換点を、確かな銘文とともに示す基準作という点に、本件の価値があります。
なお、阿弥陀如来像そのものからは木札が発見されていません。同像の運慶作という判断は、『吾妻鏡』の記述と、納入品で運慶作と確定した眷属像との作風の一致によるものです。指定名称は五体すべてを運慶作としていますが、根拠の性質が像によって異なる点は知っておきたいところです。
木札4枚は「附(つけたり)」として国宝指定に含まれています。宝暦3年(1753年)の修理記録『願成就院修治記』には、江戸期の修復の際に像内から木簡が見つかった経緯が記されており、この記録も寺に現存しています。
見どころ 五体それぞれの個性を間近に
大御堂は決して大きな堂宇ではなく、五体を間近に拝することができます。中尊の阿弥陀如来坐像は像高142.0センチ。両手を胸前に上げる説法印を結びます。右手をよく見ると、人差し指と中指を残してほかの指が失われており、螺髪にも欠損が目立ちます。延徳3年(1491年)の伊勢新九郎(のちの北条早雲)による堀越公方攻めで伽藍の大半が焼失した際にも、この五仏は救い出されました。傷跡は、八百年余りの歳月そのものです。
不動明王立像は像高137.2センチ。利剣を握る右手と羂索をとる左手を同じ高さに掲げる珍しい構えで、玉眼の両眼を見開いた憤怒の相に若々しい力がみなぎります。脇侍の対比が見事です。矜羯羅童子(像高74.4センチ)はあどけなく従順な面差し、制吒迦童子(像高83.5センチ)は眉間にしわを寄せ口をへの字に結んだ、今にも動き出しそうな表情。腰ほどの高さの像に、これほどの性格描写を彫り込んだ仏師は運慶以前にいません。
毘沙門天立像は像高148.2センチで五体中最大。二匹の邪鬼を踏みつけ、玉眼の鋭い眼差しで一点を凝視します。引き締まった体躯と緊張感のある立ち姿に、運慶が伊豆で出会ったであろう東国の若武者の面影を重ねる見方もあります。
大御堂と宝物館の内部は全展示物の撮影が禁止されています。カメラを置いて、彫り口や玉眼の光をじっくり観察する時間に充ててください。宝物館には国宝附の木札4枚のほか、北条政子の七回忌頃に泰時が奉納したと考えられる地蔵菩薩坐像(通称・政子地蔵、県指定文化財)、現存唯一とされる北条時政の肖像彫刻などが収蔵されています。
周辺情報 史跡願成就院跡と韮山の歴史散歩
現在の境内は、往時の寺域のごく一部です。『吾妻鏡』には時政・義時・泰時の北条氏三代にわたる堂塔造営の記事があり、守山を借景に大きな池を配した浄土様式の伽藍が営まれていました。発掘調査で南塔跡や南新御堂跡などの遺構が確認され、昭和48年(1973年)に「願成就院跡」として国の史跡に指定されています。境内には北条時政の墓と、延徳の兵火に散った堀越公方・足利茶々丸の墓が並び、源頼朝と政子が逢瀬を重ねたと伝わる御神木の梛の木も残ります。現在の茅葺き本堂は寛政元年(1789年)の再建です。
アクセスは伊豆箱根鉄道駿豆線の韮山駅または伊豆長岡駅から徒歩約15分。東海道新幹線三島駅から駿豆線で約20分の距離です。車なら国道136号沿い、三島と修善寺のほぼ中間に位置し、門前に無料駐車場があります。
周辺には歴史スポットが集中しています。世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産である韮山反射炉までは車で数分、頼朝配流の地と伝わる蛭ヶ島公園、幕末の代官屋敷・江川邸も近接します。伊豆長岡温泉に宿をとれば、修善寺や三嶋大社とあわせた一泊二日の歴史行程が組めます。
Q&A
- 予約なしで国宝の仏像を拝観できますか。
- できます。拝観時間は10時から16時(最終受付15時30分)で、拝観料は大人800円、中高生400円、小学生200円です。受付は大御堂正面右側の札所です。
- 休館日はいつですか。
- 毎週火曜日と水曜日が休館です(祝日と正月三が日は開館)。このほか節分の日、8月15日、7月30日から8月3日、12月24日から31日は法会や迎春準備のため休館となります。
- 堂内で写真撮影はできますか。
- 大御堂と宝物館内の仏像・絵画など全展示物の撮影は禁止されています。境内の建物や史跡は撮影できます。
- 五体すべてが常時公開されていますか。
- 五仏は大御堂に安置され、開館日には拝観できます。ただし展覧会への出陳などで一部の像が不在となる場合があるため、確実に五体を拝したい場合は事前に寺へ確認することをおすすめします。
- 運慶の作品はほかにどこで見られますか。
- 同じ1189年頃に和田義盛の発願で造られた阿弥陀三尊などが神奈川県横須賀市の浄楽寺に伝わるほか、建仁3年(1203年)の東大寺南大門金剛力士像、奈良・円成寺の大日如来坐像などが代表作として知られます。
基本情報
| 名称 | 木造阿弥陀如来坐像〈運慶作〉/木造不動明王及二童子立像〈運慶作〉/木造毘沙門天立像〈運慶作〉 |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(彫刻) 平成25年(2013年)6月19日指定(大正8年〈1919年〉4月12日重要文化財指定) 附・五輪塔形木札4枚 |
| 時代・年代 | 鎌倉時代 文治2年(1186年) 木札に同年5月3日造り始めの記 |
| 作者・施主 | 運慶 檀越・北条時政 |
| 員数・寸法 | 5躯 阿弥陀如来坐像 像高142.0cm/不動明王立像 137.2cm/矜羯羅童子立像 74.4cm/制吒迦童子立像 83.5cm/毘沙門天立像 148.2cm(像高は寺の公表値による) |
| 所有者・所在地 | 願成就院(高野山真言宗) 静岡県伊豆の国市寺家83-1 |
| 公開状況 | 拝観時間10:00~16:00(最終受付15:30) 火・水曜休館(祝日は開館)ほか法会等による休館日あり 大人800円 |
| アクセス | 伊豆箱根鉄道駿豆線 韮山駅・伊豆長岡駅から徒歩約15分 国道136号沿い 無料駐車場あり |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)木造阿弥陀如来坐像〈運慶作〉ほか
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/3024
- 天守君山 願成就院 公式ホームページ「寺宝」
- https://ganjoujuin.jp/temple_treasures.html
- 天守君山 願成就院 公式ホームページ「願成就院略縁起」
- https://ganjoujuin.jp/ganjoujuin.html
- 天守君山 願成就院 公式ホームページ「拝観・アクセス」
- https://ganjoujuin.jp/admission.html
最終更新日: 2026.06.10