尾羽寺阿弥陀堂としての出自

地蔵院本堂(じぞういんほんどう)は栃木県芳賀郡益子町大字上大羽にある真言宗智山派大羽山地蔵院の本堂で、室町後期、天文十一年(一五四二)頃の建立とされ、大正五年(一九一六)五月二十四日に国の指定を受けた。指定番号は〇〇六七一である。

この堂は当初から本堂として建てられたのではない。尾羽寺(おばでら)の阿弥陀堂であった。尾羽寺は宇都宮氏の氏寺である。寺伝は、建久五年(一一九四)に宇都宮氏三代朝綱がこの地に隠棲し、阿弥陀堂を建立したことを起点とする。源頼朝寄進と伝わる多宝塔があり、周囲には南竜坊、海音坊、西念坊、周隣坊といった坊社が軒を連ねた。堂塔の下方には園池をともなう浄土庭園が展開していたと推定されている。

尾羽寺は残らなかった。慶長二年(一五九七)、宇都宮国綱が豊臣家との関係に齟齬をきたして改易となり、庇護者を失った寺は解体していく。残存した阿弥陀堂がいつ地蔵院に合併して本堂となったのか、その時期は明らかでない。真言宗寺院としての現在の姿がいつ整ったかについても、寺側は不明としている。

結果として現在目にするのは、消滅した中世寺院から一棟だけ抜け出してきた建築である。田畑を見下ろす丘陵の斜面に立ち、数百メートル先には宇都宮家三十三代にわたる墓所が並ぶ。

指定の経緯と年代の異同

指定は早い。国指定文化財等データベースの指定年月日は大正五年五月二十四日で、これは明治三十年(一八九七)制定の古社寺保存法にもとづく指定にあたる。現行の「重要文化財」という区分に移行したのは、文化財保護法が施行された昭和二十五年(一九五〇)八月二十九日である。同法の施行にともない、旧法下の指定物件は一括して重要文化財とみなされた。益子町の文化財台帳が指定年月日を昭和二十五年八月二十九日と記すのはこの経緯によるもので、大正五年の記載と矛盾するものではない。

年代の異同は、これとは別に残る。文化庁は建立を天文十一年頃(一五四二頃)とする。一方、益子町および同町資料に依拠する日本遺産ポータルサイトは永正年間(一五〇四〜一五二一)の建立とする。両者のあいだにはおよそ一世代の隔たりがある。本稿は一次資料の年代を本文の基準に据え、永正年間説は地元資料の記述として併記する扱いとした。

屋根の表記にも差がある。国の記録は「とち葺形銅板葺」、すなわち厚板の栩葺を模した銅板葺とするのに対し、町の記録は「柿葺き型」、薄板の杮葺を模した表記をとる。栩と杮では板の厚みが異なり、屋根の見えにも本来は差が生じるが、現状は銅板に覆われているため地上からの判別は難しい。

構造と内部

桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造。側柱を角柱、内部の柱を円柱とする。外周を角柱で構造として扱い、内側を円柱で聖域として区切る使い分けである。柱間寸法は町の記録に八尺四分とあり、二・四メートル強にあたる。斗拱は二手先組。つなぎ虹梁の先端を肘木に作り出してそのまま斗拱に組み込む手法をとっており、部材を兼ねさせる中世末の合理が読み取れる。

平面は阿弥陀堂式で、出自を考えれば当然の構成といえる。来迎柱二本を後寄りに立てて聖域を画し、その前方に須弥壇を設ける。内陣は格天井、中央の一部を折上天井とし、花鳥、飛龍、鳳凰の彩色画が填め込まれる。鏡板と長押はびわ材の彩色仕上げである。

須弥壇上の春日厨子は鎌倉時代の作とみられ、毛彫りの金具に優れた作行きが認められる。内部には快慶一派の作とされる木造阿弥陀三尊像が安置される。堂内にはこのほか、平安時代作の木造阿弥陀三尊像も伝わる。

拝観と周辺

先に確認しておきたい点がある。本堂の内部は通常非公開である。日本遺産ポータルサイトも明記している。前節に記した内陣の彩色画、春日厨子、二躯の阿弥陀三尊像は、文献を通じて知られる対象であって、通常の参拝で目にするものではない。益子町観光協会が組む上大羽の散策コースも、建物については外観見学として案内されている。

その制約は、この地区に限っては大きな損失にならない。本堂は密度の高い文化財群の一要素だからである。本堂北西に立つ観音堂は町指定で、三間四面、寄棟造、茅葺型銅板葺、永正年間の建立と推定される。阿弥陀堂改築の残材で建てたという言い伝えが地元にあったが、昭和五十八年(一九八三)の解体修理で柱材が栗と判明し、残材説は否定された。本尊は十一面観世音菩薩である。

約四百メートル先に綱神社、その境内に摂社大倉神社が鎮座する。大倉神社本殿は大永七年(一五二七)の建立で、一間社流造、茅葺。綱神社本殿とともに昭和二十五年八月二十九日に重要文化財の指定を受けている。参道は急な石段で、登り切った先にある茅葺の小社殿は、県内の大規模な社寺建築とは対照的に簡素で静かである。

さらに約三百五十メートル進むと宇都宮家墓所に至る。昭和四十二年(一九六七)一月二十日の県指定で、東西四十間・南北二十間、八百坪の墓域に五輪塔二十九基と石碑四基が並ぶ。初代宗円から三十三代正綱まで、最大の塔は高さ百七十二センチメートルを測る。慶長二年の改易後も大羽在住の家臣たちは他家に仕えず墓を守り続けたと伝わる。

境内には町天然記念物の樹木が二本ある。推定樹齢約六百年の糸ヒバと、約五百年の菩提樹で、後者は根元から幹にかけて著しく隆起している。

交通

所在地は益子町大字上大羽九四五番地の一。真岡鐵道益子駅から車で約十分。公共交通での接近は現実的でなく、駅から徒歩の場合は登り勾配の道を一時間程度要する。拠点となるのは上大羽九一二番地の尾羽の里交遊館で、駐車場があり、本堂、綱神社、宇都宮家墓所のいずれにも徒歩圏である。観光協会は堂ヶ入沢親水公園を含めた一周に二時間三十分を見込み、山道を歩くため蜂とマムシに注意するよう掲示している。晩春から秋にかけては留意したい。

上大羽地区は令和二年(二〇二〇)認定の日本遺産「かさましこ」の構成資産に含まれる。焼き物を軸に益子町と茨城県笠間市を結ぶ枠組みのなかで、中世に両地域を治めた宇都宮氏一族という接点が改めて位置づけられた。益子の窯業地区までは車で二十分ほど、楼門・三重塔・本堂厨子が重要文化財である西明寺は東の尾根を越えた先にある。

Q&A

Q地蔵院本堂はいつ建てられ、いつ指定を受けましたか。
A国指定文化財等データベースは室町後期、天文十一年(一五四二)頃の建立とし、指定年月日を大正五年(一九一六)五月二十四日、指定番号を〇〇六七一とします。益子町の文化財台帳は建立を永正年間(一五〇四〜一五二一)、指定年月日を昭和二十五年(一九五〇)八月二十九日と記します。後者は文化財保護法施行にともなう区分移行の日付です。
Q地蔵院本堂の内部は拝観できますか。
A通常非公開です。日本遺産ポータルサイトにも本堂内部は通常非公開と明記されています。内陣の格天井彩色画、鎌倉時代作とみられる春日厨子、堂内の阿弥陀三尊像はいずれも一般の参拝で目にする対象ではありません。外観は自由に見学でき、拝観料はかかりません。
Q地蔵院本堂と宇都宮氏はどのような関係にありますか。
A本堂はもと宇都宮氏の氏寺である尾羽寺の阿弥陀堂でした。寺伝では建久五年(一一九四)、宇都宮氏三代朝綱が上大羽に隠棲して阿弥陀堂を建立したことに始まるとされます。慶長二年(一五九七)の宇都宮家改易後に尾羽寺は失われ、残った阿弥陀堂がのちに地蔵院と合併して本堂となりました。近くには宇都宮家累代の墓所が残ります。
Q地蔵院本堂の周辺にはどのような文化財がありますか。
A約四百メートル先に綱神社本殿と摂社大倉神社本殿があり、いずれも昭和二十五年指定の重要文化財です。大倉神社本殿は大永七年(一五二七)建立の一間社流造・茅葺。さらに約三百五十メートル先の宇都宮家墓所は県指定で、五輪塔二十九基が並びます。境内には町指定の観音堂と、町天然記念物の糸ヒバ・菩提樹があります。
Q地蔵院へのアクセスと駐車場を教えてください。
A所在地は益子町大字上大羽九四五番地の一です。真岡鐵道益子駅から車で約十分。公共交通での接近は現実的ではありません。多くの見学者は上大羽九一二番地の尾羽の里交遊館に駐車し、徒歩で巡ります。周辺一周には二時間三十分程度を見込み、山道のため蜂やマムシへの注意が呼びかけられています。

基本情報

名称地蔵院本堂(じぞういんほんどう) 大羽山地蔵院・真言宗智山派
所在地栃木県芳賀郡益子町大字上大羽九四五番地の一
指定区分重要文化財(建造物) 指定番号〇〇六七一
指定年大正五年(一九一六)五月二十四日指定。昭和二十五年(一九五〇)八月二十九日に重要文化財へ移行
員数一棟
寸法桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、とち葺形銅板葺。柱間寸法八尺四分(町記録)、斗拱は二手先組
所有者地蔵院
公開状況外観は自由見学・拝観料なし。本堂内部は通常非公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 地蔵院本堂
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/102/395
文化遺産オンライン 地蔵院本堂
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/154935
日本遺産ポータルサイト(文化庁) 地蔵院本堂
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/4857/
益子町の文化財 地蔵院本堂
https://www.town.mashiko.lg.jp/cultural_property.php?mode=detail&code=27
益子町の文化財 地蔵院観音堂
https://www.town.mashiko.lg.jp/cultural_property.php?mode=detail&code=77
益子町の文化財 大倉神社本殿
https://www.town.mashiko.lg.jp/cultural_property.php?mode=detail&code=29
益子町 歴史文化保存地区(上大羽地区)
https://www.town.mashiko.lg.jp/page/page002050.html
とちぎの文化財 綱神社摂社大倉神社本殿
https://bunkazai.pref.tochigi.lg.jp/cultural/%E3%80%90%E7%B6%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%91%82%E7%A4%BE%E5%A4%A7%E5%80%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E6%9C%AC%E6%AE%BF%E3%80%91/

最終更新日: 2026.08.24