淡路国大田文〈貞応二年四月日〉―鎌倉時代の土地台帳原本が伝える中世日本の姿

淡路国大田文〈貞応二年四月日〉は、鎌倉時代の貞応2年(1223年)4月に作成された淡路国の土地台帳(大田文)の原本です。承久の乱直後という激動の時代に、執権北条泰時の命を受けた守護長沼宗政の指揮のもと、淡路国の在庁官人たちが編纂したこの文書は、鎌倉時代作成当時の数少ない大田文原本として極めて貴重であり、重要文化財に指定されています。13世紀初頭の淡路国の荘園・公領の実態を明らかにする第一級の歴史史料です。

歴史的背景

承久3年(1221年)、後鳥羽上皇が鎌倉幕府の打倒を図った承久の乱は、日本の政治構造を根本から変えた大事件でした。幕府軍の圧倒的な勝利により、上皇方に味方した貴族や武士の所領は没収され、西日本各地に新たな地頭が配置されました。

この戦後処理の一環として、執権北条泰時は各国の土地関係を正確に把握するため、大田文の作成を命じました。淡路国では、守護を務める長沼宗政が在庁官人に指示し、国内すべての荘園・公領の田畠面積と領有関係を記録した大田文が作成されました。これが本文書、すなわち貞応2年4月の淡路国大田文です。

大田文とは

大田文(おおたぶみ)とは、中世日本、とくに鎌倉時代に国単位で作成された土地台帳のことです。田文(たぶみ)・田数帳(でんすうちょう)・田数目録(でんすうもくろく)などの別名もあります。一国内の荘園・公領すべてについて、田地の面積や領有関係などが記載されています。

大田文には大きく分けて二つの種類があります。一つは国司が在庁官人に命じて作成させたもので、伊勢役夫工米や造内裏役など一国平均役の賦課のために用いられました。もう一つは幕府が国衙に命じて作成させたもので、地頭補任や大番役など御家人役の賦課台帳として利用されました。本文書は後者にあたり、幕府の命令系統のもとで作成された重要な行政文書です。

現在、大田文の本文は21種が知られていますが、そのうち完全な形で内容が判明しているのは13種にとどまります。しかもその多くは後世の写本であり、作成当時の原本が残っている例は極めて稀です。

重要文化財指定の理由

淡路国大田文が重要文化財に指定された背景には、いくつかの重要な理由があります。

第一に、鎌倉時代作成当時の大田文原本として極めて珍しい存在であることです。多くの大田文が後世の書写本や断簡としてのみ伝わるなかで、本文書は1223年に作成されたそのままの形で今日に伝わっています。

第二に、淡路国の13世紀初頭における荘園・公領の構成、地頭の配置、領有関係などを具体的に記録しており、承久の乱後の西日本における武家支配の実態を知る上で欠かせない史料であることです。

第三に、朱書注記、花押、連署など、中世の文書作成の実態を示す様々な要素が良好な状態で残されており、日本の文書行政の歴史を研究する上でも重要な価値を持っています。

文書の特徴と見どころ

本文書は楮紙(こうぞし)12紙からなる巻子本です。巻首には「淡路国 二郡/注進 國領并庄薗田畠地頭注文事」と記され、文書の目的が明確に示されています。

本文には、津名郡(つなぐん)と三原郡(みはらぐん)の二郡にわたって、荘園と公領が一つ一つ列記され、それぞれの新旧地頭の名前が書き上げられています。各荘園名には朱色の墨で領主名が注記されており、国衙領・荘園領田・浦・地頭の項目には朱色の拘点(チェックマーク)が付されています。この朱書注記は、文書が実際に行政実務で使用されていた証拠とも考えられます。

巻末には、貞応2年4月付で右馬允藤原朝臣某をはじめとする4名の国衙在庁官人が連署した注進文7行が記され、続いて同年4月30日付の在庁官人連署による起請文10行が記されています。さらに各紙の継目裏には、在庁散位藤原朝臣某の花押があり、文書の真正性を保証しています。

長沼氏と栃木県の関わり

本文書の作成を指揮した長沼宗政は、下野国(現在の栃木県)を本拠地とする長沼氏の当主でした。長沼氏は鎌倉幕府の有力御家人として知られ、承久の乱後には淡路国守護に任じられました。

淡路国(現在の兵庫県淡路島)の文書が栃木県に伝来している理由は、この長沼氏の歴史的つながりにあります。守護として淡路国の行政を管轄した長沼氏が、この重要な行政文書を自らの所領がある下野国に持ち帰り、代々伝えてきたと考えられています。

観覧について

淡路国大田文は貴重な古文書であるため、常設展示は行われていません。このような重要文化財の古文書は、紙や墨の保存のため、特別展などの機会に限定的に公開されることが一般的です。

中世の歴史や古文書に関心のある方は、栃木県立博物館(宇都宮市)が開催する特別展の情報をご確認ください。また、淡路国の歴史そのものに興味がある方には、洲本市立淡路文化史料館(兵庫県洲本市)がおすすめです。

周辺の観光スポット

本文書にゆかりのある栃木県と淡路島には、それぞれ魅力的な観光地があります。

栃木県では、宇都宮市の栃木県立博物館で栃木の自然と文化を学ぶことができます。大田原市の那須与一伝承館では、鎌倉時代の武将那須与一にまつわる展示を楽しめます。また、大田原市湯津上の笠石神社にある那須国造碑は国宝に指定されており、日本最古級の石碑として知られています。

淡路島では、日本最古の神社の一つとされる伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)や、鳴門海峡の渦潮などの壮大な自然景観を楽しめます。また、重要無形民俗文化財に指定されている淡路人形浄瑠璃は、500年以上の伝統を持つ淡路島固有の芸能として必見です。

Q&A

Q淡路国大田文とはどのような文書ですか?
A鎌倉時代の貞応2年(1223年)4月に作成された淡路国の土地台帳(大田文)の原本です。淡路国内の荘園・公領すべてについて、田畠の面積と領有関係、地頭の配置などが記録されています。重要文化財に指定されています。
Qなぜこの文書が作成されたのですか?
A承久の乱(1221年)の直後、鎌倉幕府の執権北条泰時が各国の土地関係の調査を命じたためです。淡路国では守護長沼宗政の指揮のもと、在庁官人が国内の荘園・公領の実態を調査して作成しました。戦後の地頭配置や土地再編の基礎資料として用いられました。
Qなぜ淡路国の文書が栃木県に伝わっているのですか?
A文書の作成を指揮した守護長沼宗政が下野国(現在の栃木県)を本拠とする長沼氏の当主であったためです。守護として淡路国を管轄した長沼氏が、この行政文書を本拠地に持ち帰り、代々伝えてきたと考えられています。
Qこの文書を実際に見ることはできますか?
A貴重な古文書であるため、常設展示は行われていません。特別展などの機会に限定的に公開されることがありますので、栃木県立博物館などの展覧会情報をご確認ください。
Q現存する大田文のなかでどのくらい貴重なのですか?
A大田文の本文は21種が知られていますが、完全な形で内容が判明しているのは13種のみです。しかもその多くは後世の写本で、鎌倉時代作成当時の原本が残っている例は極めて少数です。本文書は作成時の原本が現存する稀有な例として、非常に高い歴史的価値を持っています。

基本情報

名称 淡路国大田文〈貞応二年四月日〉
指定区分 重要文化財
種別 古文書
作成年 貞応2年(1223年)4月
時代 鎌倉時代
材質・形態 楮紙12紙、巻子本
所在都道府県 栃木県
記載対象 淡路国(現在の兵庫県淡路島)津名郡・三原郡
作成命令者 執権北条泰時(守護長沼宗政が指揮)

参考文献

淡路国大田文〈貞応二年四月日/〉 - 文化遺産データベース
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/134407
大田文 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E6%96%87
国指定文化財等データベース - 文化庁
https://kunishitei.bunka.go.jp/
大田文(おおたぶみ) - ヒストリスト
https://www.historist.jp/word_j_o/entry/029799/
淡路国大田文の地頭 - 資料の声を聴く
http://zisaku.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-22a9.html

最終更新日: 2026.04.13