蔵珠院まい込み泉――徳島・国府の地に眠る西日本随一の螺旋井戸

徳島市国府町芝原、吉野川南岸の静かな田園地帯に佇む蔵珠院。その境内、本堂前方の地に、訪れる人の目を奪う不思議なかたちの井戸があります。地面に大きくすり鉢状の窪みを掘り下げ、その斜面を螺旋状の通路がゆっくりと底へと導いていく――それが「まい込み泉」と呼ばれる、江戸時代末期に築かれた稀有な水利遺産です。令和3年(2021年)に国の登録有形文化財に登録され、西日本では類例の少ない貴重な文化財として、いま改めて注目を集めています。

螺旋を描いて水へと至る、その独特なかたち

まい込み泉は、上部の直径が約6メートル、深さは約4.3メートル。すり鉢状に掘り込まれた窪みの底に、直径約0.8メートルの井筒が垂直に埋め込まれており、その壁面には螺旋状の通路が設けられています。かつては人がこの通路を歩いて底まで降り、直接水を汲み上げていたと伝わります。

このような形式の井戸は、関東地方の武蔵野台地や伊豆諸島で「まいまいず井戸」と呼ばれ、いくつかの遺構が知られています。「まいまい」は蝸牛(カタツムリ)の古い呼び名で、巻貝のような螺旋形にちなんで名付けられたものです。地下水位が低く、深い縦穴を掘る技術が乏しかった時代に、まずすり鉢状に大きく掘り下げ、湧水層に近づいてから井筒を据えるという、先人の合理的な知恵の結晶でした。しかし、こうした井戸は西日本ではほとんど現存しておらず、蔵珠院のまい込み泉は四国全域を見渡しても他に類を見ない貴重な事例として知られています。

なぜ国の登録有形文化財に選ばれたのか

令和3年10月14日、文化審議会の答申を経て国の登録有形文化財に登録されたまい込み泉。その評価の背景には、いくつかの明確な理由があります。

西日本では類例の少ない井戸形式

螺旋通路をもつ井戸の遺構は、関東の武蔵野台地に集中して分布しており、四国・徳島の地に同形式の井戸が現存することはきわめて稀有です。吉野川南岸という独特の地勢と、地域に根ざした石工技術が交差した結果として生まれた井戸であり、地域水利史の貴重な物証といえます。

地元の石材を用いた精緻な石組

井戸の壁面には、徳島近郊で広く産出する結晶片岩の板状割石が積まれています。結晶片岩は阿波地方の石垣や墓石にも古くから用いられてきた素材で、薄く割れる特性を活かしながら螺旋状の壁面を美しく整えた技術には、江戸末期の石工たちの確かな腕前がうかがえます。

地域の歴史と結びついた由緒

まい込み泉は、戦国時代に阿波の武将・久米安芸守義広が居城としたと伝わる芝原城の名残ともいわれています。芝原城は、現在の蔵珠院と隣接する芝原八幡神社一帯にまたがって築かれていたと考えられており、井戸はその城郭遺構の記憶を今に伝える存在でもあります。寺院の宗教史と中世・近世の在地武家の歴史が、ひとつの井戸を通じて結び合わされている点も、文化財としての厚みを増しています。

まい込み泉の見どころ

螺旋が誘う、視覚の妙

井戸の縁に立って覗き込むと、螺旋状の通路と灰青色の結晶片岩がつくる同心円が、視線を底の暗がりへと引き込んでいきます。長い年月のあいだに苔やシダがやわらかく石面を覆い、その風合いがまた独特の趣を添えています。降りることはできませんが、上から眺めるだけでも、その造形の美しさを十分に味わえます。

蔵珠院の境内伽藍

蔵珠院は東耀山と号する高野山真言宗の寺院です。寺伝によれば、平安時代初期の高僧・聖宝(理源大師)の開基と伝えられています。聖宝は832年に讃岐国に生まれ、874年に京都の醍醐寺を開創した人物として知られ、四国にも数々の伝承を残しています。本尊は薬師如来。境内には書院造りの本堂や数奇屋、茶室など、徳島藩政時代の建築様式が今なお残り、まい込み泉を取り巻く空間そのものが歴史の重層を感じさせます。

同時に登録された蔵珠院茶室

本堂の西側に建つ蔵珠院茶室は、まい込み泉と同じ令和3年に国登録有形文化財となりました。木造瓦葺平屋建、面積は約81平方メートル。茶席を催す2室と水屋、控室、上の間の計5室から構成され、杉、南天、赤松といった多様な木材を用い、天井や床の間の意匠を部屋ごとに変えるなど、細部にまで数寄屋建築の趣向が凝らされています。茶室はあわせて拝観されると、江戸末期の阿波の文化的厚みをより深く感じることができるでしょう。

「寅の大水」を伝える木製標柱

寺の入り口横には、慶応2年(1866年)に発生した吉野川の大洪水「寅の大水」の水位を記した木製の標柱が立てられています。吉野川とともに歩んできた地域の暮らしを今に伝える、ささやかながら印象深い記念物です。

あわせて訪ねたい周辺の名所

蔵珠院が位置する国府町は、その地名のとおり、かつて阿波国府が置かれた由緒ある土地。徳島市内でも有数の文化財密集地帯として知られ、四国八十八箇所霊場の札所が複数集まっています。

  • 常楽寺(第14番札所)――境内全体に岩盤が露出する独特の景観で知られる。
  • 阿波国分寺(第15番札所)――奈良時代に聖武天皇の勅願により建立された阿波の国分寺。
  • 観音寺(第16番札所)――平安初期の創建と伝わる古刹。
  • 井戸寺(第17番札所)――その名のとおり境内に霊水の井戸を伝える。

そのほか、阿波国府の総鎮守として崇敬されてきた大御和神社(府中宮)や、八倉比売神社、阿波史跡公園、徳島市立考古資料館など、古代阿波の歴史を体感できるスポットが徒歩や車での移動圏内に点在しています。蔵珠院に隣接する芝原八幡神社も、芝原城との関わりを偲びながら立ち寄りたい場所です。

拝観にあたってのご案内

蔵珠院は現役の寺院であり、まい込み泉も境内の一部にあります。静かに参拝のうえ、井戸内部への立ち入りはお控えください。撮影は私的利用の範囲では概ね差し支えありませんが、フラッシュや三脚の使用は他の参拝者への配慮からご遠慮いただくのが望ましいでしょう。井戸はすでに枯れていますが、雨上がりは石面が滑りやすくなるため、縁に近づく際は足元に十分ご注意ください。

Q&A

Q「まい込み泉」という名前にはどんな意味がありますか。
A「まい込む(舞い込む/巻き込む)」と「泉」を組み合わせた呼び名で、螺旋状の通路を伝って底の水へと降りていく動きを表現したものと考えられます。地元では「心水の泉」「栄螺(さざえ)の泉」「まいまい井戸」など、複数の愛称でも親しまれてきました。
Qいつ頃造られた井戸なのですか。
A国の登録上は江戸時代末期、天保年間から慶応年間にかけて(おおよそ1830年代から1860年代)に築かれたとされています。一方で、戦国時代の芝原城に由来するとの伝承も伝わっており、より古い起源をもつ可能性も指摘されています。
Q今でも水は湧いていますか。
A現在は水は涸れており、井筒の底にも水はありません。ただし、螺旋状の通路、結晶片岩の壁面、中央の井筒といった構造はそのまま良好に残されており、当時の姿をはっきりと見て取ることができます。
Q拝観料はかかりますか。
A蔵珠院は地域の信仰を受けてきた現役の寺院で、境内の拝観料は特に設けられていません。心ばかりの志納金は、寺院の維持にあてられます。
Q公共交通機関でのアクセス方法を教えてください。
A徳島市中心部から徳島バスの覚円線「竜王団地」行きに乗車し、「芝原東」バス停で下車。そこから徒歩でおよそ10分ほどで蔵珠院に到着します。お車の場合は徳島自動車道・藍住インターチェンジから30分ほどが目安です。

基本情報

名称 蔵珠院まい込み泉(ぞうしゅいんまいこみいずみ)
指定種別 国登録有形文化財(建造物)
登録年月日 令和3年(2021年)10月14日
建造年代 江戸時代末期(1830年~1868年頃)
構造・規模 石造/直径約6メートル、深さ約4.3メートル、底部に直径約0.8メートルの井筒。壁面は結晶片岩の板状割石積み
員数 1基
所在地 徳島県徳島市国府町芝原字宮ノ本3
所有者 宗教法人蔵珠院
宗派 高野山真言宗
山号 東耀山(とうようざん)
本尊 薬師如来
開基 理源大師聖宝(伝・平安時代初期)
アクセス 徳島バス覚円線「竜王団地」行き「芝原東」バス停下車、徒歩約10分

参考文献

蔵珠院まい込み泉 - 文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/543128
国指定文化財等データベース(文化庁)- 蔵珠院まい込み泉
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014088
蔵珠院のまいこみ泉:徳島市公式ウェブサイト
https://www.city.tokushima.tokushima.jp/smph/kankou/shimin_isan/history/017.html
蔵珠院 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/蔵珠院
まいまいず井戸 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/まいまいず井戸

最終更新日: 2026.04.21