森博士の家:戦後日本住宅建築の原点となった名作

東京都文京区本駒込の閑静な住宅街にひっそりと佇む「森博士の家」は、日本の住宅建築史における重要な転換点を象徴する建物です。1951年(昭和26年)に建築家・清家清によって設計されたこの小住宅は、文豪・森鷗外の長男である医学者・森於菟の邸宅として建てられました。2016年(平成28年)に国登録有形文化財に登録されたこの住宅は、戦後日本の住宅設計における新たな方向性の出発点として、建築史上きわめて高い評価を受けています。

歴史的背景:森家の系譜

この家の意義を深く理解するためには、施主である森家の歴史を知ることが欠かせません。森於菟(もり おと、1890年~1967年)は、日本近代文学を代表する文豪・森鷗外(1862年~1922年)の長男として東京に生まれました。鷗外は小説家・詩人・翻訳家であると同時に陸軍軍医総監をも務めた人物であり、『舞姫』『雁』などの名作を残しています。「於菟」という名前はドイツ語のOtto(オットー)にちなんで命名されたもので、鷗外のドイツ文化への深い造詣が反映されています。

父と同じく医学の道に進んだ於菟は、解剖学を専門とする医学者として活躍しました。東京帝国大学医学部助教授を経て、台北帝国大学(現・台湾大学)医学部教授を務め、戦後は東邦大学医学部教授・医学部長を歴任しました。学術活動の傍ら、父・鷗外に関する回想記『森鷗外』『父親としての森鷗外』などの著作も残しています。

戦後日本に引き揚げた於菟は、当時まだ若き建築家であった清家清に新居の設計を依頼しました。こうして文京区本駒込の地に誕生したのが「森博士の家」です。

建築家・清家清:日本の住宅建築を革新した巨匠

清家清(せいけ きよし、1918年~2005年)は、戦後日本の住宅建築を語る上で欠かすことのできない建築家です。京都市に生まれ、東京美術学校(現・東京藝術大学)および東京工業大学で学び、モダニスト建築家・谷口吉郎に師事しました。1951年に完成した「森博士の家」は清家にとって初めての独立した作品、すなわちデビュー作であり、この一作で彼は日本の住宅建築界において確固たる地位を築きました。

清家はその後も1950年代を通じて、「斎藤助教授の家」(1952年)、「宮城教授の家」(1953年)、そして自邸「私の家」(1954年)など画期的な小住宅を次々と設計しました。バウハウスの創始者ヴァルター・グロピウスは1954年の来日時に清家の「斎藤助教授の家」を訪れて深く感銘を受け、清家をアメリカのThe Architects Collaborative(TAC)に招聘しました。グロピウスは清家の作品を「日本建築の伝統と近代技術の幸福な結婚」と称賛したことで知られています。

清家の影響力は自身の作品にとどまらず、東京工業大学教授として篠原一男をはじめとする次世代の建築家たちを育成しました。篠原が清家のもとで学ぶことを決意したきっかけは、まさに建築雑誌『新建築』に掲載された「森博士の家」の写真に感銘を受けたことでした。

文化財登録の理由

森博士の家は2016年(平成28年)8月1日に、国登録有形文化財(建造物)として登録されました。登録の理由として、後に住宅設計で高い評価を受けることになる建築家・清家清の初期の代表作であることが挙げられています。

公式の登録説明では、この住宅の特徴が詳細に述べられています。簡素な材料と間取りの中にあって、建具を介した自由な空間構成と、整理された生活動線による機能美を有していることが高く評価されました。限られた資源の中で最大限の住みやすさを追求する戦後の精神を体現し、日本の建築文化の中心的な建物類型となった都市型小住宅の原型として位置づけられています。

建築的見どころ

森博士の家は、木造平屋建て、鉄板葺きで、建築面積は約91平方メートルの小住宅です。平面計画では西寄りに玄関、東寄りに台所等を配し、その間に居室を連続させる構成となっています。緩やかな屋根勾配と細い構造線の強調により、軽快で洗練された外観を実現しています。

最も注目すべき特徴は、伝統的な日本の建具(引き戸や間仕切り)を活用した柔軟で多機能的な空間構成です。内部を固定された個室に分割するのではなく、必要に応じて空間を開放したり区切ったりすることが可能であり、モダニズムのオープンプランと伝統的な書院造りの空間意識を融合させた流動的な空間の連続性を生み出しています。

床と天井が全体を通じて同一レベルで構成されている点も、空間の一体感を高める重要な要素です。機能的効率性と美的抑制を両立させるこの設計思想は、清家の生涯を通じた建築哲学の核心となりました。1968年に改修が行われましたが、清家のオリジナルデザインの本質は大切に保たれています。

見学案内

森博士の家は個人の住宅であるため、内部の見学はできません。ただし、国登録有形文化財制度は道路から見える外観を登録の対象としているため、通りからその外観を鑑賞することは可能です。戦後日本建築に関心のある方にとって、本駒込の静かな住宅街を歩きながらこの歴史的建造物をその周辺環境の中で観察することは、大変意義深い体験となるでしょう。

所在地は東京都文京区本駒込一丁目11-51です。最寄り駅は東京メトロ南北線・本駒込駅で、駅から徒歩約5分です。

周辺の見どころ

文京区は東京都内でも屈指の文化・文学の宝庫であり、歴史・建築・文学に関心のある方にとって理想的なエリアです。森博士の家の周辺には、以下のような魅力的なスポットがあります。

  • 文京区立森鷗外記念館 — 近隣の千駄木にある鷗外の旧居「観潮楼」跡地に建てられた記念館。原稿や書簡、遺品などを通じて文豪の生涯と作品を紹介しています。息子・於菟の住まいと合わせて訪れることで、森家の歴史をより深く理解できます。
  • 六義園 — 本駒込駅からすぐの場所にある、江戸時代を代表する回遊式庭園。美しく整備された庭園は、春の桜や秋の紅葉の時期に特に人気があります。
  • 駒込富士神社 — 古墳の上に築かれた歴史ある富士塚の神社。江戸時代の富士信仰の文化を伝える貴重な場所です。
  • 旧古河庭園 — ジョサイア・コンドル設計の洋館と日本庭園が調和する名園。春と秋のバラ園が特に有名です。北方へ少し足を延ばせば訪れることができます。
  • 谷根千(谷中・根津・千駄木) — 東側に広がる下町情緒あふれるエリア。小さな寺院や工芸品店、活気ある谷中銀座商店街など、昔ながらの東京の雰囲気を楽しめます。

Q&A

Q「森博士」とは誰のことですか?
A文豪・森鷗外の長男である森於菟(もり おと、1890年~1967年)のことです。於菟は解剖学を専門とする医学者で、台北帝国大学や東邦大学の教授・医学部長を歴任しました。
Q森博士の家は見学できますか?
A森博士の家は個人住宅のため、内部の見学はできません。ただし、国登録有形文化財の登録対象は道路から見える外観ですので、通りから外観を鑑賞することは可能です。
Qなぜ森博士の家は建築史的に重要なのですか?
A戦後日本を代表する住宅建築家・清家清のデビュー作であり、初期の代表作だからです。モダニズムのオープンプランと日本の伝統的な空間要素を融合させた設計手法の先駆けとなり、後に篠原一男が清家のもとで学ぶきっかけにもなった歴史的な作品です。
Q最寄り駅はどこですか?
A東京メトロ南北線の本駒込駅が最寄りで、駅から徒歩約5分です。
Q森鷗外と文京区にはどのような関わりがありますか?
A森鷗外は千駄木の団子坂上にあった邸宅「観潮楼」で長年暮らしており、現在その跡地には文京区立森鷗外記念館が建てられています。息子の於菟が本駒込に住まいを構えたことも、森家とこの地域の深い縁を物語っています。

基本情報

名称 森博士の家(もりはかせのいえ)
設計 清家清(せいけ きよし、1918年~2005年)
竣工 1951年(昭和26年)/1968年改修
構造 木造平屋建、鉄板葺、建築面積約91㎡
文化財指定 国登録有形文化財(建造物)、2016年(平成28年)8月1日登録
所在地 東京都文京区本駒込一丁目11-51
アクセス 東京メトロ南北線 本駒込駅より徒歩約5分
公開状況 個人住宅のため非公開(道路からの外観鑑賞は可能)

参考文献

文化遺産オンライン — 森博士の家
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/295199
国指定文化財等データベース — 森博士の家
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014455
Wikipedia — 清家清
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%AE%B6%E6%B8%85
Wikipedia — 森於菟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E6%96%BC%E8%8F%9F
文京区 — 国登録文化財
https://www.city.bunkyo.lg.jp/b047/p004380.html

最終更新日: 2026.03.29