旧川端龍子邸:日本画家が自ら構想した住まいと画室
旧川端龍子邸は、東京都大田区南馬込四丁目にある日本画家・川端龍子(1885-1966)の旧宅で、昭和13年(1938年)の画室から昭和30年(1955年)ごろの持仏堂までの4件が、令和6年(2024年)3月6日に国の登録有形文化財に登録された。現在は大田区立龍子公園として整備され、通りを挟んだ向かいの大田区立龍子記念館が案内を受け持っている。読みは「きゅうかわばたりゅうしてい」で、龍子は「りゅうし」と読む。
川端龍子は本名を昇太郎といい、明治18年(1885年)に和歌山県で生まれた。洋画を学んで渡米したのち日本画に転じ、昭和4年(1929年)に美術団体の青龍社を興して、展覧会場で見せることを前提にした大画面の作品を描き続けた。昭和34年(1959年)には文化勲章を受けている。
大田区教育委員会によれば、龍子は大正9年(1920年)からこの地に住み、昭和41年(1966年)に亡くなるまで暮らした。自伝には「普請道楽」と書き残すほど建てることを好み、旧川端龍子邸の建物はいずれも龍子の構想に基づいて設計されている。
空襲をくぐった画室と、戦後に建て直された住まい
旧川端龍子邸の4件のうち、もっとも古いのは画室である。昭和13年(1938年)、青龍社の創立10年にあたる年に上棟した。住まいの側は昭和20年(1945年)の空襲で焼け、龍子は爆撃の跡を池に造り替えて「爆弾散華の池」と名づけた。池はいまも園内に残る。
現在の主屋は昭和26年(1951年)の再建である。棟札に設計者として名が記された大川正平は、昭和17年(1942年)に龍子の修善寺別邸を建てた大工で、昭和29年(1954年)には主屋の東に中門を増築し、昭和30年(1955年)には西に仏間棟を建て足した。仏間棟のさらに西の持仏堂は棟札が見つかっていないが、同じ年の増築と考えられている。
龍子の没後、平成5年(1993年)に大田区が画室の敷地を買い入れ、建物は寄贈を受けた。住まいの側には遺族が暮らし続けたが、平成15年(2003年)に国への物納を経て区が取得し、敷地全体が大田区立龍子公園となった。
旧川端龍子邸の配置と4件の登録
旧川端龍子邸の敷地では、主屋及び中門・仏間棟・持仏堂の3件が東から西へ一列につながって住まいの部分をつくり、その北に画室が建つ。主屋から東へ延びた中門が、北の庭と画室への出入口になっている。住まいと画室が北側の庭を囲む形で、庭は龍子が「写生材料の植え込み」と呼んだと龍子記念館は紹介している。
4件はいずれも令和6年(2024年)3月6日に登録され、登録番号は13-0499から13-0502まで連続する。登録基準は4件とも「造形の規範となっているもの」である。同じ日には、通りの南側に建つ龍子記念館も13-0503として登録された。記念館は龍子が文化勲章と喜寿を記念して構想し、昭和37年(1962年)に竣工した美術館で、旧川端龍子邸とは道路1本を隔てて向かい合う。
なお、龍子公園の解説には旧宅を戦後の昭和23年から29年(1948年から1954年)の建造とする記述があり、文化庁データベースの年代(主屋は昭和26年、中門は昭和29年)とは幅が異なる。各棟の年代と構造は、それぞれのページで扱う。
旧川端龍子邸の見学とアクセス
旧川端龍子邸のある龍子公園は、龍子記念館の開館日に記念館の職員が案内する形で公開されている。案内は午前10時、午前11時、午後2時の1日3回で、その時刻に門が開く。案内の時間以外は門が閉まっており、自由に入ることはできない。記念館は月曜日(祝日の場合は翌日)と年末年始(12月29日から1月3日)、展示替えの期間が休館で、その日は案内もない。
園内では建物を外側から見る形になり、各棟の内部は通常は公開されていない。画室については、特別公開の日や展覧会に合わせて、事前予約制で内部を見学できる機会が設けられることがある。令和8年(2026年)は「東京文化財ウィーク2026」に合わせ、10月24日・25日・31日、11月1日・3日の各日午前10時から午後3時まで龍子公園を無料で開放し、同じ日の画室内の見学は事前予約制と案内されている。
通常の案内に料金がかかるかどうかは、記念館の利用案内に明記がない。記念館の入館料は通常展で一般200円、中学生以下100円である。撮影の可否も公式の案内には記載がないため、当日、案内の職員に確かめたい。
旧川端龍子邸の所在地は大田区南馬込4-49-11で、龍子記念館(大田区中央4-2-1)の向かいにあたる。JR大森駅西口から東急バス4番の荏原町駅入口行きに乗り、臼田坂下で降りて徒歩2分ほど。都営地下鉄浅草線の西馬込駅南口からは、馬込桜並木通りを歩いて15分ほどである。記念館の駐車場は平置き5台で、道が狭いため大型バスは入れない。
旧川端龍子邸の呼び名
旧川端龍子邸は、公開施設としては「大田区立龍子公園」、案内のなかでは「旧宅とアトリエ」とも呼ばれる。登録名称は「旧川端龍子邸主屋及び中門」「旧川端龍子邸仏間棟」「旧川端龍子邸持仏堂」「旧川端龍子邸画室」の4件で、英語では Former Kawabata Ryushi Residence と表記する。画家名の龍子を「りゅうこ」と読むのは誤りで、ふりがなは「りゅうし」である。
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース「旧川端龍子邸主屋及び中門」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014754
- 文化庁 国指定文化財等データベース「旧川端龍子邸仏間棟」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014755
- 文化庁 国指定文化財等データベース「旧川端龍子邸持仏堂」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014756
- 文化庁 国指定文化財等データベース「旧川端龍子邸画室」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00014757
- 大田区「龍子記念館及び旧川端龍子邸の国登録有形文化財(建造物)登録について」
- https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/manabu/culture/topics/kunitourokuyuukeibunkazai.html
- 大田区教育委員会『ぶんかざいおおた』第27号(令和6年10月)特集「旧川端龍子邸」「龍子記念館」
- https://www.city.ota.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai_hogo/bunkazai-ota.files/bunkazaiota27.pdf
- 大田区立龍子記念館「龍子公園」
- https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/park
- 大田区立龍子記念館「利用案内」
- https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/guide
- 大田区立龍子記念館「交通・アクセス」
- https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/access
- 大田区立龍子記念館「東京文化財ウィーク2026における特別公開事業について」
- https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/news/detail?112632
- 大田区立龍子記念館「龍子記念館、旧川端龍子邸が国の登録有形文化財(建造物)に登録されました」
- https://www.ota-bunka.or.jp/facilities/ryushi/news/detail?65779
最終更新日: 2026.10.15
基本情報
| 名称 | 旧川端龍子邸 |
|---|---|
| 所在地 | 東京都大田区南馬込四丁目49-11 |
| 所有者 | 大田区 |
| 指定 | 登録有形文化財 4件 |
| 座標 | 35.58281, 139.71547 |