烏鷺図屏風 ― 等伯が晩年に行き着いた墨の世界

六曲の屏風が二つ、並んで立つ。一方の画面では黒い烏が空を旋回し、急降下する。もう一方では、年を経た柳のもとに白い鷺が水辺へ集まっている。黒と白、激しい動きと静けさ。長谷川等伯(1539〜1610)が生涯の終わり近くに描いた《烏鷺図屏風》である。

用いられているのは紙に墨だけ。色はいっさい挿していない。制作は慶長10年(1605)かその少し後とされ、等伯が60代を迎えていた頃にあたる。各隻はおよそ縦154.5センチ、横355.5センチ。一双を開けば七メートル近い大画面になる。昭和44年(1969)、国の重要文化財に指定された。

烏と鷺が同じ絵のなかに並ぶ例は多くない。漆黒の鳥と純白の鳥を左右の隻に振り分けることで、等伯は色に頼らず、対照そのものから一双の構成を組み立てている。

描いた絵師と、指定の理由

等伯は天文8年(1539)、能登国七尾、いまの石川県に生まれた。養父から絵の手ほどきを受け、若い頃は「信春」と号して北陸を中心に仏画を多く手がけた。33歳のとき妻子を連れて上洛し、都での名声を目指す。

転機となったのは51歳前後、大徳寺の山門の天井画と柱絵を任された仕事だった。茶人・千利休や豊臣秀吉の後押しも受けながら、等伯は当時画壇を支配していた狩野派をおびやかすほどの一門を築き上げる。《烏鷺図屏風》に向かった頃には、すでに国宝《松林図屏風》(東京国立博物館蔵)を完成させており、もはや証明すべきものを残さない大家の余裕のなかで筆をとっていた。

この屏風が1969年に国の指定を受けたのは、等伯最晩年を代表する一作と認められたからである。修業時代の型を抜け、墨一色でどこまで表現できるかをなお探り続ける絵師の姿が、画面にそのまま現れている。桃山絵画の頂点に立つ画家による、帰属の確かな晩年作。その価値が重要文化財としての位置づけにつながった。

二つの隻を読み解く

構図は一つの着想を極限まで押し進めたものだ。右隻では、水辺に傾く柳の老木を囲んで、十二羽ほどの鷺がさまざまな姿で身を寄せている。飛び立とうと翼を広げた一羽はどこか不格好で、磨き上げられた狩野派の水墨には見られない、肩の力の抜けた生気がある。頭上を横切る三羽は、より平面的で図案めいた形に整えられ、文様のようにも映る。

向かい合う隻の烏は、まったく異質だ。濃く深い墨で描かれた烏は、余白の紙を背に妙な重さをもって立ち現れる。装飾というより存在そのもので、見る者は古くからここにかすかな不穏さを覚えてきた。その違和感こそが、この絵の力でもある。

烏という題材は、中国からもたらされた。等伯は南宋の画僧・牧谿を深く学んでおり、牧谿が好んで描いた黒い叭々鳥を、日本になじみの深い鳥へ置き換えたのが烏だった。広くとられた余白、乾いた抑制のきいた筆づかい、一筆ごとの慎ましさ。そのすべてが中国の水墨の系譜を踏まえながら、等伯ならではの境地へと作り変えられている。

いま等伯の作品に会える場所

訪問を考える前に、一つ押さえておきたい点がある。《烏鷺図屏風》は、ふだん一般に公開されていない。長くは千葉県佐倉のDIC川村記念美術館の、いわば最初期のコレクションの一つとして親しまれてきた。同館が日本画の展示を終えたのにともない、本作は2018年、収集家・前澤友作氏が会長を務める現代芸術振興財団の所蔵へと移っている。現在も個人の手にあり、貸し出しや特別展のごく稀な機会に姿を見せるのみで、この作品そのものを目当てに訪れる計画は立てにくい。

等伯の水墨を確実に間近で見たいなら、東京・上野によい選択肢がある。彼の墨画を代表する国宝《松林図屏風》は東京国立博物館の所蔵で、年明けの短い期間などに公開される。《烏鷺図屏風》と同じ、削ぎ落とされた晩年の墨の系譜にある作で、等伯の水墨に直に出会うにはもっとも近道といえる。

京都では、智積院が祥雲寺のために等伯一門が描いた金碧の障壁画を伝え、《楓図》など、彼の画域のもう一方の極を示す華やかな作を所蔵する。さらに能登の七尾には、等伯生誕の地として石川県七尾美術館があり、初期の作を収めて郷土の画家として顕彰している。これらの場所を辿れば、地方の仏画から日本絵画の最前線へと駆け上がった一人の絵師の生涯が見えてくる。

Q&A

Q《烏鷺図屏風》は、いまどこかの美術館で見られますか。
A常時は見られません。本作は現代芸術振興財団が個人的に所蔵しており、常設展示されていません。貸し出しや特別展のごく稀な機会にのみ公開されるため、観覧を期待するより、その時々の展覧会情報を確認することをおすすめします。
Qなぜ等伯は烏と鷺を一緒に描いたのですか。
A真っ黒な鳥と真っ白な鳥、動と静という一つの対照の上に、作品全体を組み立てるためです。烏は、等伯が学んだ中国の画家・牧谿に由来します。牧谿の黒い叭々鳥を、日本になじみのある鳥へ置き換えたものです。
Q作品の大きさはどのくらいですか。
A六曲一双の屏風で、各隻はおよそ縦154.5センチ、横355.5センチです。二隻を並べると七メートル近くに達し、広大な余白のなかに鳥がほぼ実物大の存在感で描かれています。
Qいつ描かれ、等伯の生涯のどこに位置づけられますか。
A慶長10年(1605)かその少し後、等伯が60代の頃の作とされます。すでに国宝《松林図屏風》を描き終え、自在で円熟した墨の境地に達した時期にあたり、重要な晩年作の一つに数えられます。
Q本作を見られない場合、代わりに何を訪ねればよいですか。
A東京国立博物館の国宝《松林図屏風》が最適です。多くは正月明けの短い期間に公開されます。彩色の作を見たい場合は、京都・智積院の金碧障壁画をおすすめします。

基本データ

名称紙本墨画烏鷺図〈長谷川等伯筆/六曲屏風〉
指定区分重要文化財(昭和44年〔1969〕6月20日指定、指定番号01643)
種別絵画
作者長谷川等伯(1539〜1610)
時代桃山時代、慶長10年(1605)以降
形状・員数六曲一双/紙本墨画(無彩色)
寸法各隻 約154.5×355.5センチ
現所蔵現代芸術振興財団(旧蔵:DIC川村記念美術館)/所在は東京都
公開状況常設公開なし。貸し出し・特別展などの機会に限り公開

References

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/201/2369
文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/161285
美術手帖:前澤友作がDIC旧蔵の等伯の重文《烏鷺図屏風》を収蔵
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/13857
CINRA:前澤友作が長谷川等伯の晩年期代表作『烏鷺図屏風』を収蔵
https://www.cinra.net/news/20180412-maezawayusaku

最終更新日: 2026.06.14