学校から組み立てられた家

河原家住宅主屋(かわはらけじゅうたくしゅおく)は、東京都大田区南馬込一丁目にある塔屋付きの木造平屋建住宅で、平成12年(2000年)2月15日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された(登録告示は同年3月2日)。この家を構成する材の大半は、よそから運ばれてきたものである。しかも、その「よそ」とは小学校だった。

文化庁の国指定文化財等データベースによれば、明治18年(1885年)建設の旧馬込小学校から玄関と教場の部分を移築し、和風住宅に改造したのが始まりである。その後、昭和38年(1963年)に同校が新校舎を建て替える際、大正14年(1925年)建設の時計台を譲り受け、主屋の書斎の上に載せた。

ひとつの住所に、二つの時代の学校建築が同居していることになる。日本の木造軸組は、ほぞと込み栓で組まれる。解体して運び、また組み直せる構法である。移築という言葉があり、茶室も門も民家も、この方法で幾度も場所を移してきた。珍しいのは手法ではなく、素材の出どころのほうだ。公立小学校の校舎が、二度にわたって、個人の住まいへ姿を変えた。

みんなの時計だったもの

大正14年から昭和37年頃まで、この時計台は小学校の屋根の上にあり、界隈の目印として働いていた。登校する子どもは時刻を確かめ、下の道を通る大人も同じ文字盤を見上げた。昭和38年の建て替えで、時計台は廃材になっていたかもしれない。実際には数町を移動し、個人の家の屋根の上へ落ち着いて、そのまま今日に至る。

登録基準が「国土の歴史的景観に寄与しているもの」とされている理由もここにある。登録番号は13-0070、第22回登録で、東京都内では早い時期の登録にあたる。この位置づけは妥当だろう。守られているのは建築の標本というより、たまたま住宅の上に載ることになった地域の共有記憶のほうだからである。

記載上の構造は「木造平屋建塔屋付、瓦葺、建築面積123㎡」。年代について一点、注意を添えておきたい。同データベースの「年代」欄は大正14年とするが、同じページの解説文は、主体部が明治18年の校舎に由来し、大正14年のものは時計台であると明記している。正確な建設年次を必要とする場合は、データベースの単一年次を登録上の便宜的表記と受け止め、大田区に直接確認するのが確実である。

周辺の性格にも触れておく。南馬込は「馬込文士村」と呼ばれる一帯に含まれる。大正12年(1923年)の関東大震災を機に都心を離れた小説家・詩人・画家たちが、この付近に相次いで移り住んだ。都市が周囲で姿を変えるあいだも、この地域は起伏と緑を残す住宅地であり続けた。こうした風変わりな住宅が生き延びたことも、同じ流れの一部といえる。

見に行くために

所在地は大田区南馬込1-55-8。都営浅草線の西端にあたる西馬込駅の西口から、徒歩8分ほど。浅草線は日本橋や浅草を通るので、都心の下町から乗り換えなしで30分ほどで着く。

個人の住宅であり、内部は非公開である。文化庁データベースの所有者欄は空欄で、これは同データベースの表記慣行として個人所有を意味する。区による公開事業も設けられていない。できるのは、道を歩いて見上げることだけだ。そしてその時計台こそ、足を運ぶ価値のある対象である。低く伏せた和風住宅の屋根の上に、小ぶりな木造の塔が載る。設計者が白紙から考えていたら、まず到達しない釣り合いだ。

車ではなく歩いて近づきたい。このあたりの道は細く、生活道路である。公道にとどまり、門前で立ち止まらず、窓ではなく屋根の輪郭にレンズを向ける。ここには人が住んでいる。それこそが登録制度の想定する状態でもある。築100年に近い建物が住まいであり続けられる程度に、規制を軽くしてある。

半日の散策にするなら、馬込・山王一帯には歩いて回れる範囲に他の登録有形文化財が点在する。日本画家・川端龍子の旧宅とアトリエを含む龍子記念館、徳富蘇峰の邸宅の一部を保存する山王草堂記念館は、いずれも見学ができる。非公開の個人住宅では補えない地域の来歴を、この二館が埋めてくれる。

Q&A

Q河原家住宅主屋の内部は見学できますか?
Aできません。個人の住宅で内部は非公開です。大田区による公開事業も設けられていません。見学は公道からの外観に限られますが、屋根の上の時計台は道路からはっきり見えます。
Q河原家住宅主屋への行き方は?
A所在地は東京都大田区南馬込1-55-8です。都営浅草線の西馬込駅西口から徒歩8分ほど。浅草線は日本橋・浅草と直結しているため、乗り換えなしで向かえます。
Q河原家住宅主屋の時計台は、どこから来たものですか?
A馬込小学校です。大正14年(1925年)に同校の校舎に建てられ、昭和37年頃まで地域の目印として親しまれました。昭和38年の校舎建て替えの際に現在地へ移築され、主屋の書斎の上部に設置されています。
Q河原家住宅主屋は、なぜ文化財に登録されたのですか?
A登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」です。明治期の小学校校舎を移築した主体部の上に、同じ学校の時計台が載るという成り立ちと、それが長く地域に親しまれてきたことが評価されました。登録は平成12年2月15日付です。
Q河原家住宅主屋の周辺には、ほかに見どころがありますか?
A一帯は「馬込文士村」と呼ばれ、関東大震災後に文士や芸術家が移り住んだ地区です。徒歩圏には、川端龍子の旧宅とアトリエを併設する龍子記念館、徳富蘇峰の邸宅の一部を保存する山王草堂記念館があり、いずれも見学できます。

基本情報

名称河原家住宅主屋(かわはらけじゅうたくしゅおく)
所在地東京都大田区南馬込1-55-8
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 13-0070
指定年平成12年(2000年)2月15日登録、同年3月2日告示(第22回登録)
員数1棟
寸法木造平屋建塔屋付、瓦葺、建築面積123㎡
所有者個人(文化庁データベースに所有者名の記載なし)
公開状況内部非公開。公道からの外観見学のみ

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「河原家住宅主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00001499
文化遺産オンライン「河原家住宅主屋」
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/192499
大田観光協会「旧馬込小学校の時計台」
https://www.o-2.jp/contents/旧馬込小学校の時計台/
馬込文士村
https://www.magome-bunshimura.jp/
文化庁「登録有形文化財(建造物)」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html

最終更新日: 2026.08.22