元の禅僧が、日本僧に書き与えた別れの偈

泰定2年(1325)9月2日、長江の南岸、いまの南京にほど近い保寧寺で、64歳の中国・元の禅僧が一枚の紙に筆を走らせた。受け取ったのは、海を渡ってきて三年のあいだ門下で修行した日本僧、別源円旨である。別れにあたって書かれたのは偈、すなわち仏教の韻文だが、その内容は通り一遍の餞別の言葉をはるかに超えていた。およそ700年を経たいま、この一幅は東京・世田谷の美術館におさめられ、国宝に指定されている。

正式な指定名称は「古林清茂墨蹟〈別源円旨送別偈/泰定二年九月二日〉」。紙本墨書の掛軸で、寸法は縦37.7センチ、横99.2センチ。所蔵するのは、世田谷区上野毛の五島美術館である。

師・古林清茂と、弟子・別源円旨

古林清茂(くりんせいむ、1262〜1329)は、浙江省温州の生まれ。幼くして出家し、臨済宗の横川如珙の法を嗣いだ。60代には中峰明本と並ぶ元代中期屈指の禅匠と仰がれ、金陵(南京)の保寧寺に住した。門下には了庵清欲や竺仙梵僊がおり、日本からの入元僧も数多く参じた。その数の多さから、日本から渡る僧で古林に参ぜぬ者はないとまで言われたという。弟子たちは、古林の号にちなんで「金剛幢下(こんごうとうか)」と呼ばれた。

別源円旨(べつげんえんし、1294〜1364)は越前、いまの福井県の生まれ。鎌倉の円覚寺で十二年修行したのち、元応2年(1320)に元へ渡った。中国にとどまること約十一年、そのうち三年を古林のもとで過ごしている。14世紀は、こうした日中の禅僧の往来がもっとも盛んだった時期にあたる。日本僧は本場の禅を求めて大陸へ渡り、中国の高僧がその逆をたどることもあった。別源もその流れのなかにあり、彼が持ち帰った偈は、当時の交流を今日に示すもっとも大切な遺品のひとつとなった。

送別の偈が、印可状に等しい重みを持つ

別れの偈が一国の至宝に数えられるのは、その文面に理由がある。古林は、遠く日本から来た別源を鉄石のような求道心の持ち主と評し、三年のあいだ厳しい修行に堪えてきたとたたえたと伝わる。まだ大悟の境地には遠いとしながらも、いつか必ず徹底し、自分の法を継ぐにふさわしい者となるだろう、と書き記したという。禅の世界で、これは並大抵の言葉ではない。別れに際してこのように弟子の境涯を認めた偈は、師が弟子の悟りと指導の資格を公に認める証である印可状に近い重みを帯びる。

この一幅は、二つの仏教世界がもっとも深く結ばれた瞬間を、物として今に残す。筆も紙も言葉も、元代を代表する禅匠の手から、やがて自らの寺を開く日本僧の手へと、じかに渡った。古林のような高僧が筆をとった書は、日本で「墨蹟(ぼくせき)」と呼ばれ、師その人にふれるよすがとして、美術としてだけでなく信仰の対象としても重んじられてきた。本品が国宝に指定されたのは、昭和27年(1952)11月22日のことである。

書として、どこを見るか

古林は当時から能書として知られ、本品はその評価を裏づける。文字は行書、すなわち楷書の端正さと草書の速さの中間にある、流れるような書体で記されている。五島美術館の解説によれば、古林は元初の趙孟頫(ちょうもうふ、1254〜1322)の書風を学んだという。趙孟頫は、優美で均整のとれた書で後世の中国の好みを大きく方向づけた書画の巨匠である。その系譜は、抑制のきいた筆致、ととのった字間、急がない確かな運筆のうちに見てとれる。

ゆっくり眺めると、規律と情のあいだの張りつめた均衡に気づく。これは公式の文書であると同時に、二度と会うことのないであろう弟子に宛てた、きわめて私的な手紙でもあった。一字一字は威厳を保ちながら、筆の運びには別れの場の温かさがにじむ。漢文が読めなくとも、軸の前に立てば、上から下へ筆が下りていく動きと、書かれた速度そのものを目で追うことができる。

寺の宝から、信長の所蔵へ

この軸のたどった道のりは、そのまま日本の権力の見取り図でもある。帰国した別源は越前に弘祥寺を開き、偈はそこで守られた。やがて越前を治めた朝倉氏の手に移り、朝倉から織田信長(1534〜82)の所蔵へと入った。信長はこれを秘蔵したと伝わる。信長の没後は、重臣の丹羽長秀(1535〜85)へと渡っている。一人の静かな僧のために書かれた信仰の書が、時代を動かした武将たちの間を巡る品となった。禅の墨蹟が、茶の湯と武家の世界でどれほど重んじられたかが、ここからうかがえる。

別源その人も、晩年には高位にのぼった。将軍足利義詮の帰依を受け、京都五山のひとつ建仁寺の第四十四世住持となっている。偈頌をよくし、自らの作を集めた語録も残した。かつて古林の道場で鍛えられた弟子は、その世代を代表する禅僧の一人として生涯を閉じたのである。

五島美術館を訪ねる

五島美術館は、東急グループの礎を築いた実業家・五島慶太(1882〜1959)の収集品をもとに、昭和35年(1960)に開館した。世田谷区上野毛の閑静な住宅地にあり、東急大井町線の上野毛駅から歩いて5分ほどである。所蔵品は日本と東洋の古美術およそ5000件におよび、国宝5件を含む。なかでも12世紀の国宝「源氏物語絵巻」がよく知られる。

この軸を目当てに訪れる人へ、ひとつ大切な注意がある。同館には常設展示がない。展覧会はテーマごとに編まれ、年間を通じて入れ替わるため、古林の偈が出るのは特定の会期に限られる。出かける前に、必ず開催中の展覧会の内容を確かめてほしい。たとえ軸が出ていなくても、訪れる値打ちはある。美術館は斜面の木立を下る広い庭園に囲まれ、園内には石仏や池、文化財に登録された茶室が点在する。緑の渓谷である等々力渓谷も徒歩10分ほどの距離にあり、半日をこの一帯で過ごすのにちょうどよい。

Q&A

Q五島美術館に行けば、いつでもこの軸を見られますか。
Aいいえ。同館に常設展示はなく、展示はテーマごとに年間で入れ替わります。この軸が出るのは特定の会期に限られるため、訪問前に開催中の展覧会の内容を公式サイトで確認してください。
Q「墨蹟」とは何ですか。
A禅僧が筆をとった書のことです。師その人にふれるよすがとして、美術としてだけでなく信仰の対象としても重んじられ、とりわけ茶の湯の世界で大切にされてきました。
Qなぜ別れの偈がこれほど重んじられるのですか。
A文面が、三年の修行を経た別源円旨の境涯を師が認める内容になっているためです。弟子の悟りと指導の資格を認める証である印可状に近い重みを持つと評価されています。
Qどうして織田信長の所蔵になったのですか。
A別源が開いた弘祥寺に伝わったのち、越前の朝倉氏を経て信長の手に入りました。信長の没後は重臣の丹羽長秀へと渡っています。
Q美術館では他に何が見られますか。
A国宝「源氏物語絵巻」をはじめ5件の国宝を所蔵し、斜面に広がる庭園には歴史ある茶室が点在します。徒歩10分ほどの等々力渓谷とあわせて楽しめます。

基本情報

指定名称古林清茂墨蹟〈別源円旨送別偈/泰定二年九月二日〉
指定区分国宝(書跡・典籍)/昭和27年(1952)11月22日指定
年代元時代・泰定2年(1325)
筆者古林清茂(くりんせいむ、1262〜1329)
形状・材質一幅/紙本墨書
寸法縦37.7センチ、横99.2センチ
所有者公益財団法人五島美術館(東京都世田谷区)
所在地東京都世田谷区上野毛3-9-25
アクセス東急大井町線「上野毛駅」より徒歩約5分
公開状況常設展示なし。特定の展覧会でのみ公開。事前に会期の確認を。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/655
五島美術館 コレクション「古林清茂墨跡 餞別偈」
https://www.gotoh-museum.or.jp/2020/10/18/08-136/
文化遺産オンライン(国立文化財機構)
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/197700
五島美術館 利用案内・アクセス
https://www.gotoh-museum.or.jp/

最終更新日: 2026.06.12