古今和歌集巻第五(高野切本):日本最古の和歌集写本が伝える仮名書道の至宝
約千年の時を超えて、墨と紙が織りなす美の極致を今に伝える一巻の書があります。古今和歌集巻第五(高野切本)は、日本最初の勅撰和歌集『古今和歌集』の現存最古の写本の一部であり、国宝に指定された仮名書道の最高傑作です。秋の歌を収めたこの巻物は、単なる文学作品の写しではなく、平安時代の洗練された美意識と卓越した書の技が結晶した芸術作品として、千年にわたり人々を魅了し続けています。
古今和歌集とは
古今和歌集は、延喜5年(905年)に醍醐天皇の命によって編纂された、日本最初の勅撰和歌集です。紀貫之を中心とする選者たちが、約1,111首の和歌を春・夏・秋・冬の四季、恋、旅、哀傷などの主題ごとに全二十巻にまとめました。この歌集は、以後の勅撰和歌集の範となり、日本文学の根幹を形成する存在として長きにわたり尊重されてきました。
醍醐天皇に献上された原本は、残念ながら12世紀頃までに焼失してしまったとされています。しかし、古今和歌集は平安時代の貴族にとって必須の教養であったため、数多くの写本が作られました。平安時代に遡る写本だけでも約60種にのぼると言われており、その中で現存最古の写本が「高野切」なのです。
「高野切」の名の由来
「高野切」という名称には興味深い歴史があります。「切(きれ)」とは、もともと巻物や冊子であった書を鑑賞用に切り取って掛け軸に仕立てたり、手鑑(てかがみ)というアルバムに貼り込んだりした断片を指す美術史・書道史・茶道の用語です。この鑑賞形式は、室町時代以降、茶道の隆盛とともに盛んになりました。
「高野」の由来は、安土桃山時代に豊臣秀吉が巻第九の一部を高野山文殊院の住持・木食応其(もくじきおうご)に贈ったことにあります。この断簡が高野山に長く伝来して広く知られるようになったため、同じ原本から生まれた他の巻もすべて「高野切」と呼ばれるようになりました。
高野切はもとは全二十巻から成っていましたが、現存するのは巻一、二、三、五、八、九、十八、十九、二十の9巻分のみです。このうち巻物として完全な姿を保っているのは、巻第五(個人蔵)、巻第八(山口・毛利博物館蔵)、巻第二十(高知県蔵・高知城歴史博物館保管)のわずか3巻で、いずれも国宝に指定されています。その他の巻は各地の美術館や個人に分蔵される断簡として残っています。
巻第五:躍動感あふれる秋歌の世界
巻第五は古今和歌集の「秋歌下」を収めた巻です。巻子本(まきもの)の原姿を伝えるこの一巻は、縦約26.4センチメートル、全長約573.6センチメートルの優美な巻物です。料紙には雲母砂子(きらすなご)を全面に散らした麻紙が用いられており、光を受けてほのかに煌めく気品ある佇まいは、平安貴族の洗練された美意識を今に伝えています。
巻第五の書は、高野切に見られる三種の書風のうち「第二種」に分類されます。第二種の筆者は、当代きっての能書家・源兼行(みなもとのかねゆき、1023〜1074年頃活動)であるとする説がほぼ定説化しています。九条家本延喜式の紙背文書に残る兼行の自筆書状との筆跡の一致などが、この同定の根拠とされています。
第二種の書風は、三種の中で最も個性が強いとされ、側筆(そくひつ)を多用したやや右上がりの肉太の字形が特色です。力強くも優雅な筆致には、書き手の芸術的個性が鮮やかに表れており、見る者に躍動感と生命力を感じさせます。なお、巻第五は首尾ほぼ完存していますが、二首が切り取られて断簡として現存しています。
国宝に指定された理由
古今和歌集巻第五(高野切本)は、昭和26年(1951年)6月9日に国宝に指定されました。その価値は多岐にわたります。
- 古今和歌集の現存最古の写本の一部として、日本文学史・日本語史の研究に不可欠な第一級の史料であること。
- 完存する高野切3巻のうちの1巻として、平安時代の文学写本の巻子本としての原形を伝える極めて貴重な遺品であること。
- 仮名書道の最高峰として、約千年にわたり書のお手本として尊重されてきた芸術的価値を有すること。
- 三人の能書家による寄合書(よりあいがき)という、平安時代中期の書写文化を知る上で重要な資料であること。
仮名書道の美
高野切の魅力を深く味わうには、仮名書道の意義を理解することが大切です。仮名は平安時代に漢字(真名)を簡略化して生まれた日本独自の文字体系です。漢字が公式文書や漢学に用いられたのに対し、仮名は和歌や私的な手紙など、日本語の繊細な響きや感情を自在に表現する手段として発展しました。
高野切は、この仮名書道の頂点に立つ作品です。「連綿(れんめん)」と呼ばれる、文字と文字を流れるようにつなげて書く技法が、それぞれの書風に応じた美しさで展開されています。巻第五に見られる第二種の書では、線の太さの大胆な変化、活力に満ちた右上がりの筆運び、巧みな墨継ぎによる濃淡の妙が、力強さと繊細さを兼ね備えた独自の書の世界を生み出しています。
三種の書風と三人の能書家
高野切の最も興味深い特徴のひとつは、三人の異なる書き手がそれぞれの芸術的個性を発揮していることです。
第一種は巻一、巻九、巻二十を担当しており、最も格調高い端正な書風が特色です。古今集の冒頭と末尾を担当していることから、三人の中で最も地位の高い人物とされ、藤原行経(ゆきつね、1012〜1050年)とする説が有力です。抑制のきいた直筆主体の字形と、控えめな連綿が気品ある美を生み出しています。
第二種は巻二、巻三、巻五、巻八を担当し、源兼行の筆と推定されています。側筆を駆使した力強い書風は、宇治・平等院鳳凰堂の壁画色紙形や、御物の桂本万葉集などにも共通する筆跡が認められています。
第三種は巻十八、巻十九を担当し、藤原公経(きんつね、?〜1099年)とする説がありますが、未確定です。三種の中では最も穏やかで、現代的な印象を与える書風とされています。
高野切を鑑賞できる場所
巻第五は個人蔵のため常設展示はされていませんが、特別展などで公開される機会があります。高野切やその関連作品を鑑賞できる主な場所をご紹介します。
高知城歴史博物館(高知県高知市)では、国宝・巻第二十(第一種)が定期的に展示されています。東京国立博物館(東京都台東区上野)は巻十九の断簡(第三種)を所蔵し、仮名書道の特別展も開催しています。五島美術館(東京都世田谷区)には巻一の重要な第一種断簡があり、出光美術館(東京都)にも第一種の断簡が収蔵されています。また、三井記念美術館、根津美術館、アーティゾン美術館などにも断簡が所蔵されています。
巻第五と同じ第二種の書風を楽しみたい方には、山口県防府市の毛利博物館が所蔵する国宝・巻第八の鑑賞をおすすめします。同じ源兼行の筆による完本を間近に見ることができます。
周辺情報・関連スポット
高野切の完本が所蔵されている地域には、文化的に魅力あるスポットが数多くあります。高知城歴史博物館を訪れる際には、現存する12天守のひとつである高知城の見学や、地元の食文化を楽しめるひろめ市場もぜひ訪れてみてください。毛利博物館がある山口県防府市には、旧毛利家本邸の美しい庭園も広がっています。
東京では、高野切の断簡を所蔵する複数の美術館を巡る「書道アートめぐり」のコースを組むことができます。東京国立博物館、五島美術館、出光美術館、根津美術館などを訪ね、それぞれの美術館が持つ庭園の美しさとともに、平安時代の美意識に触れる一日を過ごすことができるでしょう。
Q&A
- 古今和歌集巻第五(高野切本)は実物を見ることができますか?
- 巻第五は個人蔵のため常設展示はされていませんが、美術館の特別展などに出品されることがあります。東京国立博物館や京都国立博物館などの展覧会情報をご確認ください。他の高野切の断簡や完本は、各地の美術館で鑑賞する機会があります。
- 高野切の三種の書風にはどのような違いがありますか?
- 第一種は最も端正で抑制の効いた格調高い書風、第二種(巻第五に見られる)は側筆を駆使した力強く個性的な書風、第三種は最も穏やかで流麗な書風とされています。それぞれの書き手の芸術的個性が反映された、異なる美の世界を楽しむことができます。
- 高野切は本当に紀貫之が書いたものですか?
- いいえ。高野切は伝統的に紀貫之の筆と伝えられてきましたが、実際には貫之の死後約150年後の11世紀中頃に書写されたものです。現在の研究では、三人の能書家による寄合書であることが明らかになっており、第二種の筆者は源兼行と推定されています。
- 高野切を書道のお手本として学ぶことはできますか?
- はい。高野切は仮名書道の最高の手本として広く学ばれています。二玄社の「日本名筆選」シリーズなど、高野切の各種を高精細に撮影した教本が市販されており、書道教室でも教材として使用されています。全国各地の書道教室やカルチャーセンターで、仮名書道の講座を受講することも可能です。
- 外国語対応の美術館はありますか?
- 東京国立博物館や京都国立博物館などの主要な国立博物館では、英語をはじめとする多言語の案内表示や音声ガイドが利用できます。五島美術館、出光美術館などの私立美術館でも英語の展示解説が用意されていることが多いですが、小規模な専門美術館では対応が限られる場合がありますので、事前にご確認ください。
基本情報
| 正式名称 | 古今和歌集巻第五(高野切本) |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(昭和26年〈1951年〉6月9日指定) |
| 種別 | 書跡・典籍 |
| 時代 | 平安時代・11世紀中頃(1050年頃) |
| 内容 | 古今和歌集 巻第五「秋歌下」 |
| 書風 | 第二種(源兼行筆と推定) |
| 法量 | 縦26.4cm、全長573.6cm |
| 形態 | 巻子本(まきもの)1巻 |
| 料紙 | 雲母砂子(きらすなご)を散らした麻紙 |
| 所有 | 個人蔵 |
| 所在地 | 東京都 |
参考文献
- 高野切 — Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%87%8E%E5%88%87
- WANDER 国宝 — 古今和歌集(高野切本)巻第五
- https://wanderkokuho.com/201-00571/
- 高知城歴史博物館 — 国宝 高野切のご紹介
- https://www.kochi-johaku.jp/materials/koyagire/
- 高知市公式ホームページ — 国宝 古今和歌集第廿(高野切本)一巻
- https://www.city.kochi.kochi.jp/soshiki/90/cas-state-1500200.html
- 文化遺産オンライン — 古今和歌集巻第廿(高野切本)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/284850
- 出光美術館 — 高野切第一種 収蔵品紹介
- https://idemitsu-museum.or.jp/collection/calligraphy/kana/02.php
- e国宝 — 古今和歌集巻第十九断簡(高野切本)
- http://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100388
- SHODO FAM — 高野切第一種・第二種・第三種について時代や特徴を解説
- https://shodo-fam.com/622
最終更新日: 2026.03.20