現存最古の古今集写本、その第十九巻
延喜五年(905年)頃、醍醐天皇は紀貫之ら四名の歌人に命じ、当代の和歌のうち優れたものを撰ばせた。こうして編まれたのが『古今和歌集』であり、天皇の勅命による最初の和歌集として、以後の勅撰集の規範となった。貫之自身が清書して献上したとされる奏覧本は十二世紀頃までに焼失したと考えられている。その本文を今に伝える最古の写本が、古筆の名跡として知られる「高野切」である。前田育徳会が所蔵する巻第十九残巻は、その高野切のなかでも価値の高い一巻にあたる。
「切(きれ)」とは、巻物や冊子から切り離された断片を指す。本来二十巻の巻子本であった高野切は、長い年月のうちに分割され、各帖・各段が別々の所有者の手にわたった。全体の通称は、その来歴の一場面に由来する。豊臣秀吉が古今集の巻第九巻頭の部分を高野山の木食応其に与えたことから、その断簡が世に知られ、やがて他の遺存巻も同じ名で呼ばれるようになった。
前田家に伝わった巻第十九は、小さな断簡ではなく、もとの巻物の連続した一部分が比較的まとまって残ったものである。それゆえ「残巻」と称される。収めるのは、古今集が「雑体」と呼ぶ部立て、すなわち通常の短歌とは形式を異にする長歌・旋頭歌・俳諧歌の歌群である。
三人の筆者による寄合書
高野切は、長らく撰者である紀貫之その人の筆と伝承されてきた。だが、近代に入って筆跡の研究が進むと、その見方は改められる。遺存する諸巻の書風は明らかに三種に分かれており、現在では三名の能書が分担して書写した寄合書(よりあいがき)と考えられている。便宜上、それぞれの筆者を第一種・第二種・第三種と呼び分けている。
このように複数の書き手が長大な本文を分担する制作は、平安の宮廷周辺では珍しいものではなかった。三種いずれの筆も、天慶九年(946年)頃に没した貫之の手ではない。書写されたのはおよそ一世紀のちの十一世紀中頃である。三人のうち第二種の筆者については、源兼行(1023〜74)に比定する説が有力で、これが制作年代を絞り込む手がかりとなっている。残る二人の筆者の特定は、なお慎重な考証の段階にある。
巻第十九は第三種の書風に属する。第三種で現存するのは巻十八と巻十九に限られるため、前田本はきわめて数の少ない遺品の一つである。三種のなかでも第三種は、字形が整って一字一字が読み取りやすく、連綿が伸びやかに続くことから、仮名を学び始める者がまず手本とすべき古典と位置づけられてきた。
国宝に指定された理由
本残巻は昭和三十年(1955年)二月二日、書跡・典籍の分野で国宝に指定された。その価値は、互いに支え合う二つの面から成り立っている。文献としては、失われた古今集の本文を、その成立から数世代の後の姿で伝える最古の証であり、本文の語句や配列を研究するうえで欠かせない。書としては、仮名が確かな成熟に達した時点の到達を示している。
仮名は、漢字を簡略化して生まれた表音の文字であり、これによって日本語の歌の音とリズムをそのまま書き留めることが可能になった。今日私たちが日常に用いる平仮名の字形は、高野切に見える形に由来すると考えられている。この書に向き合うことは、現代の日本語の文字がその姿を定めた一つの地点を見つめることでもある。
第三種には、その達成のなかでも独自の性格がある。第一種が抑制のきいた端正な書きぶりであるのに対し、第三種は明るく若々しい。筆線は切れ味が鋭く、墨はたっぷりと含ませて、連綿はゆるやかで均整のとれた速度で流れていく。この書風は、古典仮名のうちでも最も自然で軽妙なものとして、古くから高い評価を受けてきた。
書のどこを見るか
巻第十九は形式の異なる歌を収めており、なかには三十一文字をはるかに超えて続く長歌も含まれる。そのため筆者には、連綿を長く展開する余地があった。一行のうちで筆が字から字へと連なり、墨を継いでふたたび書き起こす。その呼吸を追っていくと、第三種が軽妙と評される理由が見えてくる。字間はゆったりと取られ、筆圧は抑制をもって変化し、太い線と細い線が無理なく交替する。
料紙そのものも、この格の作品にふさわしく入念に整えられ、しばしば染めや装飾が施されている。詞書・作者名・歌・左注の配置は、整然とした第三種の特質に従う。古い仮名を読めない者であっても、紙面の視覚的な律動はたどることができる。長く垂直に伸びる行、筆が速度をゆるめて力を蓄える瞬間、句の末でのすっきりとした抜き。これは本文であると同時に、意匠として味わうべき書である。
高野切に出会える場所
巻第十九残巻を所蔵するのは、旧加賀藩主前田家の文化財を保存する前田育徳会で、東京都目黒区駒場の尊経閣文庫がこれを管理する。尊経閣文庫は一般公開の展示施設というより、研究のための書庫・文庫であり、この巻が常時展示されることはない。同コレクションの品は特別展などに折々出陳されることがあるため、展覧会の案内を確認するのが、公開時期を知る最も確かな方法である。
高野切の書を実際に見たい場合には、ほかにも手がかりがある。高知県立高知城歴史博物館は、第一種の筆になる巻第二十を所蔵しており、これは全巻のうち唯一切断されずに伝わった完本である。第一種の断簡は東京とその周辺の美術館にも収まっており、五島美術館・三井記念美術館・出光美術館などが、年間を通じて古筆の名品を入れ替えながら公開している。いずれの機会も、前田本が示すのと同じ十一世紀の仮名の世界へと通じている。
Q&A
- 高野切は本当に紀貫之が書いたのですか。
- いいえ。貫之筆とするのは古来の伝承で、貫之は946年頃に没しています。書写はおよそ一世紀のちの十一世紀中頃で、三名の能書による分担書写です。第二種の筆者は源兼行に比定する説が有力です。
- なぜ「高野切」と呼ばれるのですか。
- 豊臣秀吉が巻第九の巻頭部分を高野山の僧に与え、その断簡が知られたことから、他の遺存巻にも名が広まりました。「切」は大きな作品から切り離された断片を意味します。
- 巻第十九はどのような点で貴重なのですか。
- 第三種の書風で書かれており、第三種は巻十八と巻十九しか現存しません。また形式の異なる雑体の歌を収めるため、連綿の長く流れる書きぶりを見ることができます。
- 前田本の巻を実際に見ることはできますか。
- 常時の公開はありません。研究施設である尊経閣文庫に収められており、一般の展示室ではありません。特別展などに折々出陳されることがあるため、事前に展覧会情報を確認するのがよいでしょう。
- 高野切の他の部分はどこで見られますか。
- 高知県立高知城歴史博物館が完本の巻第二十を所蔵します。東京周辺では五島美術館や出光美術館などが第一種の断簡を所蔵し、入れ替えながら公開しています。
基本情報
| 名称 | 古今集巻第十九残巻(高野切) |
|---|---|
| 所有 | 公益財団法人前田育徳会(尊経閣文庫・東京都目黒区駒場) |
| 指定区分 | 国宝(書跡・典籍) |
| 指定年月日 | 昭和三十年(1955年)二月二日 |
| 員数 | 一巻 |
| 時代 | 平安時代・十一世紀中頃 |
| 形状 | 巻子本、紙本墨書 |
| 伝称筆者 | 伝紀貫之筆。現在は三筆のうち第三種の書風とされる |
| 公開 | 常設展示なし。特別展などで折々公開 |
References
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/722
- e国宝(国立文化財機構)古今和歌集巻第十九断簡(高野切本)
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100388&content_part_id=001&content_pict_id=0
- 東京国立博物館「ひらがなの美―高野切―」
- https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1898&lang=ja
- 高知県立高知城歴史博物館「国宝 高野切のご紹介」
- https://www.kochi-johaku.jp/materials/koyagire/
- 文化遺産オンライン「尊經閣文庫」(前田育徳会)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/231131
最終更新日: 2026.06.13