政の人の筆――万里小路宣房が写した法華経

嘉暦元年(1326年)五月十三日という奥書をもつ一巻の巻物が、法華経の巻第八、最後の一巻の一部を伝えている。これを書写した手は、後醍醐天皇のもっとも信頼された廷臣のひとり、万里小路宣房のものである。巻物は一部分しか残らないため、正式の名は「残巻」と記す。昭和10年(1935年)以来の重要文化財で、現在は東京の公益財団法人前田育徳会が所蔵する。

経を手で写すことは信仰の行いであり、功徳を積み、祈りをささげる手立てであった。書写したのが権勢の頂にあった上級の公卿であれば、その巻物は二重の重みをもつ。宗教の品であると同時に、その人その人の痕跡でもある。宣房がこれを写した1326年は、彼が大納言を務め、鎌倉幕府との公然たる対立へ向かう朝廷の中心近くに立っていた頃にあたる。

法華経は東アジア仏教でもっとも尊ばれた経典のひとつで、しばしば八巻に分けて伝えられた。この巻はその結びの部分、教えを締めくくる箇所を収める。聖なる本文を超えてこの巻に格を与えているのは、これを書きとめた人物その人と、その筆の運びである。

宣房とは何者か、その筆がなぜ重んじられるのか

万里小路宣房(1258〜1348年)は、従一位・大納言にまで昇った公卿である。北畠親房、吉田定房とともに「後の三房」と呼ばれ、後醍醐天皇にもっとも近い三人の側近に数えられた。よく知られる働きは元亨4年(1324年)の正中の変のときのものだ。後醍醐天皇が討幕を企てたと疑われた際、宣房は天皇の勅使として鎌倉に下り、主君のために弁明し、無罪の裁断を得た。

彼は能書としても重んじられた。当時の宮廷文化は端正で律された筆跡を尊び、宣房の遺品はほぼ楷書に近い、整って落ち着いた書を見せる。こうした人物による写経は、二つの点で残すに値するとされた。筆そのものへの配慮と、後世が忠臣の鑑と仰いだ政治家との結びつきである。

昭和10年の指定は、この巻を国が認める書跡・典籍のなかに位置づけた。指定番号が早い時期に置かれていることは、この品が長く基準とされてきたことを映す。鎌倉時代末の、年紀の確かな公卿写経の一例である。

どこで、どう出会えるか

正直に始めれば、これは気軽に立ち寄って見られる巻物ではない。所蔵するのは前田育徳会、加賀藩主前田家が築いた収蔵品を守る財団で、東京・駒場の尊経閣文庫に納められている。この文庫は一般ではなく許可を受けた研究者のための施設であり、その閲覧業務はいずれにせよ令和8年(2026年)の夏まで停止されている。

旅行者にはより良い道がある。前田家の収蔵品は、旧加賀城下の金沢で順次公開されており、財団の所蔵品は石川県立美術館と、兼六園に隣り合う歴史的な成巽閣で通年に見ることができる。収蔵の書跡・典籍は各地の主要館の特別展に貸し出されることもあり、この種の傷みやすい残巻も、光を抑えた環境で期間を限って展示されうる。

信仰と政治と書線の交わりに惹かれるなら、金沢のこれらの施設や、東京・京都の大きな美術館の展示日程に目を配るとよい。かつて鎌倉の権力の前に立って主君を弁護した人物が写した経を前にするとき、中世史の抽象的な一頁が、立ち止まって読みうるものに変わる。

Q&A

Qこの巻物は展示で見られますか。
A常時は見られません。東京・駒場の尊経閣文庫で前田育徳会が所蔵し、研究者向けの施設で閲覧業務は2026年夏まで停止中です。前田家の宝物は金沢や、折々の特別展で一般に公開されます。
Q万里小路宣房とはどんな人ですか。
A従一位・大納言に至った公卿(1258〜1348年)で、後醍醐天皇にもっとも近い側近「後の三房」の一人です。1324年には天皇の勅使として鎌倉に下り、討幕の疑いを晴らしました。
Qなぜ「残巻」と呼ばれるのですか。
A巻物が法華経巻第八の全体ではなく一部だけを伝えるためで、正式の名は残巻と記します。嘉暦元年(1326年)の奥書をもちます。
Qそもそもなぜ経を手で写すのですか。
A写経は功徳を積み、祈りとなる仏教の行いでした。上級の公卿が写した場合は、書としての価値と、重要な歴史上の人物その人の遺品としての価値もあわせもちます。
Q前田家の他の宝物はどこで見られますか。
A金沢では、財団の所蔵品が石川県立美術館と、兼六園隣の成巽閣で通年に順次公開されます。収蔵品には「天下五剣」の一つに数えられる太刀「大典太」も含まれます。

基本情報

名称法華経〈巻第八残巻/万里小路宣房筆〉
所有公益財団法人前田育徳会(尊経閣文庫)
指定区分重要文化財(書跡・典籍)
指定番号00250
指定年月日昭和10年(1935年)4月30日
年代鎌倉時代 嘉暦元年(1326年)
員数1巻
筆者万里小路宣房(嘉暦元年五月十三日書写の奥書による)
公開状況常設公開なし。前田家の収蔵品は金沢や折々の特別展で公開。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/7509
公益財団法人前田育徳会(公式サイト)
https://www.ikutokukai.or.jp/
文化遺産オンライン(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/

最終更新日: 2026.06.22