高麗の宮廷から渡ってきた、金字一切経の唯一の遺巻
統和二十四年、すなわち一〇〇六年。高麗王朝で権勢の頂点にあった千秋太后皇甫氏は、寵臣の金致陽とともに心を同じくして発願し、紺紙に金字で書写した一切経の制作を命じた。一切経とは仏教の経・律・論を網羅した一大叢書であり、これを手書きで、しかも金泥で写しとる事業は、王家でなければ手の届かない規模のものであった。その膨大な金字大蔵経のうち、現在まで残るのはこの一巻のみである。京都国立博物館が所蔵する「紺紙金字大宝積経 巻第三十二」がそれにあたる。
本品は大宝積経という大乗経典の第三十二巻にあたる。縦は約二九センチ、全長は約八三二センチ、十六枚の紙を継いだ巻子で、深い藍の地に金泥の経文が整然と連なる。書写したのは崔成朔という人物で、奥に名を残している。年記の統和は当時の高麗が用いた契丹(遼)の年号で、二十四年は西暦一〇〇六年にあたる。
千秋太后皇甫氏(九六四〜一〇二九)は第五代高麗王・景宗の妃であり、第七代王・穆宗の生母である。『高麗史』は金致陽を太后の縁類と記し、穆宗の代に高位へ昇って権勢を振るったと記録する。同書の叛逆伝によれば、両者は子を成し、その子を王位に就けようと謀って穆宗十二年(一〇〇九)に挙兵したが誅され、太后は都を逃れたとされる。発願の年はその乱の三年前にあたり、本経は二人の力がなお揺るがなかった時期の祈りの所産といえる。
国宝に指定された理由
第一の価値は、手書きの金字大蔵経全体のうち、ただ一巻だけが現存する点にある。一切経は千数百巻にも及ぶ大部であり、それを金泥で書写した事業の規模は容易に想像できない。本品は高麗時代の装飾経としても現存最古の遺品である。装飾経とは、貴重な顔料や見返しの絵を加え、経典そのものを荘厳な供養の品へと高めた写経をいう。
美術史上の意義は希少性だけにとどまらない。表紙裏の見返しに描かれた絵は、年代を確実に定めうる高麗の紙本絵画としては最古であり、朝鮮半島の仏教絵画の展開をたどるうえでの基準作となっている。書風についても、力強く端正な筆致に北宋前期の書法が通い、遼・契丹の影響もうかがえると見られている。大陸との文化の往来を映す資料として注目される所以である。
本品は昭和五十三年(一九七八)に重要文化財に指定され、平成三十年(二〇一八)十月三十一日、国宝に指定された。
見どころ
まず注目したいのは料紙そのものである。藍で深く染めた紙は黒に近く沈み、そこに記された金泥の文字は夜空に浮かぶように見える。日常の読経のためというより、灯明のもとでの儀礼を念頭に置いた仕立てであった。
表紙には銀泥で宝相華唐草文が描かれる。宝相華は蓮やパルメットを理想化した文様である。そこから巻を開くと、冒頭に見返しの絵が現れる。三体の菩薩が、これも銀泥によって、散華して供養する姿に表される。研究者がとりわけ重視するのはこの小さな絵で、一〇〇六年という確実な年記が、朝鮮半島の紙本絵画史の初期に確かな足場を与えている。
最後に、見返しの左端に目を向けたい。そこには朱筆の書き入れがあり、嘉慶二年(一三八八)に権律師豪憲が近江の金剛輪寺へ施入した旨を記している。金剛輪寺は琵琶湖の東、現在の滋賀県にある湖東の古刹である。この一行の朱書によって、本経が十四世紀末までには日本へ渡り、長く日本の山寺に伝えられたのちに国立の博物館へ収まった経緯が分かる。朝鮮で生まれた品が、日本でも長い時間を過ごしてきたのである。
博物館の周辺
京都国立博物館は東山区にあり、鴨川や東山のふもとに広がる寺社の一帯から近い。展示の中心は平成知新館で、入口に向かって建つ赤煉瓦の旧館(明治二十八年、片山東熊設計の明治古都館)は、それ自体が重要文化財に指定されている。展示に使われていない時期でも、外観を眺める価値がある。
道を隔てた向かいには、千一体の千手観音立像で知られる三十三間堂が建つ。清水寺、豊国神社、東山南部の通りも徒歩や一回のバスで足を延ばせる距離にあり、博物館はこの界隈で半日を過ごす際の起点としやすい。
この一巻に関して、ほかの何よりも実用上の注意がある。光や取り扱いは古い紙を傷めるため、本品のように繊細な作品は限られた期間のみ公開され、ふだんは収蔵庫に納められる。常時展示されているわけではない。実見を目的に訪れる場合は、展示されているものと決め込まず、事前に博物館の展示予定を確認することをすすめたい。
Q&A
- 京都国立博物館に行けばいつでもこの巻物を見られますか。
- いいえ。光に弱い紙の国宝のため、公開は限られた期間に限られ、それ以外は収蔵されています。これを目的に訪れる場合は、事前に展示予定をご確認ください。
- 有名な高麗版大蔵経(木版印刷)と同じものですか。
- いいえ。高麗版大蔵経は版木から刷った印刷の大蔵経です。本品は金泥で一字ずつ手書きされた写経で、個人の信仰の供養として作られた、まったく別種の品です。
- なぜ高麗の経典が日本の国立博物館にあるのですか。
- 巻末近くの朱書から、嘉慶二年(一三八八)に近江(現在の滋賀県)の金剛輪寺へ施入されたことが分かります。十四世紀末までには日本へ渡っていたわけです。のちに国の所蔵となり、京都国立博物館が管理しています。
- 京都駅からの行き方を教えてください。
- 徒歩で約一・五キロ、二十分ほどです。市バス一〇〇・二〇六・二〇八系統が近くに停まり、京阪七条駅からは徒歩約七分です。
基本情報
| 名称 | 紺紙金字大宝積経〈巻第三十二/(高麗国金字大蔵経)〉 |
|---|---|
| 所在地 | 京都国立博物館(京都府京都市東山区茶屋町527) |
| 指定区分 | 国宝(平成30年〈2018〉10月31日指定。昭和53年〈1978〉6月15日に重要文化財指定) |
| 種別 | 書跡・典籍 |
| 国・時代 | 朝鮮・高麗時代 統和24年(1006) |
| 員数 | 1巻 |
| 寸法 | 縦約29.0cm、全長約831.7cm、16紙 |
| 品質・形状 | 紺紙金字・巻子装 |
| 所有者 | 独立行政法人国立文化財機構 |
| 公開状況 | 限られた展示期間のみ公開。常設展示ではありません |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/8831
- 文化遺産オンライン(国立文化財機構)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/200993
- 館蔵品データベース(京都国立博物館)
- https://knmdb.kyohaku.go.jp/3516.html
- ご利用案内(京都国立博物館)
- https://www.kyohaku.go.jp/jp/visit/info/
最終更新日: 2026.06.11