五十一平方メートルの一室住居
私の家(清家清自邸)は、東京都大田区東雪谷三丁目にある昭和29年(1954年)竣工の住宅で、平成29年(2017年)10月27日に登録有形文化財(建造物)として登録された。鉄筋コンクリート造平屋建、地下室付、建築面積51平方メートル。平面はおよそ5メートル×10メートルである。
この寸法は造形的な選択ではない。住宅金融公庫の融資条件に収まる面積である。当時東京工業大学助教授であった清家清は、昭和29年に自邸を建てようとする者が等しく置かれた枠のなかで設計している。以後この住宅が繰り返し参照されてきたのは、その枠の使い方による。
建設地は両親宅の裏庭であった。初期図面には「老教授の家」と記されており、当初は父で機械工学者の清家正のための住宅として構想されていたとみられる。実際には清家自身が家族と入居し、当初四人、のちに六人で暮らした。同じ敷地には後年、清家設計の住宅がさらに二棟建てられている。
「造形の規範となっているもの」
登録有形文化財には登録基準が定められており、どの基準で登録されたかは読み取る価値がある。住宅の多くは「国土の歴史的景観に寄与しているもの」で登録される。私の家に適用されたのは「造形の規範となっているもの」である。古いから、あるいは景観に馴染むからではなく、後続の設計者がここから学んだという評価が、区分そのものに書き込まれている。
文化庁の解説文は作動原理まで踏み込んでいる。限られた面積のなかで床高を15センチメートルとし、庭の広さを取り込んだ一室住居に家族が住まう構成。内部は平坦なスラブをハブマイヤートラスが支え、家具的な装置で空間を緩やかに分節する。戦後小住宅を代表する秀作、と締めくくる。
各節が一つの判断に対応している。15センチという床高は、伝統的な木造住宅の床レベルからはるかに低い。段差と敷居を前提とする関係を、この寸法が解体する。中央の居室の床は鉄平石張りで、そのまま庭の敷石へ連続し、下には温水式の床暖房が仕込まれる。玄関にあたる一画だけが大理石で示される。独立した玄関室は設けられていない。
天井を支えるのがハブマイヤートラスである。スラブを厚くするか梁を室内に落とすかわりに、清家は18ミリの鉄筋をラチス状に編んで溶接した架構を用いた。構造でありながら模様として読める細さで、発想源はイームズ自邸とされる。竣工時は赤茶色に塗られていたが、現在はオフホワイトで、室の印象は当時と相当に異なる。
間仕切はほぼ存在しない。寝室部分を隠す一枚のカーテンを除けば、空間を分けるのはキャビネット、棚、机であり、なかには床から浮いて壁に取り付くものもある。最も知られる装置が移動畳、すなわちキャスター付きの低い畳の台で、必要な位置へ押して使い、天候がよければ庭にも出す。もっとも15センチの段差があるため、庭へ出す際には持ち上げねばならない。着想の帰結がすべて便利になるわけではない。
細部と、見学の実際
ガラスブロックを探したい。寝室部分の壁の一部がガラスブロックで構成され、その足元の床には円形のガラスブロックが埋め込まれて、地下室へ光を落とす。階段室には竣工時の照明器具が一点だけ残る。同室の大きな窓は、地下でハンドルを操作すると腰壁へ吸い込まれるように下がるスチールサッシだったが、ワイヤーの破断を経て現在は動かされていない。
昭和52年(1977年)の増改築が、現状と1950年代の発表写真との差を生んでいる。この時に浴槽、独立した便所、洗面・脱衣の空間が加えられた。当初はシャワー室と便所がユニットのように接し、便所に扉がないことで知られていた。
私の家は現に所有者のある個人住宅であり、常設の公開施設ではない。2023年9月以降、所有者の協力のもとで試験的な公開が行われており、東京科学大学(旧・東京工業大学)の建築学生によるガイドツアーの形をとる。月1回程度、無料、事前予約制で、対象は建築の専門家および建築を学ぶ学生とされてきた。試験的な運用である以上、条件は変わりうる。訪問を検討する場合は「私の家」友の会の公式サイトで最新の案内を確認されたい。内部の撮影は認められてきたが、SNSやウェブでの公開は禁じられており、同一敷地内の他の清家設計住宅については撮影自体が認められていない。
最寄りは東急池上線の石川台駅で、閑静な住宅地を徒歩約9分。清家の作品は都内でほかにも辿れる。昭和26年(1951年)の森博士の家(文京区本駒込)は同じく登録有形文化財であり、昭和27年(1952年)の斉藤助教授の家は、来日したヴァルター・グロピウスが強い関心を示したと伝わる住宅である。
Q&A
- 私の家(清家清自邸)は見学できますか?
- 条件付きで可能です。2023年9月から試験公開が始まり、東京科学大学(旧・東京工業大学)の建築学生によるガイドツアーが月1回程度、無料・事前予約制で行われています。対象は建築の専門家および建築を学ぶ学生とされてきました。運用は変わりうるため、「私の家」友の会の公式サイトで最新条件をご確認ください。
- 私の家(清家清自邸)が51平方メートルしかないのはなぜですか?
- 5メートル×10メートルという平面が、住宅金融公庫の融資条件に収まる規模だったためです。清家清は昭和29年の一般的な制約のなかで設計し、間仕切のない一室構成、低い床高、動く家具によって、面積の数値以上の広がりを確保しました。
- 私の家のハブマイヤートラスとは何ですか?
- 平坦な天井スラブを支える、18ミリの鉄筋をラチス状に編んで溶接した架構です。構造を細く保つことで、一室空間に梁が張り出すのを避けています。発想源はイームズ自邸とされます。竣工時は赤茶色でしたが、現在はオフホワイトに塗装されています。
- 私の家(清家清自邸)は撮影できますか。アクセスは?
- 所在は大田区東雪谷三丁目、東急池上線の石川台駅から徒歩約9分です。見学時の内部撮影は認められてきましたが、SNSやウェブへの掲載は禁止されています。同じ敷地内にある他の清家設計住宅は撮影自体が不可です。予約時に条件をご確認ください。
- 私の家(清家清自邸)は国宝や重要文化財ですか?
- いずれでもありません。平成8年(1996年)に始まった、使いながら守ることを前提とする登録有形文化財です。登録は平成29年(2017年)10月27日、基準は「造形の規範となっているもの」で、住宅の登録では適用例が比較的少ない区分にあたります。
基本情報
| 名称 | 私の家(清家清自邸)(わたしのいえ) |
|---|---|
| 所在地 | 東京都大田区東雪谷三丁目519 |
| 指定区分 | 登録有形文化財(建造物) 登録番号 13-382 第88回登録 基準「造形の規範となっているもの」 |
| 指定年 | 平成29年(2017年)10月27日 |
| 員数 | 1棟 |
| 寸法 | 鉄筋コンクリート造平屋建、金属板葺、建築面積51㎡、地下室付。昭和29年建築/昭和52年増改築 |
| 所有者 | 個人(国指定文化財等データベース非公開) |
| 公開状況 | 個人住宅。事前予約制の限定見学あり(建築の専門家・建築系学生が対象) |
参考文献
- 文化庁 国指定文化財等データベース 私の家(清家清自邸)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00011885
- 文化遺産オンライン 私の家(清家清自邸)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/256755
- 「私の家」SEIKE HOUSE 友の会 公式サイト
- https://sites.google.com/view/seikehouse/home
- 文化庁 登録有形文化財(建造物)
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html
最終更新日: 2026.08.23