千年の時を超えた最古級の写本 国宝「日本書紀」岩崎本

養老4年(720年)5月、舎人親王らによって撰進された『日本書紀』は、わが国最初の勅撰国史である。神代から持統天皇の時代までを漢文の編年体で記す全30巻の大著だが、撰上当時の原本は現存しない。私たちが今日『日本書紀』を読めるのは、各時代に書き継がれた写本群のおかげである。その中でも屈指の古写本が、京都国立博物館に所蔵される国宝「日本書紀〈巻第二十二、第二十四〉」、通称「岩崎本」の2巻だ。

「岩崎本」の名は、旧三菱財閥の本家・岩崎家がかつて所蔵していたことに由来する。現在の所有者は独立行政法人国立文化財機構で、京都国立博物館が保管している。

2巻はいずれも同一人物の筆跡とみられ、筆跡と紙質の検討から、書写は10世紀から11世紀、平安時代中期と推定されている。『日本書紀』の写本としては、奈良国立博物館所蔵の巻第十残巻(国宝、田中本)に次ぐ古さであり、巻第二十二と巻第二十四に限れば現存最古の写本である。

残された2巻の中身も注目に値する。巻第二十二は推古天皇紀。冠位十二階(603年)や十七条憲法(604年)の制定、遣隋使の派遣など、聖徳太子(厩戸皇子)の事績が連なる巻である。巻第二十四は皇極天皇紀で、蘇我蝦夷・入鹿父子の専横から、645年の乙巳の変で入鹿が宮中に倒れるまでを収める。教科書で誰もが学ぶ飛鳥時代の核心が、この2巻に書かれている。

国宝指定の理由と価値

本品は昭和26年(1951年)6月9日、書跡・典籍の部で国宝に指定された。指定番号は00006。戦後の文化財保護法下でも特に早い段階での指定であり、その学術的重みを示している。

価値の第一は、本文資料としての古さである。原本が失われた以上、『日本書紀』の本文研究は写本同士の比較校訂に頼るほかない。10〜11世紀にさかのぼる岩崎本は、成立から約300年という比較的近い距離で本文を伝える証人であり、校訂の基準資料として不可欠の存在となっている。

第二は、書の美しさである。本文は「和様」と呼ばれる柔和で端正な書風で写されており、抑制の効いた筆線は平安時代中期の古写経と特徴を同じくする。この書風自体が書写年代推定の根拠のひとつであり、平安貴族の写本文化を代表する典籍として、書道史の上でも高く評価される。

第三に、国語学上の価値が大きい。漢文の本文には、日本語として読み下すための訓点が全体にわたって施されており、その系統は5種類に及ぶ。朱書の仮名・乎古止点・声点は書写から間もない平安時代中期のもの、墨書の仮名・乎古止点2種も平安時代後期を下らないとされる。千年前の学者たちが『日本書紀』をどう訓み、どう発音したか。その肉声に近い記録が紙面に層をなして残っているのである。古い日本語の実態を伝える資料として、これに匹敵するものは多くない。

さらに両巻の巻末には、室町時代を代表する碩学・一条兼良(1402〜1481年)が、『日本書紀』の家学を伝えた卜部家の本と校合した旨の識語を残す。校合は宝徳3年(1451年)と文明6年(1474年)の二度に及び、兼良自身の手になる仮名・返り点・注記が墨書で書き加えられている。平安の書写から室町の校勘まで、ひとつの写本の上に積み重なった学問の足跡をたどることができる。

見どころ 墨と朱が刻む学問の地層

漢字ばかりの巻物と聞くと身構えるかもしれない。だが見るべき点を知っていれば、紙面は途端に雄弁になる。

まず本文の字姿。一字一字が角張らず、丸みを帯びた穏やかな線で結ばれていく。唐様の鋭さを和らげた、平安中期らしい和様の典型である。料紙の上を一定のリズムで進む墨の運びを、ぜひ間近で確かめたい。

次に行間と字の周囲へ目を移す。朱の小さな仮名や点は最古層の訓点で、字の四隅などの定位置に打たれた点(乎古止点)が助詞や活用を示し、声点が漢字の声調を記す。墨の訓点はそれより後の世代の書き入れである。一枚の紙の上に、時代の異なる注記が地層のように重なっている。

そして巻末。平安の本文の傍らに、15世紀の一条兼良の識語と書き入れが並ぶ。書写から校合まで約400年、校合から現代まで約550年。その時間の厚みこそ、この写本最大の見ものである。

ただし注意がひとつ。本品は常設展示されていない。京都国立博物館の特別展や名品ギャラリーの展示替えで公開されることがあるものの、その機会は多くなく、数年単位で間が空くこともある。近年では、成立1300年を記念した2021年の特集展示「日本書紀」や、2023年の「日中 書の名品」展などに出陳された。実物を見たい場合は、京都国立博物館の展示スケジュールを事前に確認してほしい。なお、国立文化財機構の「e国宝」サイトでは両巻の高精細画像が公開されており、訓点の細部まで自宅で観察できる。

周辺情報 京都国立博物館とその界隈

京都国立博物館は京都市東山区、三十三間堂の向かいに位置する。名品ギャラリー(平常展示)の会場である平成知新館は谷口吉生の設計で2014年に開館。煉瓦造の明治古都館(1895年竣工)は重要文化財に指定されており、庭園からその外観を眺めるだけでも価値がある。

アクセスは、京都駅から徒歩約20分、または市バスで「博物館三十三間堂前」下車すぐ。京阪電車の七条駅からは徒歩約7分。周辺には豊国神社、方広寺の大鐘、河井寛次郎記念館、智積院、妙法院など見どころが徒歩圏に集まる。七条通沿いには茶店や食事処が点在し、西へ5分歩けば鴨川の河原に出る。三十三間堂の千体千手観音と合わせれば、半日かけて巡る価値のある一角である。

Q&A

Q岩崎本はいつでも見られますか。
A常設展示はされていません。京都国立博物館の特別展や名品ギャラリーの展示替えの際に公開されることがありますが、機会は限られます。展覧会情報は同館の公式サイトで確認してください。「e国宝」サイトでは高精細画像をいつでも閲覧できます。
Q『日本書紀』の原本ですか。
A原本ではありません。養老4年(720年)撰上時の原本は現存せず、岩崎本は平安時代中期(10〜11世紀)の書写と推定される写本です。それでも巻第二十二・第二十四としては現存最古で、『日本書紀』全体でも田中本(巻第十残巻)に次ぐ古写本です。
Qなぜ「岩崎本」と呼ばれるのですか。
A古写本は著名な旧蔵者の名で呼び分ける慣習があり、本品は旧三菱財閥本家の岩崎家に伝来したことからこの名があります。現在は独立行政法人国立文化財機構の所有で、京都国立博物館が保管しています。
Q訓点とは何ですか。
A漢文を日本語として読み下すために書き入れられた符号や仮名の総称です。岩崎本には朱と墨で5系統の訓点があり、最古の朱点は平安時代中期にさかのぼります。古い日本語の発音や文法を知る手がかりとして、国語学の研究に欠かせない資料です。
Q展示の際に写真撮影はできますか。
A京都国立博物館では展覧会や作品ごとに撮影の可否が異なり、貸出品や脆弱な作品は撮影不可となるのが一般的です。会場の表示に従ってください。細部の観察には公式の「e国宝」画像の利用をおすすめします。

基本データ

名称日本書紀〈巻第二十二、第二十四〉(通称:岩崎本)
指定区分国宝(書跡・典籍) 昭和26年(1951年)6月9日指定 指定番号00006
員数2巻
時代平安時代(書写は10〜11世紀と推定)
所有者独立行政法人国立文化財機構
保管施設京都国立博物館(京都府京都市東山区茶屋町527)
公開状況常設展示なし。特別展・名品ギャラリーで不定期に公開
アクセス京都駅から徒歩約20分、市バス「博物館三十三間堂前」下車すぐ、京阪七条駅から徒歩約7分

参考文献

国指定文化財等データベース 日本書紀〈巻第二十二、第二十四〉
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/560
e国宝 日本書紀 巻第二十二 巻第二十四
https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=101085&content_part_id=0&content_pict_id=0
文化遺産オンライン 日本書紀(岩崎本)巻第二十二 巻第二十四
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/543725
京都国立博物館 館蔵品データベース 日本書紀(岩崎本)
https://knmdb.kyohaku.go.jp/360.html
WANDER 国宝 日本書紀(岩崎本)
https://wanderkokuho.com/201-00560/

最終更新日: 2026.06.11