新島の大踊 ―― 顔を隠した踊り手が、太平洋の流人島に舞う盆の夜

八月十五日の夕方、新島・長栄寺の境内に、提灯に先導された男たちが二列で入ってくる。誰もが、笠の周囲に「カバ」と呼ぶ布を垂らし、その布で顔をすっかり覆っている。手にあるのは刀でも松明でもなく、一本の扇だけだ。地面には綱が円く張りめぐらされ、踊り手がその内へ入って輪を閉じると、大踊が始まる。楽器の合奏はない。一曲の終わりに太鼓が一度打たれるほかは、母音を長く延ばす歌い手の声だけを頼りに、踊り手はゆっくりと動く。

新島は東京の中心から南へ約一五〇キロメートル、太平洋に浮かびながら、れっきとした東京都の一部である。ここに伝わる大踊は、日本に残る風流踊のなかでも古い姿をとどめる小歌踊で、令和四年(二〇二二)にはユネスコの無形文化遺産にも記載された。舞台向けに整えられたことのない、生きた村の祭りを間近に見られる数少ない機会といえる。

二つの集落、二つの夜

大踊は、同じ島の二つの集落に伝わる。本村は島の中央西側の海岸一帯を占める古い集落で、若郷は北部西岸にあり、宝永八年(一七一一)に本村から移り住んだ人々が拓いた。それぞれが独自の大踊を守り、盆の時期に別々の夜に踊る。

先に踊るのは若郷で、八月十四日の晩、妙蓮寺の境内で行われる。本村はその翌日、八月十五日の夕方から長栄寺で踊る。両者は写し合いではなく、近い親類のような関係にある。基本の所作は共通するが、カバの色が違い、伝える演目の数も違い、踊るときの腰の位置まで異なる。本村ではこの踊りを盆祭祝儀踊と呼び、若郷では単に盆踊と呼ぶ。

流人の島、そして伝来の年は定かでない

いつ伝えられたかを記す史料は残っていない。室町時代末から江戸時代初めにかけて全国で流行した風流踊の流れをくむもの、というのが通説である。歌詞がその系譜を裏づけている。多くの曲は室町小歌風の詞でつづられ、その内容には恋を主題にしたものが多い。

新島には、この踊りに陰影を与える独特の歴史がある。江戸時代の約二百年間、島は流刑地であった。本土から罪人や政治犯が送られ、彼らを軸とした文化が島に育った。大踊もまた、その流人の社会と結びついた芸能の一つに数えられる。流人が島の人々に踊りを手ほどきしたとも、流人が踊るために顔を隠したとも伝わる。いずれも記録ではなく言い伝えだが、この踊りが島で流人文化を代表する芸能と受けとめられてきた理由をよく示している。

国は平成十七年(二〇〇五)二月二十一日、この踊りを重要無形民俗文化財に指定した。さらに令和四年(二〇二二)十一月三十日、全国四十一件の風流踊をまとめた「風流踊」の一つとして、ユネスコ無形文化遺産代表一覧表に記載された。

踊り手の装束と、その意味

大踊を踊るのは男性である。踊り手は、周囲にカバを垂らした笠をかぶり、紋服の着流しに角帯を締め、その上に細い真田紐を結ぶ。カバの色は本村が紫、若郷が赤。頭から背へは、色鮮やかな下げ緒が長く垂れる。足は素足ではなく、白足袋のまま履物を履かずに地を踏む。

腰には印籠が下がる。新島の印籠は飾りではない。踊りの場へ入る証であり、これを身に付けなければ踊りに加われない。踊り手だけでなく、円く区切られた場に入る者は皆、必ず身に付けることになっている。若郷では、女性が身を清める意味で、カバに自分の名を書き入れる。

踊りの場の縁には、二つの作り物が立てられ、踊りの間ずっとそのままにされる。一つはカサボーロクで、大きな傘の周りにカバを張りめぐらせ、内側には細く切った布、鏡、鋏、鈴、息災を祈って奉納された女性の髪を束ねたものなどが吊るされる。もう一つはカマで、長い棒の先に鎌を取り付けたもの。本村では鎌に縄を巻き、若郷では巻かない。いずれも魔除けと考えられている。

踊りの組み立て

現在踊られているのは、本村が「役所入り踊」「お福踊」「伊勢踊」の三演目、若郷が「役所入踊」「備前踊」「青が丸」「伊勢踊」の四演目である。最初と最後の演目は両村に共通し、その順序が変わることはない。踊りは必ず役所入り踊で始まり、必ず伊勢踊で終わる。

伊勢踊だけが手踊で、それ以外はすべて扇を手にして踊る。扇の持ち方には決まりがある。扇の骨に人差し指を引っかけ、そこに親指を添えて、軽く持つ。そうすると扇がゆったりと柔らかく動くのだという。よく現れる動作にはそれぞれ名がある。つき扇、あおぎ、つっ込む、うっちゃる、すて扇、かかえ扇、すくい出し。踊りはこうした決まった所作を組み合わせて構成される。どの動作も歌詞の内容を表してはいない。動きは歌詞とは別の流れを進んでいく。

二つの集落の違いが最もはっきり出るのが、ここである。若郷は膝を曲げ、重心を低く落とし、大きくゆったりとうねるように踊る。本村は腰の位置がやや高く、扇を持つ動作もいくぶん小さい。両方を立って眺めれば、血のつながりは紛れもなく、しかし身体の重みと振りの大きさの違いもまた、はっきりと見てとれる。

島への行き方と、あわせて訪ねたい場所

新島へ渡ること自体が、すでに旅の一部である。竹芝桟橋からの高速ジェット船でおよそ二時間半、調布飛行場からの定員十九名の小型プロペラ機なら約四十分、竹芝発の夜行大型客船はいちばん時間がかかるかわりに運賃が安い。島はサーファーに知られ、羽伏浦の長い白砂の浜が有名だ。世界でもごく限られた地でしか採れない淡い色のコーガ石を切り出した建物や像も島の見どころで、島内に点在するモヤイ像も、渋谷駅前にあるあのモヤイ像も、いずれもこの石でできている。

八月の祭りの日にあたらない場合は、本村の新島村博物館が大踊を知る手がかりになる。本村と若郷それぞれの装束を着けた実物大の踊り手の人形が展示され、大踊の様子を映像で見られるコーナーもある。祭り自体は屋外で行われ、雨天には中止となるため、本番を見るなら日程に余裕をもたせておきたい。

Q&A

Q新島の大踊は、いつ、どこで見られますか。
A盆の時期、若郷では八月十四日の晩に妙蓮寺で、本村では八月十五日の夕方から長栄寺で踊られます。どちらも屋外で行われ、雨天には中止となるため、祭りを目当てに行く場合は事前に現地で確認することをおすすめします。
Qなぜ踊り手は顔を隠すのですか。
A笠の周囲にカバと呼ぶ布を垂らし、顔を覆って踊ります。島の流人の歴史と結びつけ、もとは流人が踊ったからだとも伝わりますが、これは記録ではなく言い伝えです。
Q誰でも踊りに加われますか。
A踊り手は男性が務めます。区切られた踊りの場に入るには、腰に印籠を下げることが必要で、円の中に入る者は皆これを身に付けることになっています。
Q本村と若郷の踊りは、どう違うのですか。
A基本の所作は同じですが、細部が異なります。本村はカバが紫で演目は三曲、若郷は赤で四曲です。若郷は重心を低く大きく踊り、本村は腰がやや高く、扇の動作も小ぶりです。
Q東京から新島へはどう行きますか。
A竹芝桟橋からの高速ジェット船で約二時間半、調布飛行場からの小型機で約四十分です。竹芝発の夜行大型客船は、時間はかかりますが運賃を抑えられます。

基本情報

名称新島の大踊(にいじまのおおおどり)
所在地東京都新島村 本村・若郷
指定区分重要無形民俗文化財(民俗芸能/風流)
指定年月日平成十七年(二〇〇五)二月二十一日
ユネスコ記載令和四年(二〇二二)十一月三十日「風流踊」の一つとして
開催日八月十四日(若郷・妙蓮寺)、八月十五日(本村・長栄寺)
保護団体新島大踊保存会・若郷大踊保存会
アクセス東京から南へ約一五〇キロメートル。竹芝桟橋からジェット船・客船、または調布飛行場から飛行機

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁) 新島の大踊
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/302/00000780
文化遺産オンライン(NII) 新島の大踊
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/161491
ユネスコ無形文化遺産【風流踊】 新島の大踊
https://furyu-odori.com/odori/新島の大踊/
新島村観光案内所 新島の大踊
https://niijima-info.jp/spot/2435/
東京都新島村 「新島の大踊」ユネスコ無形文化遺産に決定
https://www.niijima.com/facility/community/hakubutsukan/news/2022-1217-1103-48.html
東京宝島うみそら便 新島の行き方・アクセス
https://www.islandaccess.metro.tokyo.lg.jp/island/niijima/

最終更新日: 2026.05.28