古今和歌集序(彩牋三十三枚)
一枚ごとに色を変えて染め、雲母や蠟引きで文様を摺り出した唐紙を、三十三枚継ぎ合わせて一巻の巻子に仕立ててある。その色とりどりの料紙の上を、流麗な草仮名が流れていく。書かれているのは、紀貫之が記した『古今和歌集』仮名序の一節である。東京・虎ノ門の大倉集古館が所蔵する国宝で、書跡の名宝として知られる。
序文そのものの成立は、この写本よりもさかのぼる。延喜五年(九〇五年)ごろ、醍醐天皇の勅命によって最初の勅撰和歌集が編まれた。撰者の一人である紀貫之は、漢文で書かれた真名序と並ぶ形で、仮名による序文を書き起こした。この仮名序は単なる前書きにとどまらず、和歌とは何かを論じた歌論の早い達成として読み継がれてきた。
大倉集古館の一巻は、その仮名序をおよそ二百年後の平安後期に書写したものである。もとは「巻子本古今和歌集」と呼ばれる二十巻一そろいに、この序一巻を加えたセットの一部であったと考えられている。そのうち完本の巻子として残るのは、この序だけである。歌を収めた本篇二十巻は、長い年月のうちに分割され、額装され、あるいは手鑑に貼り込まれて、各地の館に断簡として散在している。
誰の筆か
書写者の名は定まっていない。かつてこの巻は、当代屈指の歌人であった源俊頼の筆として伝来した。近年は書風の検討が進み、別の名に重心が移っている。藤原定実である。様式の上からこの説を採る研究者が多い。
定実の血筋は際立っている。和様の書を完成させたと評され、三跡の一人に数えられる藤原行成の曾孫にあたり、行成に発する世尊寺流の第四代でもあった。この帰属に従えば、本巻は宮廷の書の家系という確かな流れのなかに位置づけられる。ただしこれはあくまで書風からの推定であり、文献によって裏づけられた事実ではない。今後の研究で改められる余地のある帰属として受け止めておくのがよい。
国宝に指定された理由
本巻が国宝に指定されたのは、昭和二十六年(一九五一年)六月九日である。その価値は、重要な本文と、それを載せるにふさわしい料紙とが一巻のうちに出会っている点にある。
本文としては、早い時期の巻子本『古今和歌集』のうち、完全な形で残る部分にあたる。『古今和歌集』は日本の文芸の礎となった歌集である。一方で物としては、平安期の料紙装飾の到達点に属する。三十三枚は唐紙と呼ばれる中国風の紙で、その技法は宋代の中国から渡来した。竹を原料とした紙に具引きを施し、雲母摺りや空摺りで文様を摺り出した華やかな紙が舶来し、その珍しい意匠を貴族が好んだ。本巻の文様には植物や人物がみられ、料紙が一枚ごとに色も意匠も異なるため、巻を開くにつれて地の色が移ろっていく。
書はその料紙に応えている。仮名は流れるような草書体で揮毫され、下地の装飾に合わせて筆の太細が変えられている。洗練された料紙と確かな筆とが響き合うこの一巻は、古筆を代表する名宝に数えられている。
見どころ
これは目でゆっくりと読み解く作品である。まず色を追ってほしい。染められた一枚が次の一枚へと移り変わる呼吸、そして摺り出された文様が仮名の下に浮かび、また沈んでいくさまを見る。筆の細る所、太る所にも目をとめたい。書き手は地の装飾に応じて画線の太さを按配しており、書と紙は二つの層ではなく一つの意匠として組み立てられている。
実用上の注意が一つある。この巻は長く、保存のために一度に全体を広げることはしない。公開の際もしばしば一部分のみが示され、会期の途中で見える箇所が替わることもある。巻頭の数行を見るのと、末尾を見るのとが、別々の機会になることもある。
多くの人が目当てにするのは巻頭である。貫之はここで、後の和歌観を決定づけた一節から筆を起こした。「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」。人の心を種に、歌の言葉がそこから茂る葉に喩えられている。色染めの平安の紙の上に揮毫されたこの一節の前に立つことは、有名な思想を活字ではなく手書きの最初の姿で見ることでもある。
周辺の見どころ
本巻を所蔵する大倉集古館は、東京都心の虎ノ門、ホテル「The Okura Tokyo」の敷地内にある。実業家の大倉喜八郎が長年集めた古美術と典籍を収めるため大正六年(一九一七年)に開館したもので、日本最初の私立美術館とされる。この一巻は、喜八郎の子である大倉喜七郎を通じてこの館に収まった。
序の公開は機会が限られるため、この一品だけを目当てにするよりも、館の収蔵品全体を見て回る計画にしておきたい。大倉集古館は、ほかにも平安時代の国宝・木造普賢菩薩騎象像や、鎌倉時代の国宝・紙本淡彩随身庭騎絵巻を所蔵し、屏風や陶磁、東洋古美術もそろう。序が出ていない月でも、訪れる甲斐のある館である。
料紙装飾の系譜をたどりたいなら、上野の東京国立博物館に近しい国宝がある。元永三年(一一二〇年)の元永本『古今和歌集』で、同じく華やかな色料紙に書写された完本である。両者は互いを照らし合い、元永本のほうが公開の機会も多い。虎ノ門と上野は地下鉄でほどよい距離にあり、二館を組み合わせて巡るのも難しくない。
Q&A
- 大倉集古館へ行けばいつでも見られますか。
- いいえ。光に弱い紙の作品のため、公開は年に一度程度で、その際も多くは一部分のみです。来館前に必ず開催中の展覧会の予定をご確認ください。常時展示されているわけではありません。
- この巻は紀貫之が直接書いたものですか。
- いいえ。貫之が序の文章を記したのは九〇五年ごろです。この巻はそれよりおよそ二百年後の平安後期に、別の人物が書写した写本です。書写者の特定には定説がありません。
- 書写者は誰と考えられていますか。
- 長く源俊頼の筆として伝来しましたが、書風から藤原定実とする説を採る研究者が現在は多くなっています。定実は名筆家・藤原行成の流れをくむ人物です。これは推定であり、確定した事実ではありません。
- 「彩牋三十三枚」とはどういう意味ですか。
- 色を染め、文様を施した唐紙を三十三枚継いで一巻の巻子に仕立てている、という意味です。一枚ごとに色も意匠も異なります。この枚数は指定名称にも記されています。
- より見やすい関連作品はありますか。
- あります。東京国立博物館の元永本『古今和歌集』は、一一二〇年の完本で、同様の色料紙に書写されており、公開の機会も比較的多くあります。代わりに、あるいは併せて観るのに適しています。
基本情報
| 指定名称 | 古今和歌集序(彩牋三十三枚)(こきんわかしゅうじょ) |
|---|---|
| 種別 | 書跡・典籍 |
| 時代 | 平安時代(写本)/序文の成立は九〇五年ごろ |
| 員数 | 一巻(巻子本) |
| 指定区分 | 国宝(昭和二十六年〔一九五一年〕六月九日指定) |
| 書写者 | 伝・源俊頼/近年は書風から藤原定実とする説が有力 |
| 所有者 | 公益財団法人大倉文化財団 |
| 所在地 | 大倉集古館(東京都港区虎ノ門) |
| 公開状況 | 公開は年に一度程度。多くは一部分のみのため、来館前に展覧会予定の確認を推奨 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/557
- 大倉集古館 公式サイト
- https://www.shukokan.org/
- e国宝/東京国立博物館「古今和歌集(元永本)」(関連する国宝)
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100171
- 大倉集古館(ウィキペディア日本語版)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/大倉集古館
最終更新日: 2026.06.13