大字で書写された奈良時代の写経
東京の前田育徳会が所蔵する「賢愚経残巻(大聖武)」は、奈良時代に書写された写経の遺品で、三巻が国宝に指定されている。指定は昭和31年(1956)6月28日。三巻はそれぞれ419行、146行、18行を残し、もとは十六巻あるいは十七巻に及んだとみられる大部の経典の一部にあたる。
賢愚経は賢愚因縁経ともいい、善悪の行いがどのような果報を招くかを、数多くの譬喩や因縁の説話によって説いた経典である。章立ては六十余りに及び、品数を六十二とする資料と六十九とする資料があって、伝来の過程で区分が動いたことをうかがわせる。
「大聖武(おおじょうむ)」という通称は、この経が聖武天皇の宸筆と伝えられてきたことに由来する。文字が他の写経に比べて格段に大きいため「大」を冠し、中字の「中聖武」、小字の「小聖武」と区別される。実際の筆者については、奈良時代の写経生のなかでも腕の立つ者、あるいは渡来系の能書家の手になるとする見方が有力で、天皇宸筆という伝承はあくまで言い伝えとして受けとめておきたい。
国宝に指定された理由
まず目を引くのは文字の大きさである。奈良時代の写経は一行十七字ほどを収めるのが標準だったが、ここでは一行わずか十二字から十三字。一字一字が太く堂々として、筆線を二度書きしたとも指摘されるほど力強い。その書風は中国・龍門の造像記、とりわけ始平公造像記との近さが説かれ、天平期の写経の到達点のひとつに数えられる。
料紙にも見どころがある。表面に黒や茶褐色の細かな粒子が無数に浮き、かつてはこれを釈迦あるいは光明皇后の遺骨を漉き込んだものとする言い伝えがあった。「荼毘紙(だびし)」の名はここから生まれている。のちに顕微鏡で観察され、粒子は香木を細かく砕いて混ぜたもので、防虫と荘厳をかねた仕立てだとする説が定着した。料紙そのものはマユミの靱皮繊維を原料とする真弓紙に胡粉を塗ったもので、正倉院文書にも「真弓紙」「檀紙」として記録が残る。
希少性も指定の大きな理由である。もと十六、七巻が東大寺戒壇院に伝来したが、遅くとも室町時代後期には流出し、切断された。数行の断簡であっても古筆手鑑の巻頭を飾る名筆として珍重され、有力者の蔵帖の冒頭に押すのが習いとなったため、結果として度重なる切断を招いた。巻子の形でまとまって残るのは、奈良の東大寺、前田育徳会、兵庫の白鶴美術館、東京国立博物館の四件のみで、いずれも国宝に指定されている。
見どころ
前田育徳会本の三巻は、いずれも当初のままの一続きではなく、残った料紙を継ぎなおして仕立てられている。紙数と行数が巻ごとに大きく異なるのはそのためで、第一巻は二十紙に419行、第二巻は九紙に146行、第三巻は一紙に18行を収める。注意して眺めると、紙と紙の継ぎ目に気づくことがある。
近くで見れば料紙の粒子が浮き出て見え、書写を導いた墨の界線が一字ずつを枠取りしている。白っぽい地に太く黒い大字が並ぶ対比が印象に残る。
そもそも巻子の姿で見られること自体に値打ちがある。世に出回る大聖武の多くは三、四行ほどの断簡で、手鑑に貼られて収集家の間を渡ってきた。数百行が続く巻物の前に立つとき、八世紀の書き手が意図した読み方に、いくらか近づくことができる。
鑑賞の手がかりと周辺
前田育徳会は東京都世田谷区にあり、加賀前田家に伝わった名宝を守る団体だが、独自の展示施設を持たない。所蔵品は各地を巡り、最も確実に出会えるのは旧前田藩の地である金沢の石川県立美術館で、数年に一度の特別展に前田育徳会の品が並ぶ。
大聖武の書を見ることが目的であれば、東京国立博物館が所蔵する国宝の一巻が折にふれて展示替えで公開され、神戸近郊の白鶴美術館にも二巻が伝わる。同じ写経の断簡は京都国立博物館をはじめ各地の手鑑のなかに見いだせる。いずれも光に弱い紙の作品で常設はされないため、出かける前に展示予定を確かめておきたい。
Q&A
- 「大聖武」とはどういう意味ですか。
- 聖武天皇が自ら写経したという伝承に由来する通称です。「大」は文字が大きいことを指し、中字の中聖武、小字の小聖武と区別されます。実際の筆者は当時の写経生とみるのが通説で、天皇宸筆は言い伝えとして受けとめられています。
- 荼毘紙には本当に遺灰が漉き込まれているのですか。
- かつてはそう信じられましたが、後年の観察では香木を砕いて混ぜたものとする説が定着しています。防虫と荘厳をかねた仕立てとみられ、遺灰説は古い言い伝えとして残ったものです。
- 前田育徳会本の三巻はどのような構成ですか。
- 第一巻が二十紙に419行、第二巻が九紙に146行、第三巻が一紙に18行です。いずれも当初の一続きではなく、残った料紙を継ぎなおして仕立てられています。
- 実物を見ることはできますか。
- 前田育徳会には展示施設がなく、金沢の石川県立美術館で公開されることが多いです。関連する作例としては、東京国立博物館や白鶴美術館がそれぞれ国宝の大聖武を所蔵しています。
- なぜ各地に断簡が散在しているのですか。
- 数行の断簡でも名筆として珍重され、手鑑の巻頭に貼る習わしがあったため、巻物が切り分けられて各地に広まりました。その結果、数行ずつの遺品が多く残ることになりました。
基本情報
| 名称 | 賢愚経残巻(大聖武) |
|---|---|
| 種別 | 書跡・典籍(国宝) |
| 指定年月日 | 昭和31年(1956)6月28日/指定番号00226 |
| 時代 | 奈良時代(8世紀) |
| 員数 | 3巻(419行・146行・18行) |
| 品質・形状 | 紙本墨書、料紙は荼毘紙(真弓紙に胡粉) |
| 所有者 | 公益財団法人前田育徳会 |
| 所在地 | 東京都 |
| 公開状況 | 専用展示施設なし。石川県立美術館などで随時公開 |
References
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/738
- 文化遺産オンライン(国立情報学研究所)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/189296
- e国宝(国立文化財機構)賢愚経断簡(大聖武)
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100164
- 大聖武(ウィキペディア日本語版)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/大聖武
- WANDER 国宝 賢愚経残巻(大聖武)前田育徳会
- https://wanderkokuho.com/201-00738/
最終更新日: 2026.06.12