昭和のくらし博物館(旧小泉家住宅主屋)— 戦後日本の「ふつうの家」を丸ごと残す、時のカプセル
東京都大田区南久が原、閑静な住宅街の路地奥にひっそりと佇む木造2階建ての小さな家。一見すれば、戦後に建てられた数多の日本家屋と変わらない、ごく慎ましい佇まいです。しかし、木戸をくぐって中へ入ると、そこには他では決して出会えない時間が広がっています。家財道具から台所の氷冷蔵庫、子どもたちの勉強机、縁側のガラス戸まで、小泉家が暮らしていた当時のままの姿が、丸ごと保存されているのです。「昭和のくらし博物館」は、昭和26年(1951年)に建てられた18坪(約59.5㎡)の住宅を公開する、国登録有形文化財の博物館。戦後日本の「普通の暮らし」を、これほど親密に体感できる場所は、東京広しといえども他にそう多くありません。
復興期日本が生んだ、ささやかな我が家
この家の物語は、戦後日本の復興そのものと切り離せません。昭和25年(1950年)、国は住宅金融公庫を設立し、低利融資によって一般市民の住宅建設を後押ししました。融資には建坪9〜18坪という広さの上限があり、使用材料や工法にも厳しい基準が設けられ、審査も入念に行われました。
小泉家の主(あるじ)・小泉孝は、当時東京都に勤める建築技師で、まさにその公庫融資の審査を担当する立場でした。6人家族のための自宅を建てるにあたり、誰よりもその規制を熟知していた孝は、制限いっぱいの18坪という条件のなかで設計に知恵を絞り、昭和26年8月、この家を完成させます。建築費は378,000円。竣工当初はガスも水道も風呂もなく、裏の差掛けにかまどを置いて薪を燃やし、水は隣家の井戸から汲ませてもらい、銭湯に通う日々でした。それでも、限られた条件のなかで合理性を極限まで追求した設計は、公庫住宅の一つの模範解答と呼ばれるにふさわしいものでした。
家族6人に加え、公庫への返済のために2人の下宿人(2階南側に大学生、北側に若いサラリーマン)も一緒に暮らしていたといいます。洗面所がないので顔は台所で洗い、便所は一つきりで朝は大渋滞。これが、戦後の日本を支えた膨大な数の家族の、ごく当たり前の光景でした。
なぜ「ふつうの家」が国の文化財に登録されたのか
平成14年(2002年)6月25日、旧小泉家住宅主屋は、築50年を経てまもなく、国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。登録有形文化財は、建築後50年以上を経て「国土の歴史的景観に寄与しているもの」「造形の規範となっているもの」「再現することが容易でないもの」を要件とする国の文化財制度です。文化庁の登録理由は次のように記されています。「木造2階建,桟瓦葺で,昭和25年開設の住宅金融公庫融資を受けて施主自らが設計した。融資上限の建坪18坪で達成した明快な平面や形態など,工夫が凝らされている。当時の公的融資による住宅建築の有り様を示す戦後復興期の庶民住宅の好例といえる。」
この登録が画期的なのは、その対象です。日本の文化財制度は長らく、寺社・城郭・武家や豪商の邸宅といった「特別なもの」を守ることに重きを置いてきました。旧小泉家住宅は、そのいずれでもない、慎ましい中産階級の戦後住宅です。「一番身近で一番軽んじられてきた庶民のくらし」にも価値があるという認識が、この登録には込められています。築50年を経てすぐに登録を受けたことから、国内でも“年が若い小さな国の宝”と呼ばれることもあります。
博物館としての公開を決断したのは、孝の長女・小泉和子氏。東京大学工学部建築学科で日本家具・室内意匠史を研究し工学博士号を取得、生活史研究の第一人者として知られる学者です。「いつの時代も最も残りにくく軽んじられるのは、一番身近なはずの庶民のくらしである」という長年の問題意識から、実家が無人となった機会をとらえ、建物と家財道具を丸ごと残して平成11年(1999年)2月28日に博物館として開館しました。令和7年(2025年)には、小泉和子氏と昭和のくらし博物館が第73回菊池寛賞を受賞しています。
見どころ — 家そのものが「展示」です
この博物館の体験は、一般的な博物館とは意図的に異なります。ガラスケースもベルベットのロープもありません。代わりに、縁側に腰掛け、台所を覗き込み、かつてこの家で営まれた暮らしを自らの身体で感じ取ることが奨励されています。
1階は、小泉家が実際に使っていたままの間取りで公開されています。父・孝の書斎を兼ねた応接間、4畳半の茶の間(中央には掘りごたつ)、氷冷蔵庫の残る台所、そして6畳の座敷。15尺の通し柱、勾配天井、合成梁、作り付けのたんす置き場、部屋の端の板敷きなど、建築技師ならではの合理的な工夫が随所に息づいており、公庫住宅設計の教科書ともいえる完成度です。
2階の4畳半の2部屋は、かつて下宿人が、のちには娘たちが使った空間。現在は企画展示室、小泉知代(次女)記念室、談話室として活用されています。子ども部屋の一角には、昭和30年代の不二家・グリコ・明治製菓などのキャラメル箱コレクションが並び、戦後日本のグラフィックデザインの小宇宙を垣間見ることができます。
アニメーション好きの方なら、片渕須直監督の映画『この世界の片隅に』(2016年)にこの家の資料が参考として活かされていることをご存じかもしれません。過去には特別展「映画『この世界の片隅に』〜すずさんのおうち」も開催されました。
来館案内
開館は金・土・日曜日および祝日の10時から17時まで。月曜から木曜、9月上旬、年末年始は休館となります。臨時休館や団体貸切の日もあるため、訪問前に公式サイトの開館カレンダーをご確認いただくのが安心です。
入館料は本館(昭和のくらし博物館)が大人1,000円、小学生〜高校生500円、未就学児は無料。障がい者手帳をお持ちの方は5割引で、同伴者1名も同じく5割引となります。別館「画家吉井忠の部屋」は大人500円、本館と別館のセット割引は大人1,400円。入館料は、登録有形文化財である旧小泉家住宅主屋の保全・活用に大切に使われています。
館内は少人数で運営されており、家庭を訪ねるような静かな雰囲気が保たれています。撮影の可否は部屋や展示によって異なるため、受付でご確認ください。玄関で靴を脱いで上がるのは、博物館というより「どなたかのお宅を訪ねる」感覚に近いかもしれません。
アクセスと周辺のおすすめ
博物館へは、東急池上線「久が原」駅から徒歩約8分、東急多摩川線「下丸子」駅から徒歩約8分。いずれの駅も、都心から五反田や蒲田を経由してアクセスできます。住宅街の奥にあり一方通行も多いため、専用駐車場はなく、公共交通機関の利用が推奨されます。住所は「久が原2丁目」ではなく「南久が原2丁目」である点にご注意ください。
博物館の位置する大田区南西部は、静かで魅力あるスポットが散在するエリアです。池上線で1駅先の「池上」には、日蓮宗の大本山・池上本門寺があり、関東最古の五重塔(国重要文化財)が残ります。西に少し歩けば多摩川の河川敷に出て、川崎方面を望む散歩・サイクリングコースが広がります。古代史に関心のある方には、東京を代表する前方後円墳のひとつ亀甲山古墳を擁する多摩川台公園もおすすめです。昭和のくらし博物館を起点に、東京の南の隠れた魅力を巡る半日の散策プランが自然に組み立てられます。
Q&A
- 見学にはどのくらい時間をみておくと良いですか?
- 多くの方は45分〜90分ほど滞在されます。家そのものは小ぢんまりしていますが、細部に見どころが多く、縁側や茶の間でゆっくりと当時の空気を味わう方も少なくありません。特別展が開催されている場合は、もう少し時間を見ておくと安心です。
- 英語の案内表示はありますか?
- 少人数で運営している博物館のため、英語案内は限定的です。ただし展示品そのものが語り手となっており、お弁当箱、ミシン、子どもの机といった視覚的な手がかりが多く、翻訳アプリがあれば解説パネルの内容も十分に楽しんでいただけます。
- 館内で写真撮影はできますか?
- 撮影の可否は開催中の展示や部屋によって異なります。到着時に受付でご確認ください。常設展示の家屋内部は、個人での利用に限って撮影可能な場合が多く、特別展のみ制限がかかることがあります。
- バリアフリー対応はされていますか?
- 昭和26年当時の建物をそのまま保存しているため、玄関に段差があり、館内の通路も当時の住宅特有の狭さです。2階へは急な階段を上る必要があります。移動にご不安のある方には、1階、お庭、ミュージアムショップなど玄関からアクセスできる範囲での見学をおすすめしています。事前に博物館へご相談いただくと安心です。
- 他の古民家博物館との違いは何ですか?
- 日本で公開されている古民家の多くは、武家や豪商、文人の旧宅です。これに対し旧小泉家住宅は、戦後復興期のごく普通の中流家庭の家という、きわめて稀な対象を、家財道具ごと丸ごと残している点が最大の特徴です。他の博物館ではなかなか触れることのできない、生活史の親密な手触りをここでは体感できます。
基本情報
| 名称 | 昭和のくらし博物館(旧小泉家住宅主屋) |
|---|---|
| 文化財区分 | 登録有形文化財(建造物)/平成14年(2002年)6月25日登録 |
| 竣工 | 昭和26年(1951年)8月 |
| 設計 | 小泉 孝(当時、東京都建築技師) |
| 構造 | 木造2階建、瓦葺、建築面積39㎡、延床面積 約59.5㎡(18坪) |
| 運営 | NPO法人 昭和のくらし博物館(博物館としての開館は平成11年2月28日) |
| 所在地 | 〒146-0084 東京都大田区南久が原2-26-19 |
| アクセス | 東急池上線「久が原」駅より徒歩約8分/東急多摩川線「下丸子」駅より徒歩約8分 |
| 開館日・時間 | 金・土・日曜日・祝日 10:00〜17:00 |
| 休館日 | 月〜木曜日、9月上旬、年末年始 |
| 入館料 | 本館:大人1,000円、小学生〜高校生500円、未就学児無料 |
| 電話 | 03-3750-1808 |
参考文献
- 昭和のくらし博物館(旧小泉家住宅主屋)— 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/193759
- 小泉家住宅主屋 — 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00002759
- 旧小泉家住宅について — 昭和のくらし博物館 公式サイト
- https://www.showanokurashi.com/about/house/
- 施設案内・アクセス — 昭和のくらし博物館 公式サイト
- https://www.showanokurashi.com/guide/facilities/
- 昭和のくらし博物館について — 昭和のくらし博物館 公式サイト
- https://www.showanokurashi.com/about/museum/
- 昭和のくらし博物館 — Wikipedia(日本語版)
- https://ja.wikipedia.org/wiki/昭和のくらし博物館
最終更新日: 2026.04.21