観普賢経 ― 根津美術館が蔵する平安の装飾経

根津美術館の観普賢経は、縦25.4センチ、横845.8センチの一巻の写経である。正式には観普賢菩薩行法経といい、平安時代、十一世紀に染紙へ書写された。国宝に指定されている。

この巻は単独で生まれたものではない。法華経はしばしば、その序にあたる無量義経(開経)と、結びにあたる観普賢経(結経)を加えた「法華三部経」として一具に書写された。根津美術館の観普賢経はその結びの一巻であり、対をなす無量義経(横927.9センチ)も同じ館に伝わっている。両巻は同一の筆者の手になり、もとは一具の法華経の一部であったと考えられているが、その法華経本体は失われている。

二巻はある時期に離れ離れになり、それぞれ別の経路をたどって伝来した。再び一所に集まったのは、根津美術館が両巻を収めてからのことである。現在は一件の国宝として指定され、無量義経が指定番号00118-01、観普賢経が00118-02とされている。

国宝に指定された理由

昭和50年(1975年)6月12日の指定は、書と料紙という二つの要素が一体となった点に支えられている。この種の写経は「色紙経」と呼ばれ、平安後期に数多く作られた装飾経の系譜に連なる。当時、富裕な施主が功徳を積むために、念入りに仕立てた料紙へ経文を書写させたのである。

料紙は雁皮紙で、野生の低木の樹皮から漉いた、光沢と強さをもつ紙である。濃淡二色の褐色に染め分けた紙、すなわち薄茶地と白茶地の雁皮紙を交互に継ぎ合わせているため、巻を繰るにつれて地の色がゆるやかに移り変わる。書写に先立って金切箔の細片を散らし、金泥で界線(罫)を引き、その金の枠の中に経文を墨で記した。一紙につき二十六行、一行十七字という一定の割りつけである。

もう一方の核は書である。十一世紀までに成熟した和様の書風で記され、力で押すのではなく、温雅で優美な筆致をみせる。書跡の専門家は、この巻を平安中期の優れた能書家の手とみており、この世紀の写経を代表する名筆の一つに数えている。

無量義経の巻末には、門跡であった良恕親王が元和9年(1623年)に書き加えた跋があり、書を平安の三跡の一人、藤原行成の筆と記している。ただしこれは伝承であって確証はない。巻自体に署名はなく、行成の名は、成立から六百年を経た時点での敬意ある推定として受けとめられている。確かにいえるのは、これほどの質の装飾経が平安中期の遺品としてわずかしか現存しないことであり、それゆえ書と料紙の双方が高く評価されている。

見どころ

間近で向き合うと、この巻は静かに見る者の目を引きつける。交互に継がれた褐色の紙は一見すると気づきにくいが、いったん目に入れば、継ぎ合わされた帳のような落ち着いた律動が全長に生まれているのがわかる。散らされた金は光を不均一に受けるため、視線を移すたびに料紙の表面がきらめいて見える。

界線にも目をとめたい。墨や空押しではなく金泥で引かれているため、紙そのものが装飾の一部となり、墨の文字は金の枠と金の切箔の上にもう一層重なって読める。各紙が同じ行数・字数を保つという割りつけの厳格さが、一画一画のやわらかさを際立たせている。

無量義経と観普賢経が同じ書写者の手になることから、館が両巻を並べて展示する折には、筆跡の一貫性がはっきりと見てとれる。何世紀も別々に過ごした二巻が同じ収蔵庫に収まっている。その再会こそ、この一対を訪ねる価値の一端をなしている。

根津美術館について

根津美術館は東京・南青山、表参道駅から歩いてほどない場所に建つ。鉄道経営者であり茶人でもあった初代根津嘉一郎(1940年没)の収集を基に、1941年に開館した。現在の建物は隈研吾の設計で2009年に竣工したもので、竹の植え込みが続く長いアプローチの奥に、暗い瓦屋根の低い展示棟を構える。裏手は木立に包まれた日本庭園に開け、茶室や石仏が点在する。都心の密集地にあって、思いがけない広がりである。

収蔵は仏教絵画、書跡・写経、水墨画、漆工、陶磁、中国青銅器、刀剣など多岐にわたる。観普賢経のように光に弱い紙の作品は常設展示されず、主題を立てた特別展で公開される。対をなす二巻は、無量義経と観普賢経が同一会期の異なる週に入れ替えて展示されることもある。この一巻を目当てに訪れる場合は、事前に開催中の展覧会を確かめておきたい。展示されていない時期でも、庭園、建築、そして常設の名品があり、訪問の価値は損なわれない。春に公開される尾形光琳の燕子花図屛風は、東京の季節の催しとして毎年知られている。

Q&A

Q観普賢経とはどのようなものですか。
A観普賢菩薩行法経という短い経典を、平安時代十一世紀に装飾された料紙へ墨書した一巻の写経です。法華三部経の結びにあたる経典として書写されました。
Qなぜ無量義経と対になっているのですか。
A法華経は開経の無量義経と結経の観普賢経を加えて書写される習わしがありました。根津美術館の両巻は一具の法華三部経に由来し、同じ書写者の手になり、一件の国宝として指定されています。
Q本当に藤原行成が書いたのですか。
A1623年の跋に行成筆と記されますが、巻に署名はなく確証はありません。研究者は十一世紀の優れた宮廷能書家の手とみなしつつ、筆者の特定は控えています。
Q料紙のどこが優れているのですか。
A濃淡二色に染めた雁皮紙を交互に継ぎ、金切箔を散らし、金泥で界線を引いています。一紙二十六行、一行十七字に書写されており、色紙経と呼ばれる種類にあたります。
Qいつでも根津美術館で見られますか。
Aいいえ。光に弱い紙の作品のため、特別展で随時公開されるのみで、対の巻と入れ替え展示されることもあります。事前に会期をご確認ください。庭園と常設の名品は通常開館時間に楽しめます。

基本情報

名称観普賢経〈(裝飾経)〉
種別書跡・典籍(国宝)
指定年月日1975年(昭和50年)6月12日/指定番号00118-02
時代平安時代・十一世紀
員数1巻(無量義経〈00118-01〉と一対)
寸法縦25.4cm、横845.8cm
品質・形状染雁皮紙に金切箔・金泥界線、墨書
所有者公益財団法人根津美術館
所在地東京都港区南青山6-5-1
公開状況特別展で随時公開、常設展示なし

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)― 観普賢経
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/652
文化遺産オンライン(国立情報学研究所)― 無量義経・観普賢経
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146484
根津美術館 公式サイト
https://www.nezu-muse.or.jp/

最終更新日: 2026.06.12