昭和22年、建築家が自らのために建てた家

鈴木家住宅主屋(すずきけじゅうたくしゅおく)は、東京都新宿区横寺町にある木造平屋建の住宅で、昭和22年(1947年)に建てられ、平成23年(2011年)7月25日に国の登録有形文化財に登録された。文化庁の国指定文化財等データベースは、員数を1棟、構造を木造平屋建、瓦葺、建築面積116平方メートルとし、昭和28年(1953年)の改修を併記している。

まず建築年を押さえておきたい。昭和22年の東京は、空襲で市街の大半を失ってから二年しか経っていない。セメントも鋼材も統制下にあり、建てられるものの多くは仮設に近かった。この家はそうではない。神楽坂界隈の登録有形文化財を調査してきたNPO法人粋なまちづくり倶楽部の記録によれば、建築家・高橋博の自宅兼アトリエとして建てられたものである。高橋はロンドンで建築を学び、昭和初期に神楽坂地区で事務所を構えていた。

建物は小路に北面する。棟は奥行方向に走り、道からは切妻の妻側が見える。屋根は桟瓦葺。正面には深い下屋が全面にわたって差し掛けられ、軒先が低く下りてくる。数メートル離れて眺めたときにこの家が横へ長く、地面に引き寄せられて見えるのは、この下屋の効果による。

格子、煉瓦、そして名栗の跡

平面は中廊下式をとり、東から南にかけて居間や食堂、居室が並ぶ。中廊下式は大正期に日本の住宅へ入ってきた形式で、室が次の室へ直接つながる従来の続き間に代えて、各室に独立性を与えることを狙ったものだった。昭和22年の時点では、この規模の住宅としてはすでに標準的な解である。

正面の意匠は和風の語彙で組み立てられている。格子戸が前面を閉じる。設計者はそこから二度、型を外した。玄関は煉瓦貼とされ、伝統的な和風住宅の正面には居場所のない材料が持ち込まれる。そして軸部には名栗仕上げが施される。手斧で表面を削り、浅い削り跡を規則的に残す仕上げである。

名栗は意図された粗さだ。鉋で滑らかに仕上げられる腕を持つ職人が、あえて道具の痕跡を残す。素朴に見えて手間がかかり、均質な律動を出せるのは熟練した手だけである。資材の乏しい時期に、自分の事務所の大工を使って建てられた家において、この選択は装飾というより、職能がまだ何をなしうるかという主張に近い。

登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。登録番号は13-0281で、第70回の登録にあたり、登録年月日と登録告示年月日はいずれも平成23年7月25日である。平成8年(1996年)の文化財保護法改正で導入されたこの制度は、許可制ではなく届出制を基本とし、運用上は道路から見える外観を登録の対象とする。重要文化財に課される強い規制とは性格が異なる。

高橋の仕事はこの一軒にとどまらない。矢来町の旧高橋建築事務所社屋は現在アユミギャラリーとして使われ、これも登録有形文化財である。近くの一水寮は昭和26年(1951年)に事務所の大工の寮として建てられたもので、同じ高橋の設計とされ、のちに登録された。一人の建築家の手になる建物が徒歩数分の圏内に三棟残るのは、建て替えを繰り返してきた東京では珍しい。

神楽坂の路地を歩く

個人の住宅である。内部は非公開で、拝観料も公開時間もない。前掲のNPO法人の記録も内部非公開と明記している。路地から受け取れるのは北面の姿だけだ。切妻の妻、深い下屋の軒、格子、玄関まわりの煉瓦。

横寺町は神楽坂地区の東寄りの斜面にあり、通り抜けの車が入れない細い道が網の目をつくる。一帯には寺が点在し、道は直線ではなく折れながら続く。周囲の大通りが拡幅され造り替えられていくなかで、この一角が肌理を保ってきたのはそのためである。

徒歩圏には登録有形文化財が集まる。矢来能楽堂、中町の宮城道雄記念館「検校の間」は、二十世紀の日本音楽を組み替えた作曲家・箏曲家の書斎を伝える。神楽坂三丁目の旧常盤家は、かつての待合の建物である。これらを結べば一時間ほどの小さな巡回路になる。

アクセスは、都営大江戸線の牛込神楽坂駅から徒歩5分ほど、東京メトロ東西線の神楽坂駅からは10分程度。坂を下りきったところが四路線の集まる飯田橋になる。神楽坂そのものが都心でも歩き甲斐のある一帯で、石畳の路地、板塀の奥の料理屋、アンスティチュ・フランセ東京を中心に育ったフランス人のコミュニティが同居している。

路地からの外観撮影に制限はない。ただし人が住み、道幅は数人が並べば塞がる程度しかない。立ち止まりすぎず、公道から外れないことを心がけたい。

Q&A

Q鈴木家住宅主屋は見学できますか。
A内部は見学できません。鈴木家住宅主屋は個人の住宅で、神楽坂界隈の登録有形文化財を記録するNPO法人粋なまちづくり倶楽部も内部非公開と明記しています。拝観料や公開時間の設定はなく、公道の小路からの外観見学にとどめてください。
Q鈴木家住宅主屋はいつ建てられ、いつ登録されたのですか。
A文化庁のデータベースは建築年代を昭和22年(1947年)とし、昭和28年(1953年)の改修を併記しています。登録年月日と登録告示年月日はいずれも平成23年(2011年)7月25日、登録番号は13-0281で第70回の登録にあたります。
Q鈴木家住宅主屋を設計したのは誰ですか。
ANPO法人粋なまちづくり倶楽部の記録では、建築家・高橋博の自宅兼アトリエとして建てられたとされています。高橋はロンドンで建築を学び、昭和初期に神楽坂地区で事務所を開いた人物です。なお文化庁の国指定文化財等データベースには設計者の記載はありません。
Q鈴木家住宅主屋にみられる名栗仕上げとは何ですか。
A名栗は、鉋で平滑に仕上げるかわりに手斧で表面を削り、浅い削り跡を規則的に残す仕上げです。この住宅では軸部に用いられ、格子戸や煉瓦貼の玄関とあわせて、和と洋の要素が混在する正面をつくっています。
Q鈴木家住宅主屋への行き方と、近くの登録有形文化財を教えてください。
A都営大江戸線の牛込神楽坂駅から徒歩5分ほど、東京メトロ東西線の神楽坂駅からは10分程度です。徒歩圏には矢来能楽堂、矢来町の旧高橋建築事務所社屋(アユミギャラリー)、中町の宮城道雄記念館「検校の間」、神楽坂三丁目の旧常盤家があり、いずれも登録有形文化財です。

基本情報

名称鈴木家住宅主屋(すずきけじゅうたくしゅおく)
所在地東京都新宿区横寺町31-11
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 13-0281/登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
指定年登録年月日・登録告示年月日ともに平成23年(2011年)7月25日(第70回)
員数1棟
寸法木造平屋建、瓦葺、建築面積116平方メートル。昭和22年建築、昭和28年改修
所有者個人(国指定文化財等データベースに所有者名の記載なし)
公開状況個人住宅のため内部非公開。公道(小路)からの外観見学のみ

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「鈴木家住宅主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00008658
文化遺産オンライン「鈴木家住宅主屋」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/239389
NPO法人粋なまちづくり倶楽部「神楽坂界隈の登録有形文化財 鈴木家住宅主屋」
https://ikimachi.net/touroku/suzuki.html
NPO法人粋なまちづくり倶楽部「区内の登録有形文化財リスト」
https://ikimachi.net/touroku/yuukeilist.html
文化庁「登録有形文化財(建造物)」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/yukei_kenzobutsu/toroku_yukei.html
ウィキペディア日本語版「一水寮」(高橋博および周辺の登録建造物に関する参考)
https://ja.wikipedia.org/wiki/一水寮

最終更新日: 2026.08.23