守吉作の太刀 ― 貞和三年(1347年)の奉納刀
この太刀の茎(なかご)には、長い銘文が刻まれている。一方の面には奉納先と願主の名、すなわち防州(周防国)の白崎八幡宮への御剣であり、源兼胤がその願主であることが記される。もう一方の面には作者と年紀、守吉、貞和三年丁亥十月日とある。貞和三年は西暦1347年にあたる。中世の刀でここまで用途・奉納先・年代を明示するものは多くない。この一振りは戦場のためではなく、神に捧げるために鍛えられた。
願主の源兼胤は、弘中兼胤の名でも記録される人物で、現在の山口県東部、岩国一帯を治めた在地の領主である。新たに鍛えた刀を八幡神に奉る行為は、加護を願う祈りであると同時に、自らの地位を世に示す公の振る舞いでもあった。茎に願主名を刻んだのは、その奉納の事実を鉄に留めておくためであろう。
備前畠田の守吉と、刀身の姿
守吉は、備前国畠田(現在の岡山県備前市畠田)の刀工の一党に属する。その活動期は北朝の貞和・貞治年間、おおむね1345年から1368年ごろと考えられている。備前は中世日本における最大の刀剣産地であり、畠田の刀工たちもその伝統のなかで鎚を振るった。
造り込みは鎬造で、棟は峰を立てた形に仕上げられる。地鉄は細かな小杢目に鍛えられ、刃文は中ほどの直刃に小足が入る。帽子は小丸に収まる。切先は短く詰まった猪首(いくび)切先で、ふくらに丸味をもつ。十四世紀半ばには長く伸びた切先が好まれる時期に入っていたから、この詰まった切先はむしろ前代、鎌倉期の重ねの厚い太刀へと意識を向けた造りといえる。
寸法には資料による相違がある。文化庁の国指定文化財等データベースは長さ80.0センチと記録するが、山口県の文化財関連の記載では長さ83.0センチ、反り約2.6センチとする。茎は磨り上げのない生ぶで、先は栗尻、鑢目(やすりめ)は大筋違、目釘孔は一つ。これらはいずれも、この太刀が守吉の手を離れた当時の姿をほぼそのまま保っていることを示している。
この奉納で見落とせないのが、太刀が一振りだけで捧げられたのではないという点である。守吉の太刀には、同じ銘をもちながら焼刃のない「無焼刃(むやきば)」の一振りが添えられた。焼刃のない刀は、刃として物を断つことができない。完成した実用の刀と、あえて未完のまま残した対の刀。この一対の取り合わせは、実用の武器であること以上に、奉納という行為そのものに意味があったことを示唆している。
旧国宝から重要文化財へ
この太刀の価値は早くに認められた。昭和2年(1927年)4月25日に旧制度の国宝に指定され、昭和25年(1950年)の文化財保護法施行にともない重要文化財へと改められて、今日に至る。無焼刃の対の一振りは、附(つけたり)として併せて記載されている。
歴史資料としての重みは、その確かさにある。古い刀の多くは無銘であったり、磨り上げられていたり、作風からの推定にとどまる。ところがこの太刀は、銘があり、年紀が明確で、願主と奉納先の名が結びつき、しかも茎が生ぶのまま残る。一個の刀がそのまま確かな基準点となり、1340年代の備前における作刀の様子、遠い防州の在地領主が示した信仰のかたち、そして南北朝期の対をなす奉納のありようを今日に示す史料となっている。
戦後に行方を絶ち、ふたたび確認されるまで
この刀の近代は、波乱を含む。第二次世界大戦の最中、白崎八幡宮の刀剣は展示のため東京の靖国神社遊就館へと送られた。終戦後、その所在は不明となり、長らく記録は欠けたままだった。どの一振りが失われたかについては資料に幅があり、無焼刃の対の刀と、社が併せて所蔵していた安吉作の太刀が挙げられることもあれば、守吉の太刀そのものを失われたものに数える記述もある。
文化庁は守吉の太刀を、所在不明となった国指定文化財の一覧に掲載した。これは、所在の分からない文化財について広く情報を求めるために設けられた公開の登録である。そして現在、この太刀の項目には短い一行が添えられている。すなわち、この文化財は発見された、と。発見は新しく、公開の状態も定まっていないため、この太刀は常時どこかで展示を待つ品としてではなく、記録のうえで生き延びた一振りとして捉えるのがふさわしい。
岩国 ― 太刀の郷
この刀の来歴は岩国に根ざす。白崎八幡宮は今も白崎山の高みに鎮座する。社伝は建長2年(1250年)の創建を古い起源として記すが、この太刀の願主である兼胤は、貞和4年(1348年)に壮大な社殿を造営し、社領を寄進した。太刀はその造営の前年に鍛えられており、いわば創建を支える奉納として届けられたことになる。
社にはほかにも独自の文化財が伝わる。なかでも貞治5年(1366年)、兼胤の妻女が夫を弔うために鋳造させた梵鐘は、その音が数キロ先まで届いたと言い伝えられている。岩国の町そのものも訪ねる価値がある。錦川に架かる五連の木造アーチ橋・錦帯橋、そしてその上の尾根に建つ再建天守の岩国城は、短いロープウェーで結ばれている。これらは、この奉納刀を生んだ世界をたどる旅の拠点としてふさわしい。
Q&A
- この太刀は見学できますか。
- 常時の見学は難しいと考えてください。戦後長らく所在不明文化財として記録され、近年ようやく所在が確認された経緯があり、公開の状態は定まっていません。実物の見学を前提とするより、来歴の根ざす岩国の白崎八幡宮を訪ねるのがよいでしょう。
- なぜ刀を神社に奉納したのですか。
- 刀を神、とりわけ八幡神のような武の神に奉ることは、信仰の表明であり、また地位を示す行為でもありました。この太刀は加護を願う祈りであると同時に願主の立場の記録でもあり、それゆえ茎に願主名が刻まれています。
- 対になっている刃のない刀とは何ですか。
- 同じ銘をもちながら焼刃を施さない「無焼刃」の一振りです。焼刃がないため刃物としては物を断てません。この一対が併せて奉納されたことは、実用の武器を超えた儀礼的な意味があったことをうかがわせます。
- 国宝ですか、重要文化財ですか。
- 昭和2年(1927年)に旧制度の国宝に指定され、昭和25年(1950年)の文化財保護法施行にともない重要文化財へと改められました。現在の区分は重要文化財です。
- 岩国へはどう行けばよいですか。
- 山口県東部の岩国市へは、岩国錦帯橋空港のほか、近接する広島方面からの鉄道でも入れます。白崎八幡宮も錦帯橋も、いずれも市内にあります。
基本情報
| 指定名称 | 太刀〈銘貞和三年丁亥十月日守吉作/防州白崎八幡宮御剣願主源兼胤〉 |
|---|---|
| 種別・区分 | 工芸品(刀剣)/重要文化財 |
| 時代 | 南北朝時代、貞和3年(1347年) |
| 作者 | 守吉(備前畠田の刀工の一党) |
| 員数 | 一口(附として同銘・無焼刃の太刀一口) |
| 寸法 | 長さ80.0センチ(文化庁)。山口県の記載では長さ83.0センチ、反り約2.6センチとする |
| 指定年月日 | 旧国宝指定:昭和2年(1927年)4月25日/文化財保護法施行(昭和25年)により重要文化財へ |
| 指定上の所有者 | 白崎八幡宮(山口県岩国市今津) |
| 公開状況 | 常時公開なし。長く所在不明文化財として扱われ、近年所在が確認された |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/6371
- 文化庁 所在不明文化財(国指定)一覧(当該品、発見済み)
- https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/torimodosou/kunishitei/96.html
- いわくに文化財探訪(岩国市教育委員会)
- https://iwakuni-bunkazai.jp/bunkazai/
- 白崎八幡宮の宝物(白崎八幡宮 公式サイト)
- https://www.sirasaki.com/guide/houmotsu/
最終更新日: 2026.06.13