正安二年の年紀をもつ長光の太刀

正安二年(一三〇〇年)の二月、備前国長船の刀工が一口の太刀を打ち上げ、その茎に二行の銘を切った。一行は作者の名を記す。備前国長船住長光。もう一行は制作の年を記す。長光の在銘作のなかで年紀を伴うものは多くなく、この太刀はその作刀期の後半に位置づけられる一口である。

この太刀には、鋼の出来とは別の事情がある。文化庁による所在確認の調査において、本作は所在の確認できない重要文化財として扱われている。国宝・重要文化財を網羅した刊本にも、刀身そのものの写真は収められていない。以下はしたがって、実物を前にして眺めることのできない指定品についての記録であり、あわせて、同じ作者の手になる、実際に観ることのできる作品への案内である。

長光と長船派

長光が活動した備前国は、いまの岡山県南東部、吉井川下流域にあたる。この地は平安時代から刀工を輩出してきた土地で、質のよい砂鉄に恵まれていた。鎌倉時代に入ると、長船(現在の瀬戸内市長船町)に集まった工房がこの産地の中心となっていく。

長光は、長船派の実質的な礎を築いた光忠の子である。父の作風と技法を受け継ぎ、一派を最初の隆盛へと導いた。古刀期の刀工のなかでも在銘の現存作がきわめて多いことで知られ、その数は他の刀工を大きく上回る。

作域は広い。父譲りの華やかな丁子乱れを焼いた豪壮な太刀がある一方で、本作のように落ち着いた調子のものもある。鋒の内側、いわゆる帽子の形に長光ならではの特徴があり、横手のあたりからやや湾れる。同じ形は子の景光、また真長の作にもあらわれ、この三工はそろって「三作帽子」と呼ばれている。

年紀作をめぐっては、古くからの議論がある。かつての銘鑑類は長光に同名二代があったとし、一二九〇年代から一三〇〇年代の年紀作を二代目に帰していた。近年の研究はむしろ、これらをおよそ三十年にわたる一人の刀工の作と見る立場をとる。説は定まっておらず、参照する資料によって本作の位置づけも変わってくる。

指定の理由

本作が重要文化財に指定されたのは、昭和二十七年(一九五二年)三月二十九日である。指定の根拠は三点が同時にそろっていることにある。読み取れる銘、確かな年紀、そして後世の改変を受けていない健全な姿である。

最後の点は見かけ以上に大きい。古い太刀の多くは、佩用の様式が変わるにつれて磨上げられ、生ぶの茎が失われ、銘もともに消えてしまうことが少なくない。本作は生ぶ茎を保ち、茎の鑢目は勝手下がりで、長船派に期待される形をとどめている。在銘・有年紀で、かつ無改変の鎌倉期一流刀工の作は、周囲にある無銘の刀の制作年代や作者を推定するための定点として用いられる。鋼の美しさと同じく、この資料的な価値が指定の評価を支えている。

刀身を読む

刃長は七七・三センチ、反りは二・六センチ。反りは手元寄りに深く、踏張りのある姿は、優美でありながら実用にも応える均衡をみせる。造込みは鎬造、棟は庵棟である。

地鉄は板目で、細かな地沸がつき、地景が入る。地には、備前刀に知られる乱れ映りがかすかに立ち、光の動きにつれて鋼の奥に影のように見え隠れする。刃文は匂の深い出来で、ほぼ直調の刃に小丁子を交え、足や葉がよく入り、金筋がかかる。

腰には二つの彫物が残る。佩いて外を向く側には三鈷剣、すなわち柄の先が三つに分かれた金剛杵の形をとる密教の利剣が彫られ、裏には梵字が一字刻まれている。梵字は仏を一字であらわす種子(しゅじ)である。こうした彫物は武器を祈りの対象に近づけるもので、この時代の刀が七百年を越えて守り伝えられてきた理由の一端でもある。

長光の作を観るには

本作そのものを観ることはできないため、まず訪ねたいのは、この刀が生まれた土地である。岡山県瀬戸内市には、かつて一派が鍛刀した地に備前長船刀剣博物館が建つ。日本刀を専門とする国内唯一の公立博物館で、つねに四十口ほどの刀剣を展示し、年に数回展示替えを行う。備前刀が収蔵の中心である。毎月第二日曜には刀匠による古式鍛錬が公開され、玉鋼を熱して鍛える工程を間近で見学できる。同じ敷地の工房では、研師、鞘師、刀身彫刻の職人が作業する様子も見ることができる。

長光に絞れば、東京国立博物館が屈指の二口を所蔵し、常設ではなく入れ替えで公開している。室町期に大般若経六百巻になぞらえた値がつけられたことから名を得た国宝「大般若長光」と、因幡の池田家に伝来したもう一口の太刀である。岡山県の林原美術館には正応二年(一二八九年)の年紀をもつ太刀があり、静岡県三島市の佐野美術館は長光在銘の薙刀を蔵する。いずれも展示の時期は変わるため、出かける前に各館の開催情報を確かめるとよい。

Q&A

Qこの刀は博物館で観られますか。
A現在は観ることができません。文化庁により所在の確認できない指定品として扱われており、所有者は個人です。同じ作者の作品を観るなら、東京国立博物館や備前長船刀剣博物館が出発点になります。
Q銘には何と切られていますか。
A佩いて外を向く側に「備前国長船住長光作」、裏に「正安二年二月吉日」とあります。正安二年は西暦一三〇〇年にあたります。
Q長光はどれほどの刀工ですか。
A鎌倉時代を代表する刀工の一人で、長船派を隆盛へと導いた人物です。在銘の現存作が古刀期の刀工のなかで群を抜いて多く、いくつかの作は国宝に指定されています。
Q刀身の彫物は何ですか。
A二つあります。一つは三鈷剣で、柄の先が三つに分かれた金剛杵の形の利剣です。もう一つは梵字で、仏をあらわす種子が一字刻まれています。いずれも仏教にちなむ意匠で、刀に守護や祈りの性格を与えています。
Q長光は本当に二代いたのですか。
A古い資料はそう記すことが多く、一二九〇年から一三〇六年ごろの年紀作を二代目に帰してきました。一方、近年の研究の多くは、これをおよそ三十年にわたる一人の刀工の作と読みます。なお議論は続いています。

基本データ

名称太刀〈銘備前国長船住長光作/正安二年二月吉日〉
種別・員数工芸品(刀剣)/一口
指定区分重要文化財(昭和二十七年三月二十九日指定)
時代鎌倉時代・正安二年(一三〇〇年)
作者備前国長船住長光
寸法刃長七七・三センチ、反り二・六センチ
特徴鎬造・庵棟、板目肌に乱れ映り、匂深い小丁子の刃文、生ぶ茎。腰に三鈷剣と梵字の彫物
所有者個人(所在地は東京都として登録)
公開状況非公開。所在の確認できない指定品として扱われている

参考文献 ― References

文化庁 国指定文化財等データベース(詳細情報)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/6436
文化庁 所在不明になっている国指定文化財(美術工芸品)
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/torimodosou/kunishitei/
文化遺産オンライン(NII)太刀 銘 長光
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146847
e国宝(NICH)太刀 銘長光(大般若長光)
https://emuseum.nich.go.jp/detail?content_base_id=100184
備前長船刀剣博物館(瀬戸内市公式)
https://www.city.setouchi.lg.jp/site/token/

最終更新日: 2026.06.14