双羊尊 ― 世界に二つしかない、3000年前の青銅器に出会う

東京・南青山の根津美術館。ひっそりと落ち着いた展示室の照明の中で、静かに、しかし確かに見る者の足を止める一つの青銅器があります。それが双羊尊(そうようそん)です。中国・殷時代、紀元前13世紀から前11世紀にかけて鋳造された盛酒器で、二匹の羊が背中合わせに合体し、その背の間から円筒状の口が立ち上がるという、きわめて珍しい姿をしています。

同じ形のものは、世界にもう一つしかありません。それはロンドンの大英博物館に所蔵されています。つまり世界中を見渡しても、双羊尊と呼べる青銅器はわずかに二点。そのうちの一点を、私たちは東京の真ん中で目にすることができるのです。日本の重要文化財に指定されたこの作品は、根津美術館のコレクションを代表する一品として知られ、館の非公式なマスコット「尊ちゃん」として、来館者に深く愛されています。

「尊」とは何か ― 古代中国の祭祀器

「尊(そん)」とは、古代中国で酒を盛り、祖先や神々に捧げるために用いられた青銅製の祭祀器を指します。殷から西周にかけての中国社会において、儀礼的な酒宴は宗教的・政治的な権威の中心であり、青銅器の豪奢さがそのまま家系の力を物語っていました。神に酒を供する器を持つということ、それを巨大な青銅で鋳ることができるということが、すなわち権威の証だったのです。

多くの尊は背の高い円筒形をしていますが、双羊尊はそのなかでも異色の存在です。二匹の羊を背中合わせに合体させ、口の開いた器を背に載せたような姿。羊の前躯(前半身)が左右に張り出し、四本の脚が器全体を支える。彫刻でありながら容器でもあるという、形と機能が分かちがたく結びついた造形になっています。

なぜ重要文化財に指定されたのか

双羊尊が日本の重要文化財として保護されている理由は、大きく三つに整理できます。

世界に類例のない希少性

根津美術館の解説によれば、同形の双羊尊は、本作のほかにはロンドンの大英博物館所蔵の一点しか現存しません。世界に二つだけ ― これがすべてです。古代中国にはおびただしい数の青銅尊が伝わっていますが、そのいずれも双羊尊とは異なる形式に属します。本作の希少性は、それだけでこの器を「人類の遺産」と呼ぶに値する水準にあります。

殷時代の鋳造技術の到達点

双羊尊は削り出しではなく、鋳造によって作られました。粘土で精密な型を構築し、銅と錫の合金である青銅を約1000度以上の高温で溶かし、一気に流し込む。羊の毛並み、目、角の渦巻き、文様の一つひとつまで、すべてが鋳型の段階で設計されています。紀元前13〜11世紀という時代は、中国青銅器が技術的にも美術的にも一つの頂点を迎えた時期にあたり、双羊尊はその技術水準を体現する作例の一つとされています。

長江流域の青銅文化を物語る作品

かつて中国青銅器の中心地は黄河流域とされてきましたが、近年の研究では揚子江(長江)流域、とりわけ湖南省において独自の高度な青銅器文化が栄えていたことが明らかになってきました。羊形の尊もこの地域に集中して見つかっており、双羊尊もまた湖南省周辺で鋳造されたと考えられています。本作は、単なる名品であるにとどまらず、中国南方の青銅器工房がどれほどの技術を持っていたかを伝える歴史資料としての価値も併せ持っているのです。

見どころ ― ここを見てほしい

二つの羊の表情

ぜひ展示ケースの周りをゆっくりと回ってみてください。左右の羊の顔は、どこか穏やかで、しかし無表情ではない、独特の品をたたえています。大きく弧を描く角には雷文(らいもん)のような細やかな文様が刻まれ、角そのものが小さな彫刻のような完成度を持っています。

胴の饕餮文(とうてつもん)

羊たちの背の間に立ち上がる円筒部分の胴には、左右対称に大きく目を見開いた獣面、すなわち饕餮(とうてつ)と呼ばれる文様があらわされています。饕餮は殷代の青銅器を象徴する意匠で、邪気を払い、器の中に注がれる神聖な酒を守る役目を担うとも言われます。神前に供する器としての威厳が、この饕餮によって強く印象づけられます。

鱗文(りんもん)と脚元の龍

羊の身体の表面は、すべて鱗(うろこ)状の文様で隈なく覆われています。脚の付け根には龍がとぐろを巻いてあらわされ、文様の隙間がほとんどないほど装飾が密に施されています。「空白を残すことを許さない」とでも言うべきこの文様の充溢ぶりは、殷代の祭祀青銅器に共通する美意識です。

意外なほど大きい ― バケツほどの実寸感

写真で見ると小ぶりな置物のような印象を受けますが、実際の高さは45.4cm。バケツほどの大きさがあり、相当な量の液体を満たすことができたと考えられます。3000年の歳月を経た青銅の重みを、肉眼で感じてこそ理解できる作品です。

建築と庭園 ― 隈研吾の手による空間で

双羊尊が展示されている根津美術館は、世界的建築家・隈研吾の設計によって2009年にリニューアルオープンしました。竹林に縁取られたアプローチを抜け、石と木の落ち着いた館内へ進む体験そのものが、展示の一部となっています。本館の背後には約17,000平方メートルの広大な日本庭園が広がり、池、石灯籠、4棟の茶室を配した、都心とは思えない静謐な空間が訪れる人を迎えてくれます。

来館にあたって

双羊尊は、館内の展示室4「古代中国の青銅器」コーナーの中央に置かれることが多く、根津美術館を代表する展示品の一つとして知られています。ただし、館内の作品は保存上の理由から定期的に展示替えが行われるため、特定の日に必ず展示されているとは限りません。本作を目当てに来館される場合は、根津美術館の公式ウェブサイトで最新の展示状況を事前にご確認いただくのが確実です。

入館はオンラインでの日時指定予約制が基本です。混雑状況によっては当日券が販売されることもありますが、特別展の会期中は予約が望ましいでしょう。展示室、庭園、カフェ、ミュージアムショップを合わせて、ゆっくり楽しむなら90分から2時間程度をお勧めします。なお、展示室内は撮影禁止で、撮影が許可されているのは庭園エリアのみです。

周辺情報 ― 南青山・表参道を歩く

根津美術館は、表参道の華やかなショッピングエリアの南端に位置しています。徒歩圏内には、安藤忠雄、ヘルツォーク&ド・ムーロン、SANAA、隈研吾といった現代建築の巨匠たちが手がけたファッションブランドの旗艦店が並び、東京でも屈指の建築散策エリアとなっています。南青山・表参道界隈は質の高いカフェやセレクトショップが多く、美術館の前後に時間を取りたくなる街です。

美術館巡りを続けたい方には、徒歩約15分の岡本太郎記念館もおすすめです。戦後日本を代表する芸術家・岡本太郎の旧アトリエが公開されています。また、地下鉄で数駅の原宿方面には、明治神宮の鎮守の杜が広がり、東京を代表する神社で日本の精神文化に触れることができます。古代中国の青銅、戦後日本の前衛、近代の神社建築 ― 一日のうちに、東アジア美術史を縦横に旅することができる立地です。

Q&A

Q双羊尊は国宝ですか?
Aいいえ、日本の重要文化財に指定されています。重要文化財は国宝に次ぐ国の指定区分で、美術的価値および希少性の双方が高く評価された作品に与えられるものです。
Q中国の青銅器がなぜ東京の美術館にあるのですか?
A双羊尊は、東武鉄道の経営者として知られた実業家・初代根津嘉一郎(1860-1940)が20世紀前半に蒐集したものです。嘉一郎は東洋古美術の一大コレクションを築き、その遺志を継いで設立されたのが根津美術館(1941年開館)です。
Q大英博物館の双羊尊と何が違うのですか?
A基本的な形は同じですが、羊の顔つき、毛並みの表現、全体のプロポーションなど細部に違いがあり、量産品ではなくそれぞれ独立に鋳造された個体であることがわかります。2015年には根津美術館の特別展「動物礼讃」で、世界に2点しかない双羊尊が初めて一堂に展示され、大きな話題となりました。
Qこの器は実際にどう使われていたのですか?
A尊は、祭祀の場で酒を盛る器として用いられました。殷代の儀礼では、発酵させた酒を祖先や神々に供え、その後で参加者が共に飲むことで、神と人を結ぶ役割を果たしました。器の大きさや装飾の精緻さは、それを所有する一族の宗教的・政治的権威を示す重要な指標でした。
Qいつ行けば双羊尊を見ることができますか?
A双羊尊は古代中国青銅器コーナーで頻繁に展示される、根津美術館を代表する作品の一つです。ただし館内全体で定期的な展示替えが行われるため、必ずしも常に公開されているわけではありません。確実にご覧になりたい場合は、来館前に公式サイトで展示状況をご確認ください。

基本情報

名称 双羊尊(そうようそん)
指定区分 重要文化財
時代 中国・殷(商)時代 紀元前13〜前11世紀
制作地 中国(おそらく湖南省、長江流域)
材質 青銅(鋳造)
法量 高さ45.4cm 口径14.9〜18.4cm
員数 一個
所有者 公益財団法人 根津美術館
所在地 〒107-0062 東京都港区南青山6-5-1
開館時間 10:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜日(祝日の場合は翌火曜日)、展示替期間、年末年始
アクセス 東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線「表参道駅」より徒歩約8分

参考文献

双羊尊|根津美術館 コレクション
https://www.nezu-muse.or.jp/jp/collection/detail.php?id=90074
双羊尊|文化遺産オンライン(文化庁)
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146767
テーマ展示「古代中国の青銅器」|根津美術館
https://www.nezu-muse.or.jp/sp/exhibition/collection.html
世界にふたつの「双羊尊」が、初めて一堂に ── 根津美術館「動物礼讃」|インターネットミュージアム
https://www.museum.or.jp/news/3345
動物礼讃 大英博物館から双羊尊がやってきた!|インターネットミュージアム
https://www.museum.or.jp/report/578
利用案内|根津美術館
https://www.nezu-muse.or.jp/jp/visit/
根津美術館|Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/根津美術館

最終更新日: 2026.05.03