未完の発願を継いだ写経

全長は十二メートルを超える。二十四枚の紙を継ぎ合わせ、一行ごとに墨で引いた界線のなかに文字が並ぶ。書かれているのは「瑜伽師地論」巻第七十八。仏教の修行の段階を説いた長大な論書の、一部分にあたる巻子である。書写が終わったのは奈良時代の神護景雲元年(767年)。紙背には「法隆寺一切経」と読める黒方印が捺されている。現在は個人の所蔵で、所在地は東京都とされる。

瑜伽師地論は、インドで四世紀ごろに成立したとされる論書で、漢訳は全百巻に及ぶ。日本では南都六宗の一つ、法相宗の根本聖典として重んじられた。法相宗が拠りどころとする「六経十一論」のうち、十一論の筆頭に置かれる論書である。唐の玄奘がインドに渡った目的の一つがこの論の修得にあったとも言われる。奈良の写経生がその巻第七十八に向き合うことは、当時もっとも難解とされた教学に手を伸ばすことでもあった。

行信という僧の願い

この巻は「行信願経」と総称される一群の写経に属する。発願者の行信は、元興寺で法相を学んだ奈良時代の僧である。天平九年(737年)には聖徳太子の筆と伝わる「法華義疏」を法隆寺に寄進し、のちに同寺東院、すなわち八角円堂の夢殿を中心とする一郭の復興に力を注いだ。位は大僧都にのぼっている。

行信の発願は、国家の安寧と一切衆生の救済を祈るものであった。三宝・国王・父母・衆生という四つの恩に報いるため、大般若経・法華経・華厳経の三経と瑜伽師地論の一論、いわゆる三経一論を書写供養しようとしたと記される。その総数はおよそ二千七百巻に達した。

しかし行信は、その完成を見ることなく没した。遺志を継いだのは、弟子の孝仁らであったとされる。書写が完了したのは神護景雲元年九月五日、すなわち767年。願文や跋によって、その経緯をたどることができる。完成した経巻は法隆寺の経蔵に伝えられ、紙面に虫害による穴が多いことから、この一群には「虫喰経」の俗称が付いた。

重要文化財としての価値

本巻が重要文化財に指定されたのは昭和十年(1935年)四月三十日、指定番号は第一七〇号である。価値はいくつかの点に重なっている。まず、年紀の明らかな写経として、767年という時点を日本写経史のなかに正確に刻む資料である点。奈良の朝廷は写経をほとんど官営の事業として組織しており、本巻の書風は、均一さと読みやすさを重んじた天平写経の楷書の作法に従う。各行は墨界によってまっすぐに保たれ、筆の運びだけに委ねられてはいない。

もう一つは、匿名の量産ではなく、一人の僧の願いとその死、弟子による完成という具体的な経緯を、現存する一巻と跋から読み取れる点である。選ばれた論が、行信自身が学んだ法相宗の中心聖典である瑜伽師地論であったことは、この写経を発願者その人に結びつけている。

尾題の下と、紙背の継目には「法隆寺一切経」の黒方印が各一顆ずつ捺されている。これは、本巻が長く法隆寺の経蔵に収められてきた来歴を示す印であり、奈良時代の写経が千二百年以上を経て今日に伝わった道筋でもある。

見どころ

写経の巻子は、ゆっくりと眺めるほどに見えてくるものがある。首題と尾題はいずれも「瑜伽師地論巻第七十八」と記され、本文を前後から挟んで、この巻が百巻のどこに位置するかを明示している。両者のあいだには、墨界と呼ばれる界線が淡く引かれている。これは本文の前にまず墨で引かれたもので、十二メートルにわたって各行の字配りを揃えるための支えである。

「虫喰経」の名のもととなった虫損もまた、経過した時間の記録である。継ぎ合わされた紙の一枚一枚、その継目は写経生が手を動かした場所であり、紙背では後世に寺が印を捺した場所でもある。行信が夢殿を復興し、その乾漆の肖像彫刻が今も堂内に安置されていることを知る者にとって、この巻は対をなすものの一方として見えてくる。彼が建てた堂と、彼が書写を発願した経典である。

関連する作品を見られる場所

本巻そのものは個人の所蔵で公開されておらず、これを目にするための拝観はかなわない。ただし発願の物語は、奈良県の法隆寺を中心に今もたどることができる。行信の願いが始まり、その願経の多くが守り伝えられたのがこの寺である。彼が復興した東院の中心が夢殿であり、堂内には行信自身の乾漆坐像が残る。奈良時代の作で、見ごたえのある像である。

同じ奈良時代の写経は、東京国立博物館や奈良国立博物館の展示替えのなかで、折にふれて公開される。とくに奈良国立博物館の秋の社寺宝物展がその機会となりやすい。八世紀の写経の筆跡を実際に見たいときは、各館の開催中の展示予定を出かける前に確認するのが確実である。

Q&A

Q瑜伽師地論とはどのような論書ですか。
A仏教の修行の段階を説いた論書で、漢訳は全百巻に及びます。インドで四世紀ごろに成立したとされ、唯識を説く瑜伽行派の根本典籍として、日本では法相宗の中心聖典となりました。本巻はそのうちの巻第七十八にあたります。
Q行信とはどんな人物ですか。
A奈良時代の僧で、元興寺で法相を学びました。聖徳太子筆と伝わる法華義疏を法隆寺に寄進し、同寺東院の夢殿を中心とする一郭の復興に尽力しています。約二千七百巻の写経を発願しましたが、完成を見ずに没しました。
Qなぜ年代がこれほど正確に分かるのですか。
A書写の完成が神護景雲元年九月五日、すなわち767年であったことが跋に記されているためです。行信はすでに没しており、この年紀は弟子たちが発願を完成させた時点を示しています。
Qなぜ「虫喰経」と呼ばれるのですか。
A現存する行信願経の紙面には、長い年月のあいだに虫が食ってできた小さな穴が数多く残っており、その様子からこの一群に俗称が付きました。虫損もまた、千二百年余りの伝来を示す物理的な記録の一つです。
Qこの巻を博物館で見られますか。
A本巻は個人蔵で公開されていません。同種の奈良時代の写経は東京国立博物館や奈良国立博物館の展示替えで公開されることがあり、行信の肖像彫刻は法隆寺で拝観できます。出かける前に各館の開催中の展示をご確認ください。

基本データ

名称瑜伽師地論〈巻第七十八〉(ゆがしじろん)
種別書跡・典籍/重要文化財
指定年月日昭和十年(1935年)四月三十日(指定番号 第一七〇号)
時代・年代奈良時代・神護景雲元年(767年)
員数1巻
寸法縦26.1cm/全長1205.0cm/紙数24紙
品質・形状巻子装、紙本墨書、墨界
尾題下および紙背継目に黒方印「法隆寺一切経」各一顆
所在地東京都
所有者個人
公開状況非公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)― 瑜伽師地論〈巻第七十八〉
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/7452
文化遺産オンライン(国立文化財機構)― 瑜伽師地論 参考記事
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/400098
慶應義塾 Keio Object Hub ― 大般若経巻第四三八断簡(行信発願経)
https://objecthub.keio.ac.jp/ja/object/132
文化遺産オンライン ― 乾漆行信僧都坐像(所在夢殿)
https://bunka.nii.ac.jp/db/heritages/detail/149791
コトバンク ― 法相宗
https://kotobank.jp/word/法相宗-133529

最終更新日: 2026.06.14