文政十三年、境内入口に東を向いて建つ門

加知彌神社随神門(かちみじんじゃずいしんもん、加知弥神社とも表記)は、鳥取県鳥取市鹿野町寺内にある江戸時代後期の神社建築で、文政13年(1830年)に建てられ、令和6年(2024年)3月6日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

参道の入口は県道32号に面している。浜村の海側から鹿野の城下町へ向かう、あの一直線の道である。注連柱を過ぎて砂利敷きの参道を進むと一の鳥居があり、小川に架かる橋を渡った先に石段が現れる。門はその上に据えられ、正面を東に向けている。朝の光が真正面から差し込む向きだ。

随神とは、この種の門の内部に一対で安置される守護の神像を指す。平安期の官人装束をまとい、多くは弓矢を携えて座す姿につくられ、境内に入ってはならないものを退ける役目を負う。その像を納めるための門が随神門である。全国に数多い形式だが、この門の平面は定型から外れている。

棟通りを東に寄せた、変則の八脚門

規模は桁行三間、梁間二間。切妻造で平入、屋根は銅板葺、建築面積はおよそ15平方メートルにとどまる。文化庁の解説はこの平面を「変則的な八脚門形式」と記す。理由は棟通り、つまり屋根の稜線が中央にないためである。棟は東へ寄せられている。

この一手が建物の性格を決めた。通常の八脚門なら棟は中央を通り、両脇間はそのまま左右の副室になる。ここでは棟がずれた分だけ、両脇間が東西で不均等に割れる。大工はその不均等をそのまま用途に振り分けた。西側には床を張り、天井を設けて随神を安置する。東側は床を張らずに土間のまま吹き放ちとし、天井だけを張った。参拝者が像を見上げて立つための空間である。

中央間もまた土間で、こちらは天井を張らず化粧屋根裏とする。通り抜けながら見上げれば、垂木の並びがそのまま目に入る。

登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。登録有形文化財は、重要文化財や国宝の指定制度とは別の、より緩やかな保護の枠組みである。所有者は大きな改変にあたって許可を申請するのではなく、届け出を行う。この違いは記事や案内板でも混同されやすいので注意したい。

同じ日に登録された三棟をあわせて読む

登録されたのは随神門だけではない。本殿も同じ文政13年の建立で、大正期の拝殿とともに令和6年3月6日付で登録された。境内に登録建造物が三棟並ぶことになる。門だけを見て帰るのは惜しい。

本殿は文政13年の再建で、島根の出雲大社と同系の大社造風とされる。ただし柱の配置は出雲のそれと異なる。大屋根を正面側へ長く伸ばして向拝を覆い、その先端に大ぶりの唐破風を置く。登録答申時の報道では、本殿の柱にモミが用いられている点が珍しいと伝えられた。旧本殿は入母屋造の三間四方であったという。

社そのものの歴史は建物よりはるかに古い。『延喜式』神名帳(延長5年、927年)に加知彌神社の名が載る式内社である。近世までは勝宿大明神と称した。この社名の読みは資料によって異なって記されており、地元でも一定していない。祭神は彦火火出見命を中座に、鵜草葺不合命と玉依姫命を左右に配する。

中世以降は武門の崇敬を集めた。永禄8年(1565年)に武田高信・田公高清・矢田幸佐らが社殿を造営し、天正8年(1580年)には吉川元春が戦勝を祈願して社領を寄進している。このときの元春の祈願状と寄進状は現存し、昭和32年(1957年)に県の有形文化財に指定された。近世に入ってからは亀井茲矩が繰り返し社殿を修造し、鳥取藩主池田家も六代にわたって社参した。寛永10年(1633年)に池田光仲が寄進した社領39石6斗9升3合は、当時の因幡・伯耆の神社のなかで最も多い。「かちみ」の音が「勝ち」に通じるとして武将が参拝したと伝わり、勝負ごとの前に訪れる人は今もいる。白馬に乗った神が洪水を鎮めたという言い伝えも残るが、こちらは記録ではなく口承として受け取るのがよい。

見学について。随神門は境内入口の屋外に建つため、時間を問わず外から見ることができ、拝観料も予約も不要である。中央間の土間はそのまま境内への通路になっており、東側の吹き放ち部分に立てば、格子越しに西側の随神像を見上げられる。外観の撮影は一般的な作法の範囲で差し支えないが、それ以上を望む場合は社務所(0857-84-2430)に確認するのが確実だろう。例祭は10月21日、輪くぐり祭は7月30日に行われる。境内面積は5,967平方メートル、御神木のスギは幹周4.3メートルで県の名木百選に選ばれている。

交通。JR山陰本線の浜村駅から南へ約3キロメートル、徒歩なら40分ほど。鹿野線の路線バスなら宮方バス停が近く、そこから参道までは徒歩数分である。車では浜村駅から約10分、山陰自動車道の浜村鹿野温泉インターチェンジから約5分、JR鳥取駅からは30分から40分ほどをみておきたい。江戸期の街路と水路が残る鹿野の城下町は、ここからさらに内陸へ入ってすぐの場所にある。

Q&A

Q加知彌神社随神門は自由に見学できますか。拝観料はかかりますか。
A見学できます。境内入口の屋外に建つ門なので、時間を問わず外から見ることができ、拝観料も予約も必要ありません。中央間の土間が境内への通路になっており、東側の吹き放ちの土間に立って随神像を見上げるのが本来の見方です。
Q加知彌神社随神門はいつ建てられ、いつ登録されましたか。
A建立は文政13年(1830年)で、昭和中期に改修を受けています。登録有形文化財(建造物)への登録は令和6年(2024年)3月6日、登録番号は31-0289です。重要文化財や国宝の「指定」とは別の制度である点にご注意ください。
Q加知彌神社随神門の平面はどこが変わっているのですか。
A棟通りが中央ではなく東に寄っており、文化庁はこれを変則的な八脚門形式と記しています。棟がずれた結果、両脇間が東西で不均等に分かれ、西側は床と天井を張って随神を安置する室に、東側は土間の吹き放ちとして参拝者が像を仰ぐ場所になりました。中央間は化粧屋根裏で、通り抜けながら垂木を見上げられます。
Q加知彌神社随神門へは浜村駅からどう行けばよいですか。
AJR山陰本線浜村駅から南へ約3キロメートル、県道32号沿いに徒歩約40分、車なら約10分です。路線バス鹿野線を使う場合は宮方バス停で降りると参道まで徒歩数分。遠方から車で向かうなら、山陰自動車道の浜村鹿野温泉インターチェンジから約5分です。
Q加知彌神社随神門のほかに登録された建物はありますか。
A同じ令和6年3月6日付で、文政13年建立の本殿と大正期の拝殿も登録されました。境内に登録建造物が三棟そろうことになります。このほか吉川元春の祈願状・寄進状が昭和32年に県の有形文化財に指定されており、御神木のスギは県の名木百選に選ばれています。

基本情報

名称加知彌神社随神門(かちみじんじゃずいしんもん)
所在地鳥取県鳥取市鹿野町寺内155-1
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 31-0289
指定年令和6年(2024年)3月6日登録
員数1棟
寸法木造、銅板葺、建築面積約15平方メートル/桁行三間、梁間二間、切妻造平入
所有者宗教法人加知彌神社
公開状況境内入口の屋外にあり常時見学可、拝観料なし。社務所 0857-84-2430

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「加知彌神社随神門」
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00014930
文化遺産オンライン「加知彌神社随神門」
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/602930
鳥取縣神社廳「加知彌神社」
https://tottori-jinjacho.jp/pages/919/
鳥取市観光サイト「鹿野城下の町並み」
https://www.torican.jp/spot/detail_1019.html
ふるさと鹿野「交通アクセス」
https://www.shikano-net.com/new-access/

最終更新日: 2026.08.21