米子城跡:海に臨む天空の城、山陰随一の名城を訪ねて
鳥取県米子市の中心部、標高約90メートルの湊山(みなとやま)山頂に静かに佇む米子城跡(よなごじょうあと)は、山陰でも屈指の絶景を誇る国指定史跡です。明治の初めに城の建造物は失われましたが、四百年以上の時を経た今もなお、堅牢な石垣群がかつての縄張りを克明に伝えています。「山陰随一の名城」とも称された壮麗(そうれい)な城の物語と、海と山と街を一望する天空の風景を、ぜひ自らの足で確かめてみてください。
戦国の終わりに生まれた城
米子城には、二つの時代をつなぐ物語があります。古くは応仁・文明年間(1467〜1487)頃、伯耆(ほうき)の守護大名・山名宗之(やまなむねゆき)が国境警備のために飯山(いいのやま)に砦を築いたことに始まると伝えられます。
近世城郭としての米子城が動き出すのは、天正(てんしょう)19年(1591)のことでした。豊臣政権下で東出雲・隠岐・西伯耆を領した毛利一族の吉川広家(きっかわひろいえ)が、湊山に新たな拠点を築き始めます。慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いののち広家が岩国へ転封となると、駿府(すんぷ)から伯耆国18万石の領主として入った中村一忠(なかむらかずただ)が、慶長7年(1602)頃に城を完成させたと伝えられています。一忠が新たに築いた壮大な五重の大天守と、それ以前から存在した四重の副天守(四重櫓(しじゅうやぐら))が併立する「双頭の天守」の姿は、米子城の象徴となりました。
その後、加藤貞泰(かとうさだやす)、池田由之(いけだよしゆき)と城主が交代し、寛永(かんえい)9年(1632)からは鳥取藩主席家老の荒尾成利(あらおなりとし)が米子城預かりとなりました。以後、明治の世まで十一代にわたって荒尾家がこの城を管理し、米子は西伯耆の政治・経済の中心地として栄えました。明治維新後に城は払い下げられ、建物は取り壊されましたが、堂々たる石垣群は今も往時の威容をしのばせています。
なぜ国史跡に指定されたのか
米子城跡は平成18年(2006)1月26日に国の史跡に指定され、令和3年(2021)には三の丸の一部(旧湊山球場跡地、約2万3993平方メートル)が追加指定されました。その価値は、いくつもの観点から認められています。
第一に、米子城跡は戦国末期から近世初頭の平山城(ひらやまじろ)の姿を、極めて良好にとどめていることです。湊山山頂の総石垣による本丸を中心に、北側尾根上の内膳丸(ないぜんまる)、内膳丸東麓の二の丸、二の丸南東下の大型外枡形(ますがた)など、東西南北約700メートルにおよぶ城郭構造が現地で確認できます。
第二に、文献資料や絵図史料が良好に伝えられている点です。城郭の縄張りや建造物の姿を、文字と図と現地遺構の三方向から照合できる例は全国でも限られており、研究上の価値は極めて高いと評価されています。
第三に、江戸幕府の「一国一城令」の下で、四重以上の天守を有することを許された数少ない「支城」の一つであったことです。これは米子城が、軍事的にも象徴的にも特別な存在であったことを示しています。さらに、平成29年(2017)には公益財団法人日本城郭協会の「続日本100名城」169番にも選定されており、近年は発掘調査による新知見も次々と報告されています。
見どころ:石垣と絶景が織りなす世界
四百年を語る石垣群
米子城跡を訪れて最初に目を奪われるのは、湊山の斜面に幾重にも積み上げられた石垣の連なりです。曲線を描く階段、整然と切り出された石、角を成す稜線——その一つひとつに、四百年以上前の石工たちの仕事が刻まれています。とりわけ二の丸跡の桝形虎口(ますがたこぐち)や、本丸天守台は圧巻で、かつてここに聳えていた木造建築の姿を想像させてくれます。
360度の大パノラマ
湊山公園の入口から山頂までは徒歩約15分。「スーツでも登れる」とも言われる気軽な道のりを登り切ると、視界をさえぎるものは何もありません。西には中海(なかうみ)の青い水面、足元には米子市街、北には日本海、東には秀峰大山(だいせん)——空気が澄んだ晴天の日には、はるか日本海の向こうに隠岐の島々が浮かぶこともあります。
ダイヤモンド大山という奇跡
毎年2月20日頃と10月22日頃、本丸天守台から見て大山の山頂にちょうど太陽が重なる「ダイヤモンド大山」と呼ばれる現象が訪れます。気象条件が整ったわずかな日にしか見ることのできない絶景で、近年は写真家や旅人たちのあいだで密かに知られる名物となっています。
桜と夕景、四季折々の風景
米子城跡を含む湊山公園は、桜の名所としても古くから親しまれてきました。淡紅色の花、青い中海、優美な大山の稜線が織りなすコントラストは、西日本でも屈指の春景色といえるでしょう。また、中海に沈む夕日は「魔法のような時間」と形容されることもあり、夜景の名所としても愛されています。
周辺のみどころ
米子城跡のふもとに広がる湊山公園は、四季の花や緩やかな散策路を備えた市民の憩いの場です。城跡を訪れた後は、米子市立山陰歴史館へ足を伸ばすのがおすすめです。米子城の精緻な復元模型や発掘出土品、関連史料が展示されており、現地で目にした石垣の風景がより深く味わえます。
かつて城下町を形成した武家屋敷の区画は、今も米子の商業・行政の中心地となっており、酒蔵や落ち着いた町並みが残ります。少し足を延ばせば、海辺の名湯・皆生(かいけ)温泉、霊峰大山、漫画家・水木しげるのふるさと境港(さかいみなと)、隠岐諸島へのフェリー乗り場など、山陰の魅力を凝縮した観光地が点在しています。
Q&A
- 米子城跡の頂上までは、どのくらいの時間で登れますか。
- 湊山公園の入口から本丸天守台までは、徒歩約15分です。整備された道と石段が続き、軽装でも気軽に登ることができます。山頂では360度のパノラマ風景が待っています。
- 建物は今も残っていますか。
- 天守閣をはじめとする木造建築は、明治初期にすべて取り壊されており、現存していません。しかし石垣や礎石、城郭の縄張りは良好に残されており、当時の構造を読み解くことができます。
- 米子城の特徴は何ですか。
- 五重の大天守と四重の副天守(四重櫓)が併立する「双頭の天守」が最大の特徴です。日本の近世城郭の中でも極めて珍しい意匠で、かつては「山陰随一の名城」と称されました。
- 訪れるのに最適な季節はいつですか。
- 桜の咲く3月下旬〜4月上旬が特におすすめです。また、2月20日頃と10月22日頃には「ダイヤモンド大山」と呼ばれる絶景の日の出が見られることがあります。秋は空気が澄み、大山や隠岐諸島まで見渡せる日も多くなります。
- 入場料はかかりますか。
- 入場は無料で、開放時間の制限もありません。年間を通じて自由に見学できますが、国指定史跡ですので、石垣を傷めない・植物を採取しないなど、見学のマナーをお守りください。
基本情報
| 名称 | 米子城跡(よなごじょうあと) |
|---|---|
| 別称 | 久米城、湊山城 |
| 所在地 | 鳥取県米子市久米町 |
| 指定区分 | 国指定史跡(平成18年〔2006〕1月26日指定/令和3年〔2021〕三の丸の一部追加指定) |
| 城郭の種類 | 平山城(ひらやまじろ) |
| 築城 | 天正19年(1591)頃 吉川広家が築城を開始/慶長7年(1602)頃 中村一忠が完成 |
| 歴代城主 | 吉川氏、中村氏、加藤氏、池田氏、荒尾氏(1632〜1869年) |
| 標高 | 約90メートル(湊山) |
| 選定 | 続日本100名城 169番(2017年選定) |
| 料金 | 無料・年中開放 |
| アクセス | JR米子駅から徒歩約25分、またはタクシーで約5分 |
参考文献
- 米子城跡 — 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/140264
- 国史跡 米子城跡 — 米子市公式ホームページ
- https://www.city.yonago.lg.jp/4439.htm
- 米子城跡 — 米子観光ナビ(米子市観光協会)
- https://www.yonago-navi.jp/yonago/shitamachi/sightseeing/yonago-castle-trace/
- 米子城跡 — 鳥取県観光連盟
- https://www.tottori-guide.jp/tourism/tour/view/292
- 国史跡米子城跡の現状と保存・活用に向けた取り組みについて — 文化遺産の世界
- https://www.isan-no-sekai.jp/report/5753
最終更新日: 2026.05.07