大日岳の山頂で見つかった、平安の遺物
明治26年(1893)7月、河合磯太郎という民間人が、富山県東部にそびえる立山連峰の一峰、大日岳(標高2,501m)に登った。目的は登山ではなく、温泉の探索だった。同行したのは案内人の土肥平作ら3名。一行が山頂で見つけたのは温泉ではなく、長い年月を経て土に半ば埋もれた小さな銅製の輪、すなわち錫杖の頭部だった。後年、河合がこの遺物を収めた木箱と包布には、発見の経緯と自らの名前が墨書きで残されている。
これが現在、重要文化財に指定されている「銅錫杖頭〈双竜飾〉富山県大日岳発見」である。総高約17センチ、輪径約11.2センチ。形状そのものは仏教美術に親しんだ者には馴染み深い—山岳行者が手にする錫杖の、輪の部分だけが残った状態—だが、意匠の細部はいくぶん独特で、製作年代についても専門家の見解は今もひとつには定まっていない。
発見の経緯
河合の発見の様子は、彼自身が遺品を収めた木箱の墨書と、現所蔵者である立山博物館に残る記録によって伝えられている。一行は温泉湧出の有無を確かめるため大日岳に登り、山頂部に露出していた、あるいはごく浅く土をかぶっていたこの錫杖頭を発見した。河合は持ち帰って大切に保管し、やがて研究者の知るところとなった。
大日岳の発見は、より広く知られる剱岳山頂出土の銅錫杖頭附鉄剣の発見(明治40年、参謀本部陸地測量部の柴崎芳太郎による)に14年先立つ。剱岳の遺物は新田次郎の小説『劔岳〈点の記〉』や、それを原作とした映画によって一般にも知れわたったが、大日岳のものは仏教工芸や山岳信仰研究の専門誌で扱われることが多く、表舞台にはあまり登場してこなかった。所蔵者の家で代々大切に保管されていたが、令和3年(2021)に富山県に寄贈され、現在は立山博物館の常設展示室に収まっている。
意匠と作風
錫杖はもともと、僧侶や行者が手に持って地に突き、上部の輪に通された遊環(ゆうかん)を鳴らすための法具である。下部には木製の柄が差し込まれ、僧の到来を音で告げ、山道で害虫や蛇を避け、また老病の僧の身を支えるために用いられたと伝わる。今回の銅錫杖頭はこの輪の部分だけが残っており、もとの柄や上部の装飾の一部は失われている。
残された部分の意匠は印象的だ。輪はやや膨らみをもった円形で、中央に蔓状のかたちで内側に巻き込み、その先端は左右対称に向き合う二つの竜頭となっている。それぞれの竜頭は宝珠を冠している。輪の頂部には蓮華座に乗せた宝瓶(ほうびょう)が据えられ、現状では失われた装飾がさらにその上に立っていたとみられる。輪の左右には遊環が各一個ずつ、今もぶら下がっている。鋳造の技術は奈良・京都の中央寺院に伝わる名品ほど洗練されてはいないが、力強くまとまりがあり、地方の宗教共同体が特定の山に強い思いを込めて奉納した気配が感じられる。
制作年代については、平安時代という大枠では研究者の意見が一致している。ただし、その平安時代のなかでもどの時期かについては議論がある。輪の張りのある円形には法隆寺所蔵の奈良時代の銅錫杖と通じる古様があり、平安時代中期までの作とする見方がある一方、立山博物館では平安時代後期を想定する。文化庁データベースの記載は単に「平安」とのみ記す。
重要文化財に指定された理由
本品は昭和38年(1963)7月1日に重要文化財に指定された。指定の理由には大きく三つの観点がある。
第一に、希少性。平安時代に遡る銅錫杖頭で、現存が確認されているものは全国で十数点に過ぎず、しかも双竜飾という意匠を持つ作例は限られている。第二に、出土地。同時代の仏具のほとんどが寺院に伝来して伝わってきたのに対し、本品は2,500メートル級の山頂という「奉納の現場」そのものから取り上げられた。これは古代から平安期にかけての山岳信仰の実態を考えるうえで、文献資料には代えがたい価値を持つ。
第三に、解釈上の重要性。研究者の多くは、この錫杖を「結界」のための奉納と読む。すなわち、何の手も入っていない自然の山頂を仏道修行の場へと変えるため、神仏を降ろす依り代として山頂に置かれた、というものだ。錫杖は、その音と形状によって聖と俗を分かつ機能を持つ法具とされる。大日岳と剱岳で別個に発見された錫杖は、立山連峰が中世以前から修験道の重要な拠点だったことを示す考古学的な裏付けとなっている。
実物を見る
本品は富山県中新川郡立山町芦峅寺にある富山県[立山博物館]の展示館で常設展示されている。芦峅寺はかつて立山信仰の拠点集落として、登拝者を受け入れる宿坊が30軒以上立ち並んでいた歴史的な場所だ。博物館は約13ヘクタールの広大な敷地に、展示館、遙望館、まんだら遊苑、布橋、教算坊などの複数施設を分散配置する広域分散型の構成をとっている。錫杖頭は展示館内に、剱岳出土の銅錫杖頭附鉄剣や、別山山頂から下ろされたとみられる銅造帝釈天立像とともに並べられている。
なお、指定文化財については撮影が禁じられている。展示館全体でも撮影制限がある場所が多いので、現地スタッフの指示に従って観覧していただきたい。展示館の見学だけでも1時間ほど、敷地内の布橋やまんだら遊苑まで足を伸ばすなら2〜3時間を見込んでおくとよい。
周辺の見どころ
立山博物館の隣には、立山三所のうち芦峅中宮にあたる雄山神社前立社檀(おやまじんじゃまえだてしゃだん)が鎮座する。本殿は重要文化財に指定された室町時代の建築で、博物館の駐車場から徒歩数分。江戸期の宿坊建築を伝える教算坊も道沿いに残っており、立山信仰の里としての景観を歩いて感じ取れる。
立山連峰そのものへ向かうなら、富山地方鉄道の立山駅まで車で約10分。ここから立山黒部アルペンルートに乗り換えれば、室堂平、雪の大谷、黒部ダムなど、日本屈指の高山景観へとつながる。錫杖頭の発見地である大日岳には室堂から登山道が伸びているが、奥大日岳経由の往復で11〜12時間を要する本格的な縦走となるため、装備と経験を備えた登山者向けである。例年7月〜10月上旬が主な登山期にあたる。
Q&A
- 錫杖とは何ですか
- 僧侶や山岳行者が手に持って用いる、上部に金属製の輪のついた杖です。輪に通された小さな環(遊環)が鳴る仕掛けになっており、地面に突いたり振ったりして音を鳴らします。仏典には三つの用途が伝えられています。山野で毒虫や蛇を避けるため、托鉢で家人に到来を告げるため、そして老病の僧を支える杖として使うためです。密教的な文脈では、行者を取り巻く聖なる空間の結界を引く法具としても重視されました。
- なぜ山頂に錫杖が置かれていたのですか
- 山頂を聖なる空間とするための「結界」の奉納と解釈するのが、現在の研究者のあいだで広く支持されている見方です。手の入っていない山そのものは仏教修行の場とはなり得ず、行者が結界して初めて修行の場として成立する、という発想です。錫杖は神仏を降ろし、空間を区切る法具でもあるため、その用途に適っていました。大日岳・剱岳の山頂からは錫杖以外の祭祀遺物が見つかっておらず、奉納行為そのものが目的だったと考えられています。
- 剱岳の錫杖頭との違いは何ですか
- どちらも平安時代の銅製の錫杖頭で、いずれも重要文化財に指定され、立山博物館で並んで常設展示されています。剱岳のものは輪の形が団扇状で、輪の先が内側に巻き込む蕨手形(わらびてがた)になっているのが特徴です。大日岳のものは輪がよりふくらみを帯びた円形で、中央に左右対称の双竜飾が施されています。発見年も異なり、大日岳が明治26年(1893)、剱岳が明治40年(1907)です。
- 撮影はできますか
- 本品を含む指定文化財については撮影が禁止されています。展示館の他の展示物についても撮影制限がある区画が多いため、観覧前にスタッフへ確認してください。
- 大日岳には登れますか
- 登山ルートはあります。立山黒部アルペンルートの室堂を起点とし、奥大日岳(2,606m)を経由して大日岳(2,501m)に至るのが一般的です。室堂からの往復は11〜12時間程度を要する長丁場で、岩稜帯の通過もあるため、高山での歩行経験と装備が必須となります。シーズンはおおむね7月から10月上旬で、雪渓の状況により例年変動します。
基本情報
| 名称 | 銅錫杖頭〈双竜飾〉(富山県大日岳発見) |
|---|---|
| 指定区分 | 重要文化財(工芸品)/昭和38年(1963)7月1日指定 |
| 年代 | 平安時代(794〜1185年) |
| 材質・寸法 | 鋳銅製/総高約17cm、輪径約11.2cm |
| 員数 | 1柄 |
| 所有者 | 富山県(令和3年〈2021〉寄贈) |
| 所蔵・展示 | 富山県[立山博物館]展示館 |
| 所在地 | 〒930-1406 富山県中新川郡立山町芦峅寺93-1 |
| 開館時間 | 9:30〜17:00(入館は16:30まで) |
| 休館日 | 月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、12月29日〜1月3日 |
| 観覧料 | 展示館 一般300円(高校生以下・大学生・70歳以上は無料) |
| 電話 | 076-481-1216 |
| アクセス | 富山地方鉄道立山駅から車で約10分、立山町営バスでも芦峅寺へ |
参考文献
- とやまの文化遺産 — 銅錫杖頭〔双竜飾〕(富山県大日岳発見)
- https://toyama-bunkaisan.jp/search/1577/
- 富山県[立山博物館] 重要文化財ページ
- https://tatehaku.jp/facility/kyokai/collection/cultural_property/
- 山の日協議会 連載「立山信仰の世界へようこそ!」第3回(大日岳・剱岳の錫杖頭)
- https://www.yamanohi.net/report.php?id=4102
- 全国観光資源台帳(公財日本交通公社)— 大日岳
- https://tabi.jtb.or.jp/res/160027-
- 富山県[立山博物館] ご利用案内
- https://tatehaku.jp/user-guide/
最終更新日: 2026.05.17