廻船問屋の家として建てられた七間×九間

棚田家住宅主屋は、富山県高岡市伏木錦町14-26にある明治23年頃(1890年頃)建築の木造2階建町家で、平成9年(1997年)6月12日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

建築面積は408平方メートル、平面は七間×九間。間口約13メートル、奥行約17メートルという寸法は、住むためというより商いのために確保された床面積である。廻船問屋にとって、屋内の広さは商売の道具そのものだった。

伏木は小矢部川の河口にひらけた港で、律令期には越中国府が置かれた土地でもある。江戸に入ると加賀藩の年貢米を大坂へ送る中継地となり、17世紀中頃に西廻り航路が開かれてからは、敦賀で陸揚げして琵琶湖経由で運ぶ従来の道筋を離れ、船のまま大坂へ届けられるようになった。18世紀に北海道への航路が通じると、伏木では自ら北前船(越中ではバイ船と呼ばれた)を持つ廻船問屋が現れる。文政年間(1818〜1831年)には七軒問屋と称された大店が並び、港町は最も賑わう時期を迎えた。

棚田家は江戸期から明治期にかけてその廻船業に関わった家である。高岡市立博物館の解説では、伏木の廻船問屋・塩田家を受け継いだ家とされる。大正7年(1918年)に北海木材会社を設立し、翌年これを北海商行と改めて、製材、石炭の売買、瓦の製造販売、建築土木へと事業を広げた。帆と艪の利益を近代産業に振り替えた家、と言い直してもよい。

登録有形文化財という区分

国宝や重要文化財は国が価値を認めて「指定」する制度で、現状変更には許可が必要になる。これに対して登録有形文化財は、平成8年(1996年)の文化財保護法改正で設けられた別枠の制度である。改変にあたって求められるのは許可ではなく届出で、建物を使い続けながら保護できる点に狙いがある。おおむね建築後50年を経た建造物が対象になり、指定文化財とは法的な重さが異なる。

主屋の登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。登録番号は16-0007で、背後に建つ三棟の蔵が16-0008から16-0010までを続けて占めている。四棟が同じ日に、全国で三回目の登録として一括で扱われたことがここから読み取れる。

文化庁のデータベースが平面の特徴として挙げるのは三点である。小屋裏の隠し物置、2階の隠れ通路、そして廻船問屋としての広い土間。加えて茶室が附属する。隠れ通路が何のために設けられたのか、記録は語っていない。ただ、そうした造作を用意した家であるという事実だけは残る。

部材の質にも触れられている。主柱は秋田杉の四方柾。丸太の四面すべてに柾目をそろえて挽き出す取り方で、一本の木からわずかしか採れない。町家の柱にこれを使うのは、構造の話であるより家の格を示す振る舞いに近い。

令和6年の地震と、その後の判断

令和6年(2024年)元日の能登半島地震で、伏木地区は液状化による被害を受けた。地盤が隆起し、また沈下した。棚田家住宅も損傷し、当主は修復不可能と判断して、公費解体される見通しとなっていた。伏木では被災家屋の公費解体が数多く進んでおり、この家もその一軒になるところだった。令和7年(2025年)には、明治34年(1901年)から55年分にわたる棚田家文書が高岡市立博物館に寄贈された。

結論が変わったのは2026年である。同年4月23日、建築関係者らが一般財団法人「北前文化トラスト」を設立し、棚田家住宅の保存と活用を目指すと報じられた。全棟解体は回避された。7月4日には伏木コミュニティセンターで「伏木のまちなみフォーラム」が開かれ、住民が専門家の講演を聞いている。ただし現段階では計画であり、修復の完了した建物を見に行けるわけではない。

したがって主屋は非公開である。個人の所有で、震災による損傷を抱えた建物であり、拝観時間も入館料も設定されていない。内部の見学もできない。伏木を歩いて前を通ることがあっても、被災した個人住宅として扱い、敷地に立ち入らず、屋内に向けてカメラを構えるのも控えたい。

北前船で栄えた伏木の廻船問屋建築を実際に見るなら、徒歩10分ほどの高岡市伏木北前船資料館(旧秋元家住宅、伏木古国府7-49)がよい。平成10年(1998年)に高岡市指定文化財となった建物で、主屋は明治20年(1887年)の伏木大火で焼失した後、元通りに建て直されたと伝えられる。棚田家住宅とは建築年代が数年しか離れていない。調度蔵と衣装蔵の屋根には港を見張る望楼が残り、見学者は実際に登ることができる。開館は午前9時から午後4時30分まで、休館は火曜(祝日の場合は翌日)と年末年始、観覧料は高校生以上300円、中学生以下は無料。JR氷見線伏木駅から徒歩約10分、加越能バス「伏木錦町」下車では徒歩約3分である。

文書の側から棚田家を知りたい向きには、高岡市立博物館が公開している一括史料目録が入口になる。平成24年(2012年)に高岡市教育委員会が富山大学名誉教授・深井甚三氏に整理を依頼し、調査研究会が約1年半をかけてまとめた『棚田家文書目録』が平成25年(2013年)に刊行されている。

Q&A

Q棚田家住宅主屋は見学できますか。拝観料はいくらですか。
A見学できません。個人所有の非公開建築で、拝観時間や拝観料の設定もありません。令和6年(2024年)の能登半島地震で被災しており、現在は保存活用の計画が進んでいる段階です。前を通る際も敷地に入らず、屋内へのカメラも控えてください。
Q棚田家住宅主屋はどこにありますか。最寄り駅からの行き方は。
A富山県高岡市伏木錦町14-26です。鉄道はJR氷見線伏木駅、バスは加越能バス「伏木錦町」が最寄りになります。車では高岡駅から約20分、新高岡駅から約25分です。
Q棚田家住宅主屋の登録有形文化財と、重要文化財はどう違うのですか。
A重要文化財や国宝は国が「指定」する制度で、現状変更には許可が必要です。登録有形文化財は平成8年(1996年)の法改正で設けられた別制度で、改変は届出制になります。主屋は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」という基準で登録されました。
Q棚田家住宅主屋の平面には、どのような特徴がありますか。
A文化庁のデータベースは、小屋裏の隠し物置、2階の隠れ通路、廻船問屋としての広い土間の三点を挙げています。七間×九間の規模に茶室が附属し、主柱には秋田杉の四方柾が使われています。
Q棚田家住宅主屋は能登半島地震でどうなりましたか。
A令和6年(2024年)元日の地震で伏木地区が液状化被害を受け、敷地の地盤も隆起と沈下を起こしました。当初は公費解体の見通しでしたが、2026年4月に一般財団法人「北前文化トラスト」が設立され、全棟解体を回避して保存活用を目指す方針が示されています。

基本データ

名称棚田家住宅主屋(たなだけじゅうたくしゅおく)
所在地富山県高岡市伏木錦町14-26
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 16-0007
指定年平成9年(1997年)6月12日登録、同年6月24日告示(第3回登録)
員数1棟
寸法木造2階建、瓦葺、建築面積408平方メートル。七間×九間、茶室附属
所有者個人(高岡市の一覧では個人所有。2026年4月に保存を目的とする財団が設立)
公開状況非公開。令和6年能登半島地震で被災し、保存活用の計画が進行中

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース「棚田家住宅主屋」
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/101/00000197
文化遺産オンライン「棚田家住宅」検索結果
https://online.bunka.go.jp/heritages/search?freetext=%E6%A3%9A%E7%94%B0%E5%AE%B6%E4%BD%8F%E5%AE%85
高岡市「市内文化財:登録有形文化財」
https://www.city.takaoka.toyama.jp/soshiki/kyoikuiinkai_bunkazaihogokatsuyoka/1/4/2/4508.html
高岡市「伏木北前船資料館」
https://www.city.takaoka.toyama.jp/soshiki/kyoikuiinkai_bunkazaihogokatsuyoka/1/2/4/4996.html
高岡市立博物館「一括史料目録」(棚田家文書の項)
https://www.e-tmm.info/list.htm
NHKニュース「解体予定の『棚田家住宅』保存へ 地域のにぎわいづくりに」(2026年4月23日)
https://news.web.nhk/newsweb/na/nb-3060023109
日本遺産ポータルサイト「加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡」
https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story003/

最終更新日: 2026.07.29