灌仏会の日に鋳られた室町の銅鐘

この銅鐘には、数十年を隔てた二つの年号が刻まれている。古いほうは永正元年(1504年)卯月八日、すなわち四月八日の鋳造を記す。四月八日は釈迦の誕生日とされ、寺院では灌仏会、いわゆる花まつりが営まれる日である。その日に仕上げられた鐘には、奉納としての明らかな意味が込められていた。新しいほうの銘は元亀三年(1572年)七月のもので、鋳造からおよそ六十八年を経て加えられている。

鐘を所有するのは、和歌山県伊都郡高野町の高野山真言宗総本山金剛峯寺である。高野山は平安時代初期に空海が開いた、密教の中心地のひとつ。この鐘は室町時代の作で、山内の寺院が儀礼具の改鋳や整備を重ねていた時期にあたる。

指定の理由と価値

確かな年号を二つ備えた鐘は、いわば青銅に刻まれた小さな記録簿である。最初の一行は鋳造の時を定め、二つ目の銘は、半世紀あまりののちに人々がこの鐘へ立ち返り、その機会を記すに値すると考えたことを示す。こうした銘記は、一つの器物が世代を越えて使われ続けた経緯をたどる手がかりとなり、金工の研究者には一つではなく二つの確実な基準点を与える。この資料的性格と室町期の作行きとが評価され、大正十五年(1926年)四月十九日に重要文化財へ指定された。

鐘がまたぐ年月は、日本にとって動乱の時代でもあった。永正元年(1504年)の鋳造は、諸国が争う戦国の世のはじまりに近く、元亀三年(1572年)の追銘は、その最も激しい末期に加えられている。その時期を通じて高野山の梵鐘が保たれ、銘を重ねられたことは、周囲が乱れるなかでも山上の寺院生活が続いていたことをうかがわせる。

鐘を見るには

高野山に伝わる指定の美術工芸品は、高野山霊宝館が保存管理している。霊宝館は大正十年(1921年)に開設された施設で、現在は公益財団法人高野山文化財保存会が運営する。この保存会が、本鐘の管理団体として登録されている。霊宝館は山内の指定された絵画・彫刻・工芸の大半を収蔵し、企画展や特別陳列で入れ替えながら公開する。ある作品がある会期では並び、次の会期では収蔵庫で休むこともある。

この鐘を目当てに足を運ぶ前には、霊宝館の展覧会情報を確認するか、直接問い合わせておくとよい。拝観は山内のほかの見どころと組み合わせやすく、壇上伽藍や奥之院へ続く杉木立の参道もほど近い。霊宝館は高野山駅からバスで「霊宝館前」下車すぐである。

Q&A

Qなぜ年号が二つあるのですか。
A最初の銘は永正元年(1504年)の鋳造を記し、二つ目の元亀三年(1572年)の銘はおよそ六十八年後に加えられました。一つの鐘に二つの年号が残ります。
Q鋳造日に意味はありますか。
Aはい。卯月八日(四月八日)は釈迦の誕生日とされ、灌仏会が営まれる日で、梵鐘の奉納日として意味のある日付です。
Q所有しているのはどこですか。
A高野山真言宗総本山金剛峯寺です。指定品の保存管理は高野山霊宝館が担っています。
Qいつでも見られますか。
A常時とは限りません。霊宝館は指定品を入れ替えて公開しているため、出発前に会期を確認してください。
Q霊宝館へはどう行きますか。
A高野山駅から南海りんかんバスで山内中心部へ向かい、「霊宝館前」で下車してください。

基本情報

名称銅鐘〈永正元年卯月八日及元亀三年七月ノ銘アリ〉
所在地和歌山県伊都郡高野町高野山(金剛峯寺所有・高野山霊宝館が保存管理)
指定区分重要文化財(大正15年〈1926年〉4月19日指定)
種別工芸品
員数1口
時代室町時代・永正元年(1504年)鋳造、元亀三年(1572年)追銘
所有者宗教法人金剛峯寺
公開状況高野山霊宝館で入れ替え展示。常時公開ではないため、会期を事前に確認。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/5434
高野山霊宝館 公式サイト
https://reihokan.or.jp/
高野山霊宝館とは(施設沿革)
https://reihokan.or.jp/about/setsuritsu.html

最終更新日: 2026.06.22