弘安三年の年号をもつ高野山の銅鐘

梵鐘の制作年を特定するのは、しばしば難しい。鋳造技術は緩やかにしか変わらず、装飾の少ない鐘は、いつ鋳られたかを示す手がかりに乏しい。その点、この鐘には推測の余地がない。鐘身の銘に「弘安三年正月廿五日奉鋳」とあり、西暦1280年、鎌倉時代の鋳造であることが明記されている。「奉鋳」の語には、仏前への奉納として鋳造したという意味合いがある。

この鐘は、和歌山県伊都郡高野町の高野山真言宗総本山金剛峯寺が所有する。高野山は平安時代初期に空海によって開かれ、密教の一大道場として発展した、山上の宗教都市である。年号の確かなこの鐘は、山内に伝わる金工品や儀礼具の歴史を考えるうえで、年代の基準点となる一口である。

指定の理由と価値

この鐘の価値の多くは、その一行の銘にある。中世の梵鐘には、いつ誰のために造られたかを記さないものが少なくない。だからこそ、鋳出しの明確な年号をもつ鐘は、研究者にとって貴重な基準となる。年号のない鐘を、この鐘のような確実な作例と並べ、竜頭の形、乳の間隔、鐘身の比例を比べることで、制作年代を推し量ることができる。

1280年という年は、緊張をはらんだ時代の只中にあった。文永十一年(1274年)に最初の元寇があり、翌弘安四年(1281年)にはより大規模な襲来が再び起こる。各地の寺社が国家鎮護の祈りに動員された時期である。この鐘は、鎌倉時代の確かな年号をもつ作例として、また高野山に伝わる梵鐘の一つとして、大正十四年(1925年)八月二十五日に重要文化財へ指定された。

鐘を見るには

高野山に伝わる指定の美術工芸品は、高野山霊宝館が保存管理にあたっている。霊宝館は大正十年(1921年)に山内の宝物を収集保護する目的で開設された施設で、現在は公益財団法人高野山文化財保存会が運営する。この保存会こそ、本鐘の管理団体として登録されている団体である。霊宝館は山内の指定された絵画・彫刻・工芸の大半を収蔵し、企画展や特別陳列を通じて入れ替えながら公開している。すべてを常時並べるわけではなく、ある作品がある会期では展示され、次の会期では収蔵庫で休んでいることもある。

そのため、この鐘を目当てに訪れる際は、出発前に展覧会の会期や出陳内容を確認するか、霊宝館へ問い合わせておくとよい。拝観は山内の他の見どころとあわせやすい。壇上伽藍、根本大塔、奥之院へ続く杉木立の参道などがほど近い。霊宝館は高野山駅からバスで「霊宝館前」下車すぐである。

Q&A

Q制作年はどうしてわかるのですか。
A鐘身に「弘安三年正月廿五日奉鋳」と鋳出しの銘があり、西暦1280年、鎌倉時代の作と特定できます。
Q所有しているのはどこですか。
A高野山真言宗総本山金剛峯寺です。指定品の保存管理は高野山霊宝館が担っています。
Qいつ行っても見られますか。
A必ずしもそうではありません。霊宝館は指定品を入れ替えて公開しており、常時展示とは限りません。会期を確認してからお出かけください。
Q年号が一つあることが、なぜそれほど重要なのですか。
A中世の梵鐘の多くは年代を記しません。確かな年号をもつ鐘は、他の鐘の制作年代を形や比例から推定するための物差しになります。
Q霊宝館はどこにありますか。
A和歌山県伊都郡高野町高野山の中心部にあります。高野山駅から南海りんかんバスで「霊宝館前」下車すぐです。

基本情報

名称銅鐘〈弘安三年正月廿五日奉鋳ノ銘アリ〉
所在地和歌山県伊都郡高野町高野山(金剛峯寺所有・高野山霊宝館が保存管理)
指定区分重要文化財(大正14年〈1925年〉8月25日指定)
種別工芸品
員数1口
時代鎌倉時代・弘安三年(1280年)銘
所有者宗教法人金剛峯寺
公開状況高野山霊宝館で入れ替え展示。常時公開ではないため、会期を事前に確認。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/5433
高野山霊宝館 公式サイト
https://reihokan.or.jp/
高野山霊宝館とは(施設沿革)
https://reihokan.or.jp/about/setsuritsu.html

最終更新日: 2026.06.22