本国で滅び、日本に残った唐の勅撰詩文集
顕慶3年(658年)、唐の許敬宗が高宗の勅を奉じて編んだ詩文集がある。漢から唐初までの詩文を文体ごとにまとめ、その巻数は千巻に及んだ。総集としては『文選』に次ぐ古さをもつ、この『文館詞林』である。
ところが本国では、宋代を待たずにほとんどが散逸した。北宋の目録には四巻、『宋史』には一巻の名が見えるだけで、五代を経た頃にはすでに失われていたことがわかる。その一方、早い時期に渡来した写本が日本で書き継がれ、保存された。高野山正智院が蔵する残巻十二巻は、昭和28年(1953年)11月14日に国宝へ指定されている。
本国で失われ、外国にのみ残った典籍を、日本の学界では佚存書と呼ぶ。『文館詞林』はその代表格にあたる。
長安から高野の山へ
この詩文集が日本へもたらされたのは、遣唐使や入唐僧が大量の漢籍を東へ運んだ時代のことである。正智院の残巻は弘仁14年(823年)の書写を中心としており、その筆写の営みは平安初期に位置づけられる。高野山が修禅の道場として開かれてまだ間もない頃、これらの文献はすでに学問の対象として書き継がれていた。
大陸では長く忘れられたままだったが、再び中国で知られるようになる経緯が興味深い。江戸後期、林述斎が叢書『佚存叢書』に残巻四巻を収め、これが中国へ渡ったことで、現地の読者は数百年ぶりに『文館詞林』に再会した。のちに清の楊守敬は来日して、佚存叢書に含まれない残巻十四巻を入手し、『古逸叢書』に収めている。原本は日本に留まったまま、本文だけが故国へ里帰りしたかたちである。
昭和44年(1969年)には弘仁鈔本の影印本が刊行され、正智院蔵本を軸に二十七巻が集められた。研究者は今もこの影印を手がかりにしている。
国宝に指定された理由
残巻の価値は二つの方向にある。一つは本文そのものである。七世紀に編まれ、漢・六朝・唐初の詩文を文体別に収めた『文館詞林』には、他に伝わらない作品が含まれる。初唐以前の文学を研究する者にとって、一巻の発見が、題名だけしか知られていなかった詩や上奏文を蘇らせることがある。
もう一つは、物としての写本の古さである。823年に書写された写本は、この書の現存最古級の証人であり、その筆致には大陸の手本を吸収しつつあった時期の書風が残る。文化庁の記録では、種別を書跡・典籍、員数を十二巻とし、時代を唐から平安にかけてとしている。
公的な記録では、この典籍の「国」を中国・日本の両方として挙げている。唐の長安で生まれ、日本の山中で救われたという、この資料の二重の来歴を映す表記である。
見どころ
残巻は常時公開されているわけではなく、正智院はまず修行と祈りの寺であって展示施設ではない。『文館詞林』が人目に触れるのは、高野山内の文化財を保存・公開する高野山霊宝館での展観のときが多い。これまでにも、正智院の所蔵品を集めた企画展などで取り上げられてきた。
巻物を前にして目を引くのは、整然とそろった文字の列と、抑制のきいた筆の運びである。見せるためではなく、読み、学ぶために作られた写しであり、その実用の構えこそが価値の一部をなしている。本文は読まれるために書かれた。
残巻を守ってきた寺
正智院は永久年間(1113〜1117)、学僧の教覚正智坊によって開かれた。鎌倉期には高野八傑の一人に数えられる道範大徳が中興し、聖僧・学僧を相次いで輩出する学問の寺として知られた。江戸期以降は筑前の黒田家、薩摩の島津家の帰依が厚かった。本尊は阿弥陀如来で、残巻のほかにも仏像・仏画・典籍を多く蔵している。
正智院と高野山を訪ねる
正智院は壇上伽藍の北側、古い杉木立に囲まれた寺院街に建つ。宿坊を営んでおり、宿泊して朝の勤行に加わり、精進料理を味わうことができる。
枯山水の庭園は、それだけでも訪ねる価値がある。昭和27年(1952年)に作庭家・重森三玲が手がけたもので、背後の岩壁「明神岩」を背景に六十を超える石を据える。明神岩の名は、道範大徳がこの地で明神を感得したという伝えに由来する。水墨画のような余白の論理に拠った構成で、苔の美しさが空間を引き締める。この庭園は国の登録記念物(名勝地)に指定されている。
高野山へは、南海電鉄で極楽橋へ向かい、ケーブルカーで高野山駅へ上がって、町内は路線バスで移動する。残巻を見たい場合は、訪問時期に霊宝館で公開されているかを事前に確認しておくとよい。公開は随時ではなく、機会の限られたものである。
周辺の見どころ
高野山は、紀伊山地の霊場と参詣道として世界遺産に登録されている。一つの寺を訪ねる時間は、山上で過ごす一日のなかに自然と収まる。空海が開いた壇上伽藍には、朱塗りの根本大塔がそびえ、修法の中心を示す。少し歩けば、高野山真言宗の総本山・金剛峯寺がある。
町の東の奥之院は、なかでも印象の深い場所である。杉の大木の下に石塔が連なる長い参道が、空海の御廟へと続く。指定文化財を見ることを旅の目的にするなら、壇上伽藍に近い霊宝館を起点に予定を組むとよい。
Q&A
- 正智院で『文館詞林』の残巻を見られますか。
- 原則として見られません。常設展示はなく、寺は祈りと宿坊が中心です。残巻は高野山霊宝館で随時公開されることがあるので、旅行前にその時々の展示内容を確認するとよいでしょう。
- 『文館詞林』とはどんな書物ですか。
- 唐の高宗の勅で顕慶3年(658年)に編まれた、漢から唐初までの詩文を集めた総集です。もと千巻あり、『文選』に次ぐ古さをもつ漢詩文のアンソロジーでした。
- なぜ中国ではなく日本に残っているのですか。
- 本国の中国では宋代頃までに失われました。それ以前に日本へもたらされた写本が保存・書写され、弘仁14年(823年)の書写本などが残ったのです。原本より長く生き延びたため、佚存書と呼ばれます。
- 残っているのはこの十二巻だけですか。
- いいえ。正智院が十二巻と最も多くを蔵し、これが国宝です。近くの宝寿院にも国宝の一巻があり、宮内庁にも一巻が伝わっています。
- 残巻が出ていなくても正智院を訪ねる価値はありますか。
- あります。宿坊として宿泊と精進料理を提供しており、昭和27年(1952年)に重森三玲が明神岩を背に作庭した枯山水庭園は、彼の代表作の一つで、国の登録記念物でもあります。
基本データ
| 名称 | 文館詞林残巻(ぶんかんしりんざんかん) |
|---|---|
| 所有者 | 高野山 正智院 |
| 所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山 |
| 種別 | 書跡・典籍 |
| 指定区分 | 国宝(昭和28年〔1953年〕11月14日指定) |
| 員数 | 12巻 |
| 時代 | 唐〜平安(弘仁14年〔823年〕書写を含む) |
| 国 | 中国・日本 |
| 公開状況 | 常設展示なし。高野山霊宝館で随時公開されることがある |
参考文献
- 国指定文化財等データベース「文館詞林残巻」
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/703
- Wikipedia「文館詞林」
- https://ja.wikipedia.org/wiki/文館詞林
- 正智院(高野山宿坊協会)
- https://www.shukubo.net/contents/stay/shochiin.html
- 正智院庭園(おにわさん)
- https://oniwa.garden/koyasan-shochiin-temple-garden/
最終更新日: 2026.05.29