聾瞽指帰 ― 二十四歳の空海が遺した直筆の宣言
延暦十六年(七九七)の十二月、二十四歳の青年が長文の論をしたためた。やや右肩上がりに、力をこめて運ばれた行草体の筆線は、千二百年余りを経た今もその勢いを失っていない。書いたのは空海、のちに弘法大師と諡され、真言密教を開き高野山を開創する人物である。この冬に記された上下二巻が「聾瞽指帰(ろうこしいき)」であり、現存する空海の筆跡のうち最古の自筆本として今日まで伝わっている。
本文は一種の問答である。三人の架空の人物が登場し、儒教を亀毛先生が、道教を虚亡隠士が、仏教を仮名乞児がそれぞれ語って優劣を論じ合う。最後に空海の分身というべき仮名乞児が仏教の妙理を説き、議論を締めくくる。文学的な趣向の底には、出家という個人的な決断が横たわっている。本書は、官途を約束されながら僧となる道を選んだ空海が、その意思を親族や知己に表明したものと解されてきた。題名にもその含意がある。「聾瞽」は耳の聞こえぬ者・目の見えぬ者を指し、「指帰」は進むべき方向を示すこと、すなわち仏の教えに耳を傾けず目を向けようとしない者への教導を意味している。
国宝指定の理由と価値
空海はこの草稿をのちに改めて「三教指帰(さんごうしいき)」とした。両者は序文と十韻の詩が異なり、本文各所にも多少の異同がある。高野山に伝わる本巻が他に替えがたいのは、これが空海その人の手になる草稿本である一方、改稿後の「三教指帰」については最古の写本が空海没後およそ三百年のものにとどまる点にある。聾瞽指帰の前に立つことは、若き日の大師が墨を含ませた料紙そのものを、推敲の跡ごと読むことに等しい。
文章は四六駢儷体、四字句と六字句を対にして連ねる漢文の華麗な様式で綴られる。日本における漢字文の歴史を研究する専門家は、本作をこの様式の最も優れた達成の一つに数えてきた。書体は晋唐の行草をよく学んだ筆致で、ときに雑体の書風を交えつつも、装飾に流れることなく確信に満ちている。明治の制度のもとでは大正十五年(一九二六)四月十九日に旧国宝に指定され、現行法のもとで昭和三十八年(一九六三)七月一日に国宝へと指定し直された。
見どころ
上巻は十八紙に三百九十二行、全長は十メートルをわずかに超える。下巻は二十一紙に四百四十行を収め、十二メートル近くに及ぶ。縦はいずれも二十八・三センチ。料紙には縦に簾目のような空罫を施した上質の麻紙が用いられ、当時の書写に好まれた支持体である。行草の線が各行で勢いを保ちながら下り、ときに込み入った筆形へ移っては再びもとの調子に戻る運びを見たい。右へ傾く字姿と一定した筆圧が、紙面に雄渾と評された推進力を与えている。
下巻の巻末は、立ち止まってよく見る価値がある。そこには臨済禅の高僧夢窓疎石が貞和二年(一三四六)に記した跋文があり、続いて寄進状が附される。これらの記述は、これほど古い品にしては珍しく明瞭な来歴を残す。それによれば、夢窓はこの年に大覚寺の寛尊法親王から本巻を拝領し、のち西芳寺を経て京都の仁和寺に伝わった。さらに天文五年(一五三六)、仁和寺の経蔵から高野山の御影堂へと納められたという。
高野山を訪ねる
本巻は金剛峯寺の所有で、山の聖なる宝物を守る高野山霊宝館に保管されている。聾瞽指帰は脆弱で光に弱いため常時の展観はなく、特定の特別展のおりに、しばしば二巻のうち一巻あるいは一部分のみが公開される。実物を目指す場合は、出かける前に霊宝館の展示予定を確かめておきたい。出陳されていない時期でも、館の常設には名高い彫刻や絵画が並び、足を運ぶ甲斐がある。
多くの来訪者にとって、高野山そのものが目的となる。空海は弘仁七年(八一六)にこの山に修行の地を開き、峰々に抱かれた盆地には今や百を超える寺院、大師が伽藍を配した壇上伽藍、そして御廟へと続く奥之院の広大な墓域が広がる。一帯はユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部に登録されている。精進料理と早朝の勤行を伴う宿坊での一夜は、展示ケースだけでは触れられない、書き手が生きた世界そのものへと訪れる者を誘う。
Q&A
- いつ行っても実物の聾瞽指帰を見られますか。
- いいえ。脆弱な国宝のため、高野山霊宝館の特別展のおりにのみ公開され、二巻のうち一巻だけが出されることもあります。事前に霊宝館の展示予定を確認し、出陳されていなければ常設展示をご覧ください。
- 聾瞽指帰と三教指帰はどう違うのですか。
- 聾瞽指帰は七九七年に空海が自筆で記した草稿で、三教指帰は同じ著作を後に改めたものです。両者は序文と十韻の詩が異なり、本文各所にも多少の異同があります。
- 題名はなぜこれほど特異なのですか。
- 「聾瞽」は耳の聞こえぬ者と目の見えぬ者を指し、「指帰」は進むべき道を示すことを意味します。仏教の価値に耳目を向けようとしない人々への教導という、出家の決意を弁明する本書の目的に即した題です。
- 空海が二十四歳の作と分かるのはなぜですか。
- 序文に延暦十六年の窮月(十二月)始日と記され、七九七年末にあたります。空海の生年である宝亀五年(七七四)から数えると、執筆時は二十四歳となります。
- 高野山霊宝館へはどう行けばよいですか。
- 南海高野線で極楽橋駅へ向かい、ケーブルカーで高野山駅へ上がって、路線バスで寺町へ入ります。霊宝館は壇上伽藍に近く、中心部の停留所から歩いて行けます。
基本情報
| 名称 | 聾瞽指帰〈弘法大師筆〉 |
|---|---|
| 指定区分 | 国宝(書跡・典籍) |
| 指定年月日 | 昭和三十八年(一九六三)七月一日(大正十五年〈一九二六〉四月十九日に旧国宝指定) |
| 員数 | 二巻 |
| 時代 | 平安時代。序文に延暦十六年(七九七)とある |
| 筆者 | 弘法大師(空海)。自筆と伝えられる |
| 寸法 | 各縦二八・三センチ。上巻全長一〇・一一メートル(一八紙・三九二行)、下巻全長一一・七六メートル(二一紙・四四〇行) |
| 所有者 | 金剛峯寺 |
| 所在地 | 和歌山県伊都郡高野町(高野山霊宝館に寄託) |
| 公開状況 | 特別展のおりにのみ公開。常時の展観はなし |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/761
- 高野山霊宝館 収蔵品紹介 書跡
- https://reihokan.or.jp/syuzohin/syoseki.html
- わかやまの文化財(和歌山県教育委員会)
- https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai-spot-1156/
- 弘法大師空海(東寺 公式サイト)
- https://toji.or.jp/smp/kukai/
最終更新日: 2026.06.13