伝説では海を越えて飛んだ法具

三鈷杵は、密教の僧が祈りのときに手に握る、長さが手のひらほどの小さな法具である。金属で鋳られ、両端に鈷(こ)と呼ばれる爪が突き出ていて、古代インドの武器に由来し、煩悩を打ち砕くことを象徴する。高野山に伝わるこの一例は、三つの鈷をもつ三鈷杵で、ほかの法具にはない名で呼ばれている。飛行三鈷杵である。

この名は、日本仏教の開創伝説のひとつに由来する。伝えによれば、僧空海、すなわちのちに弘法大師と諡(おくりな)される人物は、唐での修学を終え、大同元年(八〇六)に帰国の途につこうとしていた。現在の寧波に近い明州の港から、空海はこの三鈷杵を東の空へ投げ、新たな教えが根づくべき地に留まれと祈ったという。法具は海を越え、日本へ向かって飛んでいったと伝わる。

三鈷杵を受けとめた松

伝説はさらに続く。帰国した空海は、修行の道場を開くべき地を求めて山々を探し歩いた。森を導かれて、やがて峰々に囲まれた高い平地にたどり着くと、一本の松の枝に、かつて唐の浜から投げたその三鈷杵が掛かっているのを見つけた。空海はこれを祈りに応えた瑞兆と受けとめ、この地を真言密教の根本道場、すなわち高野山と定めた。

その松は三鈷の松と呼ばれて語り継がれ、いまも中心伽藍の近くに同じ名の松が立つ。葉は通常の二葉ではなく、珍しく三本の束になって生え、三鈷杵の三つの爪と重なる。参拝者は落ちた松葉のなかから三葉の一枝を探し、御守として持ち帰る。法具そのものも、この物語の一場面から飛行三鈷杵の名を得た。

これらは確かめようのない事柄であり、史実というより聖なる伝説として読むべきものである。ただし、ものそのものは実在し、かつ古い。研究者はその制作を、空海とそれに続く世代の時代、すなわち平安時代に置いている。

山を離れ、また戻った至宝

三鈷杵の記録に残る来歴それ自体も波乱に富む。伝えるところでは、空海から弟子の真然に授けられ、のちに開祖を祀る御影堂に奉安された。寛治二年(一〇八八)、白河上皇がこれを山から持ち帰ったといい、以後一世紀あまり高野山の外にあった。建長五年(一二五三)に山へ戻され、それ以来、高野山の至宝のなかに留まっている。

この法具が重要文化財に指定されたのは明治三十年(一八九七)十二月で、日本の初期の文化財保護法による最初期の指定にあたる。この早い指定は、この一品が単なる儀礼の道具にとどまらず、日本の密教を形づくった人物に直接つながる確かなよすがとして、いかに重んじられてきたかを物語る。師から弟子への直接の伝授を尊ぶ伝統にあって、空海その人の手を経たと信じられる法具は、小さな寸法を超えた重みをもつ。

拝観のみどころ

飛行三鈷杵は金剛峯寺の所有で、高野山の宝物館である霊宝館に収められている。公開はごく稀であり、実物を見たい場合は、常設展示を期待するのではなく、訪れる前に霊宝館の特別展のスケジュールを確認しておくとよい。

実物が展示されていないときも、伝説は山のいたるところに息づいている。壇上伽藍の近くに立つ三鈷の松の下では、物語に出てくる松の末裔の木のもとに立ち、三葉の束を探すことができる。三鈷杵の写しは境内の各所に見られ、僧は今も、真言の修行の核心であり続ける護摩の儀礼でこうした法具を手にする。ガラスの向こうの小さな銅の品を理解するには、それが象徴する所作が、まわりの堂宇のなかで途切れることなく続いている様子を見るのがいちばんの近道である。

Q&A

Q海を越えて飛んだという話は本当ですか。
A高野山の開創伝説であり、確かめられた史実ではありません。三鈷杵そのものは平安時代の実在の品ですが、空海が唐から投げたという話は聖なる伝承として受けとめてください。
Q三鈷杵は何に使うものですか。
A密教の法具で、僧が祈りや護摩の儀礼のときに手に握ります。古代インドの武器に由来し、煩悩を打ち砕くことを象徴します。
Q飛行三鈷杵の実物は見られますか。
A高野山の霊宝館に収められており、公開されるのはごく稀な機会に限られます。見たい場合は、訪問前に霊宝館の特別展のスケジュールを確認してください。
Q三鈷の松とは何ですか。
A伝説で飛んできた三鈷杵を受けとめたとされる松です。壇上伽藍の近くに同じ名の松が立ち、その葉は通常の二葉ではなく三本の束になって生えます。
Q三鈷杵はずっと高野山にあったのですか。
Aいいえ。寛治二年(一〇八八)に白河上皇が持ち帰り、一世紀あまり山外にあったと伝わります。建長五年(一二五三)に高野山へ戻されました。

基本情報

名称飛行三鈷杵〈(伝弘法大師所持)〉
所在地和歌山県伊都郡高野町高野山(所有:金剛峯寺、保管:霊宝館)
指定区分重要文化財(明治三十年〔一八九七〕十二月二十八日指定)
員数一箇
時代平安時代
所有者金剛峯寺(管理:公益財団法人高野山文化財保存会)
公開状況霊宝館に保管。公開はごく稀な特別公開時のみ。展示スケジュールの確認を推奨。

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/5429
高野山真言宗 総本山金剛峯寺「弘法大師の誕生と歴史」
https://www.koyasan.or.jp/shingonshu/kobodaishi.html

最終更新日: 2026.06.23