三棟がひと続きになったL字の蔵

浦家住宅前蔵・中蔵及び櫨蔵(うらけじゅうたくまえぐら・なかぐらおよびはぜぐら)は、和歌山県有田郡広川町大字広にある江戸時代末期の土蔵で、令和3年(2021年)2月26日に国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

名称には三つの蔵が並ぶが、登録上の員数は1棟である。屋敷地を南北に走る通りから眺めると理由がわかる。三棟は途切れることなく一つの屋根でつながり、直角に折れてL字形の平面をつくっている。北から前蔵、中蔵、櫨蔵の順に並び、建築面積は117平方メートル。大部分が二階建で、一部が平屋建に落ちる。屋根は切妻造の桟瓦葺。

年代の根拠は棟札ではなく建築の性格による。文化庁の国指定文化財等データベースは時代を江戸、年代を江戸末期とし、西暦では1830年から1868年の幅を示す。年次を一点に絞る資料は公表されていない。

浦家はこの地で代を重ねてきた家である。山林、肥料、石灰製造、海運業などを手がけ、昭和29年(1954年)には中央工業株式会社を設立して現在に至る。主屋の一部は改装され、その会社の事務所として使われている。この「今も使われている」という事実は見学のしかたに直結するので、後段の実用情報で改めて触れる。

登録の理由と、蔵に読み取れる技術

登録番号は30-304、第98回の登録である。適用された登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」。平成8年(1996年)に始まった登録有形文化財の制度は、重要文化財の指定に比べて規制が緩やかで、おおむね築50年を超えた建物を届出制で守る。所有者が使い続けながら残せる仕組みで、浦家のような現役の屋敷に向いている。

令和2年(2020年)11月20日の文化審議会答申を受け、浦家住宅からは主屋、隠居屋、文庫蔵、そしてこの前蔵・中蔵及び櫨蔵の4件が同時に登録された。4件を並べると建設時期の幅が見えてくる。前蔵・中蔵及び櫨蔵が最も古く江戸末期、主屋の主体部は明治後期、座敷部は大正前期の増築、隠居屋は昭和前期とみられている。

意匠と構造の要点は外壁と小屋にある。腰の部分は平瓦を張り、目地を白漆喰で盛り上げた海鼠壁とする。漆喰は軒先まで塗り込めてあり、木部を火から遠ざける造り方だ。戸前は三箇所開き、それぞれに庇が付く。内部は板敷で、壁も塗り壁ではなく板壁とする。

小屋組は前蔵と中蔵で独特である。垂木を用いず、厚板をそのまま渡して野地をつくる。荷重を受け、火に耐えることを優先した割り切った手法で、見せるための架構ではない。

広村という場所で蔵を見る

大字広という住所は、ただの地番ではない。ここは旧広村、安政元年(1854年)の安政南海地震と津波に濱口梧陵が立ち向かった土地である。梧陵が私財を投じ、安政2年(1855年)2月に着工して安政5年(1858年)12月に完成させた広村堤防は、長さ約600メートル、基底の幅約20メートル、高さ約5メートル。昭和13年(1938年)12月に国の史跡に指定され、浦家住宅から歩いて数分の位置にある。

その文脈に置くと、塗り込められた壁の意味が変わって見える。一度水に沈んだ村で商いを続けた家が、火にも湿気にも潮風にも耐える蔵を、屋敷の端ではなく中央に据えた。

外から読み取れる手がかりは少なくない。海鼠壁が終わり、上部の白漆喰に切り替わる高さを確かめてほしい。瓦を張った範囲は、雨の跳ね返りや物の当たりを最も受ける帯にあたる。三つの戸前は幅がそろっておらず、屋根の稜線を追えば、二階建の部分と平屋建の部分で棟が段違いになっているのがわかる。

ひとつ疑問が残る。櫨はハゼノキのことで、その実から採る木蝋は紀州各地で盛んに生産された。櫨蔵という名はその生業を示唆する。ただし文化庁データベースにも県の解説にも用途の明記はなく、名称から推測できる範囲を出ない。

見学について

浦家住宅は現役の個人住宅であり、主屋の一部は同家が経営する会社の事務所である。受付も公開時間もなく、内部の見学はできない。登録有形文化財であることは公開の義務を伴わず、登録された4件のいずれも公開されていない。

できるのは通りからの外観の遠望に限られる。蔵は屋敷地の中にあるため、見える範囲は部分的で角度も限られる。通りからの外観撮影は一般的な行為の範囲だが、敷地に立ち入ることや屋内へレンズを向けることは当然に避けたい。人が暮らし、人が働いている建物である。

アクセスはJR紀勢本線(きのくに線)湯浅駅から徒歩約20分。旧広村の町並みを抜けていく道のりになる。同線の広川ビーチ駅は海側に近いが、この一帯からは離れている。車なら阪和自動車道の湯浅インターチェンジから向かうことになる。

公開されている場所と組み合わせて歩くのが現実的だ。大字広671の稲むらの火の館は、安政の津波、濱口梧陵の生涯、そして現代の防災を扱う施設で、月曜が休館。広村堤防は時間を選ばず歩ける。両者は日本遺産「百世の安堵 ~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~」の構成文化財でもある。ひと駅北の湯浅には、醤油醸造で知られる重要伝統的建造物群保存地区がある。

Q&A

Q浦家住宅前蔵・中蔵及び櫨蔵は見学できますか。内部に入れますか。
A内部の見学はできません。浦家住宅は現役の個人住宅で、主屋の一部は同家が経営する会社の事務所として使われています。登録された4件はいずれも非公開で、通りから外観の一部を眺められるにとどまります。
Q浦家住宅前蔵・中蔵及び櫨蔵は蔵が三つあるのに、なぜ員数が1棟なのですか。
A三棟が一続きの屋根でつながり、直角に折れたL字形の一体の建物になっているためです。建築面積117平方メートルをひとまとまりとして扱い、員数は1棟。名称のほうには浦家で呼ばれてきた三つの蔵の名がそのまま残されています。
Q浦家住宅前蔵・中蔵及び櫨蔵の「櫨蔵」という名前は何に由来するのですか。
A櫨はハゼノキで、実から採れる木蝋は紀州の産物として知られました。名称はその関わりをうかがわせますが、文化庁データベースにも和歌山県の解説にも蔵の用途は書かれていません。名前からの推測にとどまる点にご注意ください。
Q浦家住宅前蔵・中蔵及び櫨蔵の「登録有形文化財」は重要文化財とどう違うのですか。
A登録有形文化財は平成8年に始まった制度で、おおむね築50年以上の建物を対象に、大幅な改変時の届出を求める緩やかな保護を行い、税制上の優遇や修理への支援があります。重要文化財の指定はより強い規制と国の関与を伴います。使いながら残す前提の制度が登録で、浦家の状況に適合しています。
Q浦家住宅前蔵・中蔵及び櫨蔵の周辺で、あわせて訪ねられる文化財はありますか。
A徒歩数分の広村堤防は昭和13年指定の国史跡で、いつでも歩けます。大字広671の稲むらの火の館は安政の津波と濱口梧陵を扱う施設で、月曜休館。いずれも公開されており、非公開の浦家住宅と組み合わせやすい場所です。ひと駅北の湯浅の町並みも徒歩圏に収まります。

基本情報

名称浦家住宅前蔵・中蔵及び櫨蔵(うらけじゅうたくまえぐら・なかぐらおよびはぜぐら)
所在地和歌山県有田郡広川町大字広1310
指定区分登録有形文化財(建造物) 登録番号30-304、第98回登録 登録基準「国土の歴史的景観に寄与しているもの」
指定年令和3年(2021年)2月26日登録
員数1棟
寸法土蔵造2階建(一部平屋建)、切妻造桟瓦葺、建築面積117平方メートル
所有者個人(国のデータベースに所有者名の記載なし)
公開状況非公開。個人住宅兼会社事務所のため内部見学不可。外観の一部を通りから望める

参考文献

文化庁 国指定文化財等データベース 浦家住宅前蔵・中蔵及び櫨蔵
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013757
文化遺産オンライン 浦家住宅前蔵・中蔵及び櫨蔵
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/594989
わかやまの文化財 浦家住宅
https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai_823/
和歌山県教育委員会 国登録有形文化財
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/500700/mokuroku/d00155458.html

最終更新日: 2026.08.28