木造鍍金装神輿 ― 丹生都比売神社の金色の神輿

全国に約百八十社を数える丹生(にう)の神社の総本社、丹生都比売神社に、室町時代の神輿が二基残されている。屋根の頂きには鳳凰が据えられ、軒先は燕のかたちに反り、胴は木製で黒漆塗りに仕上げられている。二基で一件として、明治四十一年(一九〇八)一月に重要文化財へ指定された。

神輿とは、神が移動するための座である。祭礼の折、神は本殿を離れ、担ぎ手の肩に支えられたこの乗物に乗って氏子の世界を渡る。この二基は、丹生都比売の神々を人々のもとへ運ぶために造られた。

聖なる山と結ばれた社

丹生都比売神社は、高野山の麓、標高およそ四百五十メートルの天野盆地に鎮座する。祀られるのは丹生都比売大神と、その御子神である高野御子大神。高野御子大神は狩人の姿となって空海を高野山へ導いたと伝えられる。この縁により、参詣者はかつて高野山へ登る前にこの社へ参るのを習わしとした。平成十六年(二〇〇四)、神社は高野山とともに「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録された。

社と寺院の関係は、神祇信仰と仏教が長く混ざり合った神仏習合の明らかな一例である。神輿はその共有された世界に属し、神道の祭具でありながら、日本有数の仏教聖地と深く結ばれた境内に置かれてきた。

細工を読む

各神輿は鳳輦の様式をとる。屋根の頂点に鳳凰を据えるのが、この型の目印である。反り上がる軒に目を移すと、蕨手と呼ばれる軒先の渦巻きに小さな燕が配されている。方形の胴は黒漆塗りの木製で、四面には紅地に蓮華唐草文を織り出した金襴の帷帳が垂れる。室町時代という年代は、銘によるのではなく、こうした様式の特徴にもとづく判断である。

これは動くために造られた細工である。神輿は担い棒で人混みを渡れるだけの堅牢さと、奉じる神にふさわしい華やかさとを兼ねねばならない。作り手はその二つを丁寧に釣り合わせた。

川を下る渡御

中世、この神輿は「浜降り」と呼ばれる神事に加わった。神は天野から紀の川を下り、現在の和歌山市に近い和歌浦の玉津島神社まで渡御した。山の社と海とを結ぶこの長い行路は、神の威の及ぶ広がりを目に見えるかたちで示すものだった。

その古い渡御は、毎年四月の春の大祭「花盛祭」に今も反響している。装束をまとった行列が、天野の里を神が渡る神事を再現する。天狗の面をかぶった一行が先導し、参道には季節の花が竹筒に生けられる。祭りは、この神輿がかつて担った役割を生きた姿で垣間見せてくれる。

Q&A

Qこの神輿は公開されていますか。
Aご神宝であり、常設の公開展示の対象ではありません。境内は自由に参拝でき、丹生都比売神社の宝物の一部は時期によって各地の博物館に寄託されることがあります。神輿や関連の品をご覧になりたい場合は、社務所に尋ねるか、出かける前に博物館で展示中かどうかをご確認ください。
Q丹生都比売神社へはどう行けばよいですか。
A神社は高野山麓、かつらぎ町天野にあります。車または路線バスが便利です。高野山への表参道・町石道を歩く参詣者は、二ツ鳥居の近くで社へ下り、登拝の前に参拝する古い習わしをたどることができます。
Q鳳輦とは何ですか。
A鳳輦は、屋根の頂きに鳳凰の飾りを据えることを特徴とする儀礼用の輿の一種です。丹生都比売神社の二基はこの様式で造られ、格の高い乗物であることを示します。
Q春の祭りはいつですか。
A花盛祭は四月に行われます。中世の神事を再現する渡御の儀のほか、花の供進、野点、雅楽や太鼓の奉納演奏などが催されます。
Qなぜ神社が仏教の山と結びついているのですか。
A日本の歴史の長きにわたり、神祇信仰と仏教はともに営まれてきました。丹生都比売は高野山の守護神として崇敬され、両者は絡み合いながら発展しました。だからこそ一つの世界遺産として一括登録されたのです。

基本情報

名称木造鍍金装神輿(もくぞうときんそうしんよ)
所在地和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野 丹生都比売神社
指定区分重要文化財(明治四十一年〔一九〇八〕一月十日指定)
種別工芸品
時代室町時代
員数二基
所有者丹生都比売神社
世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道(平成十六年〔二〇〇四〕登録)
公開状況常設展示なし。境内は自由参拝可

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/5444
丹生都比売神社 ご神宝
https://niutsuhime.or.jp/about/shahou/
和歌山県公式観光サイト 丹生都比売神社
https://www.wakayama-kanko.or.jp/spots/detail_440.html

最終更新日: 2026.06.23