金銀字一切経 ― 金字と銀字が一行おきに輝く写経
紺色に染めた紙を広げると、経文が二色の金属で光る。一行は金字、次の一行は銀字、そしてまた金字へと、巻物の端から端まで交互に書写されている。高野山の金剛峯寺には、この経巻が4296巻伝わる。九百年前、東北の地で書写された一切経の、現存する大半である。正式には金銀字一切経、世に「中尊寺経」と呼ばれてきた。
一切経とは、仏教経典の全体をまとめた大部の集成で、その数はおよそ5400巻にのぼる。これを一巻ずつ手で書写すること自体が大事業だった。さらに金字と銀字を一行ごとに交える形式で書き上げた例は、日本はもとより中国や朝鮮半島にもほとんど見られない。
奥州藤原氏の発願による経典
この一切経を発願したのは、奥州藤原氏初代の藤原清衡(1056〜1128)である。本州北部を平泉から治めた一族の財力は奥州で産する金に支えられ、その金が経文の料にもなった。華厳経巻第二には永久五年(1117年)二月の奥書があり、清衡が建立した中尊寺の落慶供養より前から書写が始まっていたことがわかる。後年の文書には、書写に八年ほどを要したと記されている。
天治三年(1126年)の中尊寺建立願文には「奉納金銀泥一切経一部」とあり、現在高野山に伝わる経巻がこれに当たると考えられている。発願者の名から「清衡経」とも呼ばれる。
北の天台寺院のために書写された一切経が、なぜ南の真言の聖地に伝わったのか。その経緯は定かでない。南北朝から室町期にかけて中尊寺が荒廃する中で流出したとする説、豊臣秀次が高野山に寄進したとする説、伊達政宗による奉納説などがある。確かなのは結果のほうで、中尊寺自身には現在この一切経が十五巻ほど残るのみとなり、大半が高野山に伝わった。ほかに観心寺へ166巻、東京国立博物館へ12巻など、各所に分蔵されている。
国宝に指定された理由
本経は昭和26年(1951年)6月9日に国宝へ指定された。価値は規模と稀少さの双方にある。紺紙に金字で写経する例は平安後期に盛んだったが、金字と銀字を一行おきに交える形式を、一切経という大部の全体にわたって貫いた例はほかにほとんどない。中尊寺金色堂と並んで、平泉に築かれた奥州藤原氏の文化を最もはっきりと今に残す遺品である。
指定には、経巻を納めていた漆塗の経箱315合も、附(つけたり)として加えられている。
見どころ
金字と銀字の交書
紙には銀で界線が引かれ、その中の文字が一行ごとに金と銀で入れ替わる。これだけの長さにわたって規則を崩さず通すのは難しく、意図された設計であることがうかがえる。一面を読み進めると、金の行から銀の行へと視線が移り、その律動が巻を追って続いていく。
見返絵
各巻の冒頭、本文に先立って金銀泥の小さな絵が描かれる。多くは正面を向いた釈迦が堂宇を背に説法する図だが、宝塔や楼閣、山水、動植物、人物など、続く経典の内容にちなんだ図様もあり、一様ではない。
文字の輝き
金銀の文字は書写したのち、猪の牙のような道具で表面を磨いたと伝わる。平らに載せるのではなく、磨くことで金銀が照り返す。角度を変えて見ると、その研磨の跡が今も残っている。
表紙と料紙
表紙には金銀泥で宝相華唐草文が描かれる。料紙にも一つの発見がある。調査の結果、不要になった文書を紺色に染め直して再利用した紙が含まれること、紙そのものは書写地の東北ではなく都の周辺で調達されたとみられることがわかっている。
高野山で拝観する
経巻は金剛峯寺の所蔵で、高野山霊宝館に保管・公開されている。霊宝館は大正10年(1921年)の開設で、木造の本館そのものが登録有形文化財に指定されている。紙と顔料は光に弱いため、一切経が常時展示されることはない。企画展などで数巻が入れ替わりに陳列されるので、経巻を目的に訪れるなら、来館前に展示作品のリストを確認しておきたい。館内は撮影禁止である。
高野山は、平安初期に空海が真言密教の道場として開いた聖地で、ユネスコ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産でもある。霊宝館は壇上伽藍のすぐ近くに建ち、最寄りは「霊宝館前」の停留所。麓からは南海高野線で極楽橋へ向かい、ケーブルカーで高野山駅へ上り、そこからバスに乗り継ぐのが一般的な道のりである。
高野山のまわり
山上の町は、ゆっくり滞在するほど見えてくる。壇上伽藍は儀礼の中心で、朱塗りの根本大塔がそびえる。少し歩けば真言宗の総本山・金剛峯寺があり、石庭や襖絵を備える。町の東の端には空海の御廟がある奥之院が広がり、約二キロの参道には杉木立の下に二十万基を超えるという供養塔が並ぶ。宿坊に一泊し、精進料理を味わって朝の勤行に加わる過ごし方も、この山ならではのものである。
Q&A
- 高野山を訪ねれば、実際に経巻を見られますか。
- 時期によります。経巻は金剛峯寺の所蔵で霊宝館に公開されますが、光に弱い紙の品のため常設展示はされず、入れ替えで陳列されます。拝観が主な目的なら、来館前に展示作品のリストを確認することをおすすめします。
- なぜ東北の寺の経典が南の高野山にあるのですか。
- 伝来の経緯ははっきりしていません。中尊寺荒廃期の流出、豊臣秀次による寄進、伊達政宗による奉納など複数の説があります。確かなのは、大半が金剛峯寺に伝わり、中尊寺には十五巻ほどしか残っていないという結果です。
- 中尊寺に残る経典とは何が違うのですか。
- 奥州藤原氏は三代にわたり中尊寺へ経典を奉納しました。金字と銀字を交えた一切経は初代清衡の発願によるものです。二代以降には金字の法華経や金字の一切経もあり、こちらは金のみで書かれます。高野山の国宝は、金銀交書の一切経を指します。
- なぜ文字がこれほど光るのですか。
- 書写したあとに金銀の文字の表面を磨いたためです。猪の牙のような道具で押し磨くことで表面が締まり、光を返すようになります。巻物を斜めから見ると、その研磨の跡を確かめられます。
- 経巻が展示されていなくても、高野山を訪れる価値はありますか。
- あります。高野山は今も僧侶が暮らす聖地であり世界遺産で、壇上伽藍、金剛峯寺、奥之院、宿坊などそれぞれに見ごたえがあります。霊宝館には一切経のほかにも多くの国宝が収蔵されています。
基本データ
| 名称 | 金銀字一切経〈(中尊寺経)〉 |
|---|---|
| 種別 | 書跡・典籍(国宝) |
| 指定 | 昭和26年(1951年)6月9日 国宝指定 |
| 員数 | 4296巻/附 漆塗経箱315合 |
| 時代 | 平安時代後期。永久五年(1117年)から約八年かけて書写 |
| 所有者 | 宗教法人金剛峯寺(高野山) |
| 所在地 | 和歌山県伊都郡高野町高野山 |
| 拝観 | 高野山霊宝館にて公開(常設ではなく入れ替え展示) |
| 霊宝館 開館時間 | 8:30〜17:30(5月〜10月)、8:30〜17:00(11月〜4月)。入館は閉館30分前まで。年末年始休館 |
| アクセス | 南海高野線で極楽橋、ケーブルカーで高野山駅、バスで「霊宝館前」下車 |
参考文献
- 国指定文化財等データベース(文化庁)
- https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/201/595
- 文化遺産オンライン(文化庁)
- https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/197640
- 高野山霊宝館 収蔵品紹介
- https://reihokan.or.jp/syuzohin/cyokoku.html
- 高野山霊宝館 利用案内(開館時間・拝観料)
- https://www.reihokan.or.jp/riyo/open.html
- 京都国立博物館 博物館ディクショナリー「中尊寺経」
- https://www.kyohaku.go.jp/jp/learn/home/dictio/shoseki/chusou/
- 奈良国立博物館 収蔵品「大般若経 巻第四百六十(中尊寺経)」
- https://www.narahaku.go.jp/collection/p-1201-0.html
- 関山 中尊寺「中尊寺の歴史」
- https://www.chusonji.or.jp/know/history.html
- e国宝(国立文化財機構)「大唐西域記」
- https://emuseum.nich.go.jp/detail?langId=ja&content_base_id=100377
最終更新日: 2026.05.29