婚礼のために建てられた小さく背の高い座敷

小松原の橋本家屋敷、その敷地中央の北寄りに、旧熊野街道へ東面して木造二階建の座敷が建つ。建築面積のわりに背が高い。御坊の商家から日高平野屈指の大地主へと成長した橋本家の新座敷である。建設の由来は、めでたい機縁と結び付けて語り継がれてきた。明治45年(1912年)、先々代に嫁が入る折、庭園とともに建てられたと伝わる。

正確な建設年は明らかでなく、登録上は明治後期、1898年から1912年の間とされる。それでも建物の意図に迷いはない。ここは農家でも店でもなく、客を迎え、家の格を示すための場だった。小さく、高く、そして良材を選んで建てられている。

小さな骨組みに宿る上質さ

新座敷は令和2年(2020年)4月3日に登録有形文化財となった。登録番号は30-0280、登録基準は「国土の歴史的景観に寄与しているもの」である。街道をはさむ旧米穀集荷事務所、街道沿いの土塀とともに登録され、農村の地主一家が暮らし、働き、客をもてなした姿を一群として示す。

規模はおよそ49平方メートルと控えめで、木造二階建、寄棟造桟瓦葺。小屋組は梁間二間の和小屋とする。正面南寄りには起り付屋根の玄関を突き出し、この突き出した玄関と、壁の高さの際立ちが、独特の輪郭を生む。一階も二階も八畳に床の間を備え、接客の格式が一階だけに閉じず、上下に重ねられている。良さは大きさではなく、寸法と材のとり方にある。施主の好みがはっきり表れた造りだ。

部屋をめぐる

踏み込み土間を経て玄関取次の間に入り、西へ八畳の座敷が開く。北側に床の間と押入を構え、押入には仏壇を納め、天井は竿縁天井とする。二階へ上がると気配が変わる。ふたたび北に床の間を置いた八畳一室だが、二方に視界を開いた造りで、日高平野の眺めが広がる。家じゅうで最も明るく、晴れやかな部屋であり、一家が大切な折のために用意した空間である。

用いる木は木目が詰まり、選び抜かれている。内部が長く手入れされてきた点も評価される。新座敷は個人の住宅で立ち入りはできないが、東面する正面と起り屋根の玄関は街道から眺められる。道の向かいには洋風の旧米穀集荷事務所が建ち、少し離れた御坊の寺内町には内部を公開する登録有形文化財もある。

Q&A

Q内部を見学できますか。
Aできません。新座敷は個人の住宅で、内部は非公開です。東面する正面、背の高い壁、起り付屋根の玄関は旧熊野街道から眺められます。
Qなぜ「新座敷」と呼ぶのですか。
A新座敷とは、日常の居住部分とは別に新たに建てた接客用の格式ある座敷を指します。財力のある家が客を迎え、好みを示すために増築しました。この座敷は、御坊の商家から大地主となった橋本家が建てたものです。
Q婚礼の話は事実ですか。
A記録に基づく事実というより地元の伝承です。明治45年(1912年)に嫁が入る折、庭園とともに建てられたと伝わります。登録上の年代は明治後期、1898年から1912年の間と幅をもって記されています。
Qいちばんの見どころは。
A建ちの高さです。小規模な建物ながら壁が際立って高く、日高平野へ二方を開いた二階の座敷がその高さを生かしています。起り屋根を付けた突き出しの玄関も、もうひとつの特徴です。
Q近くの見どころは。
A道をはさんだ正面に旧米穀集荷事務所が建ち、敷地沿いに土塀が続きます。内部を見たいなら、御坊の寺内町、東町へ。公開されている登録有形文化財の商家が残ります。

基本情報

名称橋本太次兵衛家住宅新座敷
所在地和歌山県御坊市湯川町小松原256
指定区分登録有形文化財(建造物)/登録番号 30-0280
登録年月日令和2年(2020年)4月3日
年代明治後期(1898~1912年)。明治45年頃の建設と伝わる
構造及び形式木造二階建、瓦葺、建築面積約49平方メートル
員数1棟
公開状況個人所有の住宅。外観は街道から見学可、内部は非公開

参考文献

国指定文化財等データベース(文化庁)— 橋本太次兵衛家住宅新座敷
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/101/00013319
文化遺産オンライン(文化庁)— 橋本太次兵衛家住宅新座敷
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/401088
わかやまの文化財 — 橋本太次兵衛家住宅
https://wakayama-bunkazai.jp/bunkazai/bunkazai-spot-997/

最終更新日: 2026.07.10